☆加藤のウラナミ『死ぬときはこんな展開なんだろうな!?』

☆加藤

☆加藤
会社代表であり、波乗りと海が大好きなサーファーです。子どもたちに安全安心な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

I'll Be Back!!!2

一時は目の前が真っ暗だったが、無事に I’ll Be Back.

今年は、本当にケガが多く、4月1日エイプリルフールにスノボーで足首の靭帯断裂などの大けがを負ってリハビリ中に、シロギスの船釣り用の仕掛けを作っていたら、誤って左足の中指の先にぶっ刺してしまい、針の返しが指の中の肉に食い込んだため針を切断してもどうしても抜けず、病院で切開して除去してもらいました。針は細くてとても丈夫なナノスムースコートという特別な針で、シロギスの食いに軽く合わせるだけで針掛かりして釣れるのですが、自分の足を釣るとはおバカさんです。トホホ

そして、ようやくスノボーによる足首のケガが完治一歩手前まできたところで、なんと今度はコロナウィルスに感染してしまったのでした。
5回目のワクチン接種の案内が市役所からきていて、10月中旬にインドネシアに行く前には接種しようと思っていたところ間に合いませんでした。(涙)

熱、喉の痛みと腫れ、猛烈な咳、これはどう考えてもコロナだと思い、自宅にあった抗原検査で調べたところ、2本線がしっかりと表れて陽性反応を確認しました。
翌日に開業医でも抗原検査をしてもらい陽性を再確認して、コロナ治療薬のゾコーバ®をはじめ、解熱剤などいくつかの薬を頂いたのですが、当日夜に39度近くまで熱が上がり、喉の異常な腫れと痛み、度重なって襲ってくる苦しい咳に、これはコロナだけではなさそうと感じて、翌日に病院で詳しく検査してもらうことにしました。


コロナウィルス治療薬ゾコーバの説明書

コロナウイルス治療薬ゾコーバの説明書


余りにも喉が痛く咳が激しいので溶連菌感染症による肺炎を心配しましたが、そこまでではありませんでしたが、人生初の肺炎の感染が認められました。
実は、コロナを発症する前々日の朝に地元七里ガ浜でサーフィンしたのですが、前夜の大雨によって海の色はまっ茶色でした。


午前11時過ぎの撮影。朝イチのサーフィン時は海水がもっとまっ茶色だった!!!(涙)

午前11時過ぎの撮影。朝イチのサーフィン時は海水がもっとまっ茶色だった!!!(涙)


藤沢市辻堂にある下水処理場は、サーファー議員らの強い働きかけによって何年か前に合流式から分流式(雨水と汚水を分離)に変わりましたので、大雨が降っても汚水が海に直接垂れ流されることは無くなりました。羨ましい!!!
一方、柳島、七里ガ浜、逗子、金沢八景などの下水処理場は、今も合流式のままなので、ひとたび大雨が降ると処理場がオーバーフローしてしまい、雨水と共に中に溜まっていた汚水が海に垂れ流されます。その際には処理場の底に溜まっていた一番危険な細菌やウィルスが多そうなヘドロも一緒に海に排出してしまっているのではないかと私は疑っています。

パドルアウトする際に汚水の匂いがしているのに気が付きました。今まででもほとんど経験したことがない臭いでした。大腸菌など悪質な菌やウィルスが流れ込んでいるはずなので、本来はサーフィンを諦めて帰れば良かったのですが、一旦パドルアウトしてしまうとちょっとだけでも波乗りしていこうと考えてしまうのはサーファーの性(さが)なのか、それとも私のしつこい性格なのか、いずれにしてもその代償はとても大きいものとなりました。

