#3 The day has come 当日の一部始終
日本に帰る前になんとか一回でもジョーズに挑戦できたら、そんな願いが感謝祭あたりに実現しそうだと見えてきたのはその一週間ほど前。
前日ノースウエストブイリーディングが急に上がり、確実にジョーズが割れるであろうサイズまで上がったことで、朝の5時に港で集合とセーフティーのダニエルから連絡があった。
「準備は全て前日に終わらせ、道具も船に乗せてありました。家に戻って、さあ寝ようとしたんですが、じつは興奮と緊張で一睡もできませんでしたね。笑」
恐怖心はなかったのかと聞くと、「恐怖というよりはワクワクする思いでした。怖ければ、自分に無理だと思ったら出ないつもりでした。やらない勇気は持っていようと思っていました。」
そんなわけで二人とも一睡もできないまま朝の3時ごろ諦めて起き出し、まだ真っ暗な中、カフルイハーバーまで向かった。
カイ・レニーのチームなどPWCや船でごった返す中出発、1時間近くかけてジョーズにつくとそこにはみたこともないような神々しい巨大な波が朝日に輝いてブレイクしていた。
風が少しずつ上がってきてパドルサーファーはテイクオフに苦労していた。
トウサーファーが増えてきた頃、セーフティーのダニエルは二人にトウインやるか?と声をかけた。
やらないというチョイスは心の中に全くなかった。
トウイン経験は少なかったが、レスキューの練習はやってきたし、ジョーズの波については暇さえあれば動画を見て研究していたし、船からずっと観察していたのでなんとなく気をつけなくてはいけないことは見えていた。
二人とも三本ずつ、最初は小さめのもの、少しずつ大きいものに、そして三本目にはフルスピードで今まで乗ったこともないような大きさの波にトウサーフィンできた。
もっともっとやりたかったのは確かだが、他のサーファーたちの順番もあったし自分たちの本番はウインドサーフィン、そして風も乗れるくらい強くなってきていた。
しばらく海を見ていて、ウインドでどう乗るかのイメージがしっかり浮かんできた。
彼らは揺れる船の中船酔いとも戦いながらセッティングを始めた。
最初に出たのは兄の孝良。
一番乗りで出るのは不安だが彼はそれよりも、早くこの波乗りたい気持ちが強かった。そしてこのコンディションなら大丈夫と確信して出て行ったそうだ。
それを追いかけるように弟の颯太も船から道具を下ろして出て行った。そんな二人のガッツは他のウインドサーファーの目にも頼もしく映っていたようだ。
二人はしばらく波の合間を行き来しながら様子を見て、まずは小さめの波を綺麗にメイク、小さめと言ってもゆうに15フィートはあるし、すごいスピードでバンピーな波なのだがしっかり乗ってチャンネルまで綺麗に繋いだ。
その後続々とウインドサーファーやカイトサーファーが出てきたが、かなりオフショアの難しい風、そしてサイズも大きいのでかなりリスキー、本当に自信のあるベテランしか出てこなかった。
出てきたカイトサーファーもウインドサーファーも世界チャンピオンになったことがない人は一人もいないというすごい顔ぶれ、その中にトウサーフィンでカイ・レニー、オースティン・カラマ、イアン・ウオルシュ、ユーリ・ソレデートなどトウサーフィンの大御所が入ってくる。
数時間乗った後、タカラにダニエルがPWCで近づき、「ちょっと船に戻って休んだらどうか?」と声をかけてきた。
「疲れは感じてなかったけど、確かに朝の5時からずっとろくに何も食べずにトウインとウインドとし続けていたから素直にそうしようと思って船に行ったら、急にどっと疲れを感じました。
多分緊張しててわからなかったんですね。」
そんなところまでセーフティーはちゃんと見ていて声をかけてくれる。
「これで疲れすぎると怪我をする原因になりやすいから、早め早めに休んで水を飲んで何か食べたほうがいいんだ!ここにきたら一日通しのことが多いからね」とダニエル。
颯太は大きなセットにカイトサーファーと一緒に乗ってしまい遠慮して波から降りようとしたが、ここの波は他の波とはスピードのパワーも違うのでちょっと計算ミスで次の波に逃げきれず巨大な波に巻かれ、道具は一気に岸の方に持っていかれ、自分もかなり引きずられた。
岸の近くまで行ってしまったボードについていた折れたマストやセールは外せ、とセーフティーからの指示がありなんとかボードだけ救ってボートへ。
「それまでに四本の波に乗ったんですけど、まだ納得のいく波乗りができなかったので、そこで巻かれたことで反対にスイッチ入っちゃって、船に戻ってすぐバックアップのセールをセットして出ていきました、それからはかなり思い切りいけていい波乗れました!」
元々怖さ知らずと言われる18歳の颯太選手だが、あの巻かれっぷりにもインフレータブルベストの空気を引かなかったことにも周りがびっくりしていた。
「いやまだ平気でしたね。ブレストレーニングのおかげかな、とにかく冷静に冷静にって言い聞かせてたらぷかって浮かんできました。」
おそるべし。
一方、孝良の方は船から休みながら他のライダーたちを見ていた。
