上條将美のウラナミ『変化・進化』

上條将美

上條将美
上條 将美:小学生4年から全日本選手権で連続入賞し、ジュニアで優勝、世界選手権に日本代表で2度出場後、19歳でプロになり、20年間にわたってシードをキープし、2012年に引退。最高ランキング5位。2011年サーフレジェンド入社。

dc8611141b1354ef02e2a28d686694cc

Kelly Slater- WSL / CAIT MIERS

こんにちは、上條将美です。
世の中の流れは近年、インターネットの普及、そしてコロナへの対策によるテレワークの推進などにより、急激に変化・進化しています。
自分の若かりし頃には、わからないことがあった時にそれを調べて理解するには、それなりの労力・時間、もしくはお金が必要でした。
しかし、今やちょっとした物忘れだけでなく、かなり専門的なことでもネット上で「検索」すれば、瞬時に解答を得ることができますよね。
その分、昔であれば調べる・理解するためにそれなりの時間を与えられていたことでも、「検索」してすぐに調べて対応する、というのが普通に求められるようになっています。

さて、変化・進化はサーフィンにおいても物凄い速さで進んでいます。特に、エアーにおいては、何という名前なのかよくわからないものまであります。
自分の体験として、一番インパクトがあったのは、1990年の宮崎と新島のダブル会場で行われた世界戦選手権にジュニアの日本代表として出場した時でした。
その時に海外の出場選手で最も注目を集めていたのは、アメリカ代表で今ではサーフィン界の”KING”であり、生きる伝説でもあるケリー・スレーターでした。
それまでに数多くの結果を残し、直前にはどの雑誌でも特集記事が組まれ、ケリーのための大会、優勝はケリーしかありえない、という雰囲気でした。
結果として、ケリーは優勝できなかったものの、そのサーフィンは一人だけ10年も20年も先を行くものでした。
その大会には、アメリカ代表ではロブ・マチャドやテイラー・ノックスを含め、その後の一代ムーブメントとなったテイラー・スティール作品に出演する多くのサーファーが出場していました。
そのメンバーの中でも、ケリーのサーフィンは一人だけ次元が違いました。今では普通にバリエーションに組み込まれる、「リバース」ですが、その当時の自分たちはその技の名前すら知らなく、見た瞬間に「何あれっ‼」と驚愕でした。
その後のサーフィン界は、ケリーを筆頭とする「ニュースクール」という世代によって一気に進化しました。それは、ビーチブレイクでのトリッキーな技だけでなく、ビッグウェーブにおいてもそれぞれが大会で結果を残したことで証明されました。

世の中は、天才たちによって急激に変化・進化することが多いようです。それに対し、自分のような凡人はかなり遅れてついていくのがやっとです。ましてや、最近はコロナで日常の生活まで一気に変化や進化を求められています。それでも、成長することの充実感、達成感、モチベーションをもって世の中の流れに何とかついていくぞっ‼、と思う今日この頃です。

最近の記事

関連する記事