R.I.P. Noboru Sakamoto (1949~2025 )

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Noboru Sakamoto @ Keramas Bali Indonesia 2015

 

 

 

 

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湘南隆盛期の1970年から1985年まで辻堂海岸の目の前(現在の波伝説オフィス)にあった

パイプライン・サーフショップで一世を風靡し、あのソエダヒロミチを弟子とし育んできた

レジェンドサーファー・サカモトノボル氏が

今月8月15日、第二の故郷とも言える八丈島で急逝された、享年76歳。

サーフィンビジネスをやめてからは八丈島に移住し自身のサーフィン道を貫き、

ハワイ、その後バリ島・クラマスに安住の地を見つけ、

一年の半分をインドネシアで過ごし、残りの半年を八丈島で

徹底したサーフィンライフ・ヨーガライフを全うしてきた。

2015年の春クラマスを訪れた際、サカモトさんをボートトリップにお誘いして

ロンボク島とジャワ島へ若手サーファーと共にトリップをした。

気難しそうな?風貌のサカモトさんだが、若手サーファーとも気さくに話し、

何よりもサーフィンが大好きなんだと感銘を受けた。

デイ−1は日帰りでロンボクの西面でサーフ、一旦バリに戻り、

デイー2も日帰りでジャワのG-ランドに向かった。

船は苦手な様で船酔いの薬を服用されていた様だったが、

なんと海峡を過ぎたあたりから天候が悪化し、更に船が浸水しだし、

航路もわからなくなり、まさに海の迷子になってしまい、

このまま死んでしまうのかなとまで思ったが、

やがてジャワ島の南東端が見えたので、陸地とリーフを見失なわないように

ゆっくりと船を進めていくとようやくGーランドが見え、

兎にも角にも船を安全な湾内に入れ無事に皆下船することができた。

結局船は修理せねば航海には出れないとわかり、

急遽Gーランドに泊まることになり、翌朝陸路でバリに帰ることとなった。

Gーランドでの部屋割りで自分はサカモトさんと同じ部屋になり、

サカモトさんならではの人生哲学を聞くことができた。

結局Gーランドでは風が悪くノーサーフで船も置いて行き、

翌朝スピードボートとマイクロバスを乗り継ぎ這々の態でバリに辿り着いた。

船が苦手だったサカモトさんだったが不満も愚痴も言わずずっと毅然としたご様子だったが、

帰りのマイクロバスの中でヨーガの真髄とも言える技を皆に披露してくださった。

本来なら絶対にそんな事は見せないされないサカモトさんだと思っていたが、

なんだか皆をほっこりさせてくれて親近感が湧いたことを思い出す。

最後にお会いしたのが3年前のクルイで、やっぱりヨーガとサーフィンを貫き、

普段はあまり飲まれないビールだけどその夜は珍しく付き合ってくださいました、、、

rest in peace sakamoto-san

 

 

 

 

 

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