「やっぱりベテラン選手、特にマリシオとかは一番奥からボトムターン仕掛けてきてて、すごいライディングしてたんです。目の前で見てかっこよくて最高だったけど、自分ももうちょっと攻めればよかった、もうちょっとアグレッシブにやりたいとたまらなくなってまた出ました。」
かなり抉るようなターンを見せたが、最後にトップのターンでフィンが抜けて目を覆いたくなるようなワイプアウト。
目の前で見ていたカイチームのセーフティー、オラカレンがこれは怪我したかもしれないとすぐに近づき、海面から顔を出したらすぐにピックアップ。彼の予想通りボードで顎を強打してパックリ割れていたので、カイチームのボートにメディカルスタッフとしてスタンバイしていたカイのお母さんに応急処置をしてもらい、そのままハーバーに戻って病院で19針塗ってもらった。
あの攻め方、あの巻かれかたで19針ならラッキーだと、みんなにはジョーズの勲章だと言われ、実際一週間足らずで抜糸、海に復帰していたのでほんとにジョーズの素晴らしいライディングに最後にでも甘くみちゃダメだぞという戒め、謙虚でいるためにちょっとだけ二人ともシメられた。
トウイン、最高のウインドサーフィン、そして生死に関わるほどではないけれど、ジョーズのリスクに関してもしっかり経験してフルコースのジョーズ体験となった。
先輩やベテラン勢から、彼らはパフォーマンスは準備をしっかりやり、周りへのリスペクトもあり、イケイケではなく少しずつ攻めながらも最後にはかなり攻めたライディングを見せ大きな賞賛を受けた。
今まで彼らを知らなかったメンバーも声をかけたりコメントをくれた。
またジョーズを目指しているティーンや若手のサーファーやウインドサーファーたち、特にその日ジョーズまで行ったけれど出なかった選手たちの間では、大きな話題になった。
同じ仲間がこれだけやれたということでかなり刺激になったに違いない。
「今まで大会とかで勝ってもここまで人がコメントしてくれたり、声かけてくれたことはないです。」
そんなことからもジョーズで乗るということが本当にみんなにとって特別なことなんだってよくわかったし、実際乗ったら本当にあんな波どこにもないっていうくらい全く違う次元の波でした。
2~3週間経ってもまだ完全には興奮が冷めていないという二人、どうしたらまたあそこで波に乗れるか、そして今度もっと大きな波をもっと攻めて乗るには何をしたらいいか、そんなことをずっと考えているという。
ジョーズでの経験を一言で言うとしたら?と二人に聞いてみた。
二人は顔を見合わせてからこう言った。
「それについて二人で話してたんですけど、感謝とリスペクト、まさにそれだけです。
僕たちがここで乗れたのはこの一年相談に乗ってくれたり、レスキューやジョーズの乗りかたなどいろいろ教えてくれた先輩たちのおかげ。
準備が大切だと言われてたけど、本当にあの準備がなかったら、レスキューのやり方などに慣れていなかったら、絶対あんなふうにはできなかった。
これやったほうがいいよと言うこと全てやってきたつもりだけど、その全てが必須でした。あの場にいられたこと、このタイミングで波が来たこと、この目標を達成するために応援してくれてるスポンサーなど、とにかく全てのことに感謝。
そしてレスキューやサポートをしている人たちの海でのすごい動きや判断力、ウインドサーフィンの先輩たちはやはり一枚奥からボトムターンしてる。
パドルであのラインナップにいてエアードロップに近いテイクオフをあの波にかけているサーファーたちは半端ない。
ジョーズの海にいた全ての人たちに対するものすごいリスペクトを感じています。」
人間には太刀打ちできないほどの波、けれど、その中で全力を尽くして、向き合う仲間同士の固いつながり、そして自然への畏敬の念。
神がかりとも言えるようなライディング、自分のエゴなどまず最初に洗い流さないと1発でやられてしまう場所。謙虚さと真摯な態度でみんながいる場所。
だから愛に満ちている、そんなこと初のジョーズですでに理解している二人に私は思わずグッときた。
まだまだこれはスタートでしかない。
これからどこまで彼らがジョーズとの付き合いを深めていくのか、見守っていくのが楽しみだ。
12月後半には地元御前崎で開催される大会のために帰国した二人。
御前崎はこれからがシーズンなのでここでトレーニングをしながらジョーズが割れるタイミングを常にチェックしていくという。
「世界中からみんなそうやって弾丸でジョーズに来ているんだ、お前たちも日本なんて近いほうだからそうすればいい」とセーフティーのダニエルからも勧められていた。
「ジョーズでは使ってる道具関係なく、みんなが一つになれたのがすごい感覚でした。日本でもウインドの知名度を広げて多くの人に見てほしいと思うし、サーファーの人たちにもウインドサーフィンならではの波乗り、風も使ってエアリアルマニューバーを見てもらいたいです。」
12月のコールドブリーズ、そして3月に同じく御前崎で開催されるワールドツアーの初戦、SPICARE チャンピオンシップにもこのジョーズでの経験がきっと生かされるに違いない。