(「かさ上げ盛土予定断面」という表示。海岸線に近い住宅地ではこの高さが盛土の基準になっている。)
石巻市内に向けて車を走らせると、町中から離れた街道沿いの「道の駅」はかなりの人出で賑わっていました。
「おっ!結構活気あるな。」と私は期待をしながら海に向かいました。今日は日曜日なので観光客が多く集まっているだろうと、石巻漁港へと向かいました。
ところが桟橋からの釣りを楽しむ人がいる程度で、漁港がお休みで働いている人が全くいません。観光客はもとより、休日を海で過ごそうという人も見当たりません。ガランとした大きな空間が静かに広がっていました。もっとも震災後は海沿いの地区が住宅地ではなくなり、海が遠くなったという事もあるようです。
海に近くなればなるほど人の気配がなくなっていきます。津波からの被害を避けるために、「住民の想い」も多くの人が海辺を離れ高台に移転を希望したからだそうです。

( 漁協の建物など施設はどれも新品でピカピカ…復興へ向けた取り組みに期待したい。)
漁港を離れ牡鹿半島を石巻湾側から南下すると小さな漁村が入り江ごとにありますが、海辺の静寂はさらに際立っていきました。ちなみに牡鹿半島はバイクツーリングでは有名な風光明媚なコースとなっていて、半島の南端には金華山があり、週末には多くのツアラーが押し寄せるとの事。ですが気がつくとコンビニも数店しかなく、食事の出来るドライブインなども少ない感じです。本当はブランドサバとしても有名な「金華サバ」を食してみたかったですね。
この半島は海のミルクといわれている「牡蠣棚の養殖」が有名ですが、豊かな森の栄養分によって海が豊かになっている好漁場です。実際に私もこの漁村留学に来る前には、こちらの漁村で牡蠣の水揚げのお手伝いをするものだと思っていました。しかし今年は台風10号の災禍(さいか)もあって、牡蠣棚にかなりの被害があったと聞きました。

( 小さな漁村でも、ところどころにこういった牡蠣の殻を積み上げた小山が点在しています。試しに近寄ると臭いが強烈で、食欲も失せます。(笑)でも牡蠣が美味しいのは勿論です。)
金華山を右手に見ながら北上をします。するとほどなく女川町に入りました。私は原発の施設を紹介する記念館に行きました。記念館の庭先から女川原発が見えるのですが、敷地も広く施設の規模の大きさにあらためて驚きました。
さらに町内の庁舎や体育館などの箱モノがハンパなくスゴイ。原発の城下町ともいえる女川町の立ち位置は石巻市にとっても微妙に違いありません。経済的にも潤っているはずのこの女川町でも、震災後は人口の流失が加速度的だという事です。

(震災では津波の被害を免れた東北電力の女川原発。ですが、たまたま運が良かった…そう思ったのは私だけではないでしょう。)
漁村留学の最終日、漁師さんが私を連れて行ってくれたのが北隣にある南三陸町です。
住民に避難を呼びかけるアナウンスを続け、津波にのまれてしまった女性職員の事は皆さんもご存知かと思います。その庁舎が震災遺構となり、全国からたくさんの人が訪れていました。しかし私が気付いたのは、その庁舎よりも高くかさ上げされた人口の山(盛土)です。

(遠景で見ると、庁舎がまるで山から掘り起こされたように見えます。何か違和感ありませんか?)
朝早くから日も暮れるころまで山から土砂を運んだトラックが、復興の名のもとに町の造成に取り組んでいます。箱モノ優先でまずは取り組まなければならない…本当に難しいのはこれからだと思います。
私は複雑な想いのまま石巻漁村留学の一週間を終えました。海沿いの街はどこも静かにたたずんでいます。自然に恵まれ、人々の笑い声や挨拶が飛び交うごく普通の日常生活…早く取り戻して欲しいと願ってやみません。
皆さんも震災後に何かもやもやしたものを感じているのであれば、機会をつくってぜひ東北を訪れてください。自分で見て感じたことを、家族や友人に伝えて欲しいです。決して風化させてはいけないものだと強く思います。
※私が参加したボランティア活動に興味がある方いらしたら、下記HPをご覧ください。
(イマ、ココ プロジェクト「7日間からできる漁村留学」)
http://inaka-pipe.net/intern/imacocopj/
byハンマー