1995年パイプラインマスターズの会場で私が撮影した若き日のケリー・スレーター
皆さま元気にサーフィンされていますでしょうか?
早速ですが、ワールドチャンプを11回も勝ち取り、“KING、神さま”と崇(あが)めたてられてきたケリー・スレーター(52歳)が、昨年秋に股(こ)関節の手術をして回復を願ったものの、第1戦のパイプマスターズでは満足にサーフィンできる状態ではなく早々に敗退し、第3戦のMEOリップカールポルトガルプロでは欠場せざるをえず、第5戦のマーガレットリバープロでも上位に入ることなく、ついにミッドシーズンカットオフの対象選手となってしまったことは皆さまご承知の通りです。
1990年に18歳でCTデビューし、2020年20歳の時に史上最年少でワールドチャンプとなり、32年間(1999年に一度引退して2002年に復帰、2017~2018年は足のケガで休養)に及んだCTイベントでの優勝回数は2020年の49歳でのパイプマスターズを含めて56回に上り、11回のワールドチャンプはギネス認定記録であり、おそらく今後も破られないことでしょう。
32年間もの長きにわたり、サーフィンの最高峰のCT戦に君臨し続けてきた“KING KELLY”は、心から尊敬するととともにサーフィン界への貢献度としてはサーフィンをハワイから世界中に普及させた水泳のオリンピアでもあるデューク・カハナモクの功績に勝るとも劣らないと思います。
52歳になるまで、自分の子どもの年齢に近い選手らと堂々と渡り合ってきたこと自体信じられない偉業であり、サーフィンというジャンルを超えたスポーツ界のスーパースターと言っても過言ではないでしょう。
かつて日本でCTイベントが、新島羽伏浦、千葉東浪見、マリブ、生見などで開催されたときに、Team波伝説はWater Patrolの一員としてマリンジェットレスキューによる安全管理に携わってきました。
その大会時において、ケリーのヒートが始まるときには、ほとんどのCT出場選手が観戦するために選手席に戻ってきたことを思い出します。世界の最高峰のCTで戦っている選手でさえも、ケリーのパフォーマンスは刺激的で、見る価値があり特別だったのでしょう。そんな光景は他の選手ではほとんど見られなかったし、ギャラリーもケリーのパフォーマンスを大いに楽しみにしていました。まさにTop of Top“King Kelly”と言わしめた所以だと思います。
1995年のPipe Mastersは私も現地で観戦していましたが、この時期のケリーのパフォーマンスはまさに“神”に近く、1994年から1998年と連続でワールドチャンプとなりますが、1995年はまさにケリーの中でも最強時代だったのではないでしょうか。
パイプラインでケリーが大会に備えて練習のためにサーフするとなると大勢のカメラマンが集結するだけでなく、ギャラリーも一気に増してしまうため、太陽が落ちて暗くなり始めて写真撮影に不向きとなる日没前に、あえてケリーはパドルアウトするのが常でした。そんなある夕暮れ時に、先にパイプに入っていたサニー・ガルシアの奥さんとお子さんがピーチにいたのですが、優しいケリーは日が暮れてしまう前の30分くらいしかサーフする時間がないのにも関わらず、親友でもあるサニーの子どもを一生懸命あやしたのでした。
その微笑ましい姿をずって見ていた私の心の中では、早くパドルアウトして凄いパフォーマンスを見せて欲しかったのが正直な気持ちでしたが、ケリーらしい心温まる行為でした。
実はケリーはゴルフでも非凡な能力があり、最近は出場していない模様ですが、かつては毎年アメリカオーガスタで行われている伝統ある「マスターズトーナメント」の予選に何度も出場していて、ネット中継でその勇姿を見たことがありました。もう少しでマスターズの本選に勝ち上がれるくらいの高いパフォーマンスを発揮し、しなやかで力みのない綺麗なスイングはケリーらしく、ゴルファーとしても非凡なものがあり、本当にケリーって凄いなと感激したほどでした。
まだケリーの完全引退が確定した訳ではなく、本人もワイルドカードでのタバルアやチョープーでのCT出場を希望しているようですが、もしも可能ならばISAがこれまでのサーフィン界への功績を称えて特別枠としてパリ五輪に出場させてあげて、その引退の花道を飾れればと個人的には願っていますが……!?
ケリーのプライベートな話題ではありますが、長年パートナーとして連れ添ってきたカラニ・ミラーさんがご懐妊されて、まもなく初の長男が誕生する見込みなので、CT参加のプロアスリートとして、つらく長かった競技生活にようやくピリオドを打つちょうど良いタイミングなのかもしれません。
自分のアパレルブランド(OUTER KNOWN)、自分のサーフボード(Slater Designs)、カリフォルニアに続く二つ目のウェイブプールの建設(Surf Abu Dhabi)など、選手としての競技生活中に自らが深く携わった事業の共同経営者としても成功しているのがケリーのさらに凄いところだと思います。
かつて弊社は、3ブランドのアロハシャツをハワイから直接輸入販売していた時代がありました。二つが有名なカメハメハとアバンティーシルク社でしたが、三つめは波伝説のコラムニストでもあった星マリナさんのご主人のリチャード・ホワイト(元プロのウィンドサーファー)が紹介してくれた「Ke Nui」というノースショア発信のローカルブランドのアロハシャツでした。
元パイプラインのライフガードでもあったピート・ジョンソンがその代表で、自宅はパイプラインの目の前にあり(実家)、一度契約のためにその家を訪問した時にたまたま居たのが、ちょうどカリフォルニアから里帰り中で人気になりつつあった弟のシンカーソングライターのジャック・ジョンソンでした。
簡単な挨拶と握手はしましたが、まさかその後に世界的なミュージシャンとして大成功するとは想像することができず、あの時に一緒に記念撮影くらいはしておけばよかったのに、と今になって悔やんでいます。(大粒の涙)
そんな時代に毎冬ピートの家の“離れ”にステイしていたのがケリーでした。よって、ケリーとピートとはもちろんのこと、ジャックとも親交が深いはずです。ちなみにピートとジャックはパイプの目の前で育っていますのでサーファーとしてもプロレベルです。
あるときケリーが来日した時に、たまたま本屋で「NALU」を見ていたら、裏表紙にKe Nuiの広告が出ているのを見て(弊社の出稿)、喜んだケリーはわざわざ「NALU」を購入してハワイのピートに届けたのだと、後日マリナさんからお聞きしました。そんなきめ細かな優しさを併せ持つところが、ケリーが長年にわたってファンを惹きつけてやまないのだと思います。今となっては私にとって嬉しい想い出話の一つです。先日、ジャック・ジョンソンの日本公演を聞きに行きましたが、そんなつながりもあり、とても感動的なコンサートとなりました。
ちょっと古くなりますが、私にとっては昭和のスーパースターだった長嶋茂雄や千代の富士の引退以上に、ケリー・スレーターの引退はとても悲しいですが、しばらくはしっかりとケガの治療とリハビリに専念されて、ワイルドカードで再びその勇姿を見せて欲しいものです。(了)