病院の先生は若い女医さんでしたが、朝の午前9時半に病院に着いてから私が診察を受けたのは午後2時半で、喉の痛みと咳がひどくてとても辛いと訴えたのですが、既にコロナは開業医で陽性の確認がされていたので『なんで来たの?』くらいの応対でした。
レントゲンを撮って肺の診断をしてもらったところ、「肺は綺麗ですね」という冷たい言葉でした。「えっ、マジですか?」(涙)
「おかしいなぁ、咳も尋常じゃなくて胸の痛みも伴うし、喉の腫れと痛みも過去最高なんですが…」と女医さんに訴えたところ、「稀にレントゲンでは肺炎の影が出ず、CTでしか確認できない肺炎があるので、2~3日経過しても改善が見られなかったらCTを撮りましょう。」と言われました。

ここからの判断と先生への相談が命拾いに繋がったと私は考えています。

「先生、本日これまでに約6時間も掛かっています。明後日具合が悪くなっても来るのは正直しんどいです。もしも今CTの検査ができるならばぜひお願いできませんか。」とお願いしたら、余りにも待たせたためか、『分かりました。それでは準備が出来るまでもう暫くお待ちください。』とすんなり認められたのでした。

その後、CTを撮って先生がその画像を覗き込んだところ、その女医さんの表情が一変しました……まさにまれにあるCTでしか映らない肺炎に私は掛かっていたのでした。
CT撮っておいて良かったぁ~。命拾いしたかもです。マジで。
早速、点滴治療を行い、入院を促されましたが私は個室を希望してしまいました。
これは私のミスで、『個室が希望だけれど、もしも空いていなければ大部屋でも大丈夫です。』と言わなければいけなかったと深く反省しています。

午後5時を過ぎて先生からは個室のベッドの空きがないことを告げられました。
大部屋の打診はなく、最終的に二種類の抗生物質など多数の薬で自宅療養して様子を見ることとなりました。すでにこの時には病院内で8時間が経過していて、少し貧血気味だったこともあり、早く帰宅して横になりたかったのが本音でした。

50歳代に喘息を患っていたので、重症化リスクがある65歳以上の高齢者でぜんそく持ちならば、普通は即入院して点滴治療をするようなのですが、私が駆け込んだ藤沢市内にある病院では結局自宅療養となりました。
再びコロナ感染者が増加しているのと、インフルエンザが流行しているのが原因していそうです。
帰宅してネットを調べたら、もしも溶連菌感染症からの肺炎だったら致死率は40%という医師のコメントを読んだ時には正直“死への恐怖”を感じました。
フラッシュバックしたのは、肺がんを知らされずに死ぬ前の従兄弟から「おかしいんだよ、ゲホゲホ。原因が良く分からず悪くなる一方なんだよ。ゲホゲホ…」
もしも、2~3年前のコロナ感染全盛期に発症していたら、もしかしたら診察さえままならず、自宅で苦しみながら志村けんさんと一緒に天国に召されていたかもしれません。65歳の前期高齢者の自分ですが(高齢者とは認めたくはないけど…)、ぜんそく持ちは肺炎が重症化しやすいため、大げさではなく命に関わる病気なのです。
人間って、ちょっとした不運や判断ミスから命を落とすことがあるし、その逆もあるということを今回まざまざと痛感させられました。

ちなみに、私と同じ年(65)に父親は心筋梗塞で急逝しました。その日は土曜日で、職場のバレーボール大会にエースとして駆り出され、3位に入って仲間と飲んで帰ってきたら家は真っ暗で、病院に駆けつけた時には遅かったのでした。
また、先ほど紹介しましたが、別の中学・高校ではありましたが同じバレーボール部で同い年同じ月生まれの仲良しだった従兄弟は、35歳の若さながら肺ガンであっという間に亡くなりました。この時に『人生は儚(はかな)い』と痛感したため、18年働いた横浜市役所を潔く退職してこの会社を起業する動機となりました。残る人生は最低限の生活費は稼ぐものの、気象を通して海の事故防止を図ったり、サーフトリップの素晴らしさをレポートしたりと、やりたいことを突き進む人生としたのでした。

女医さんは、朝から夕方まで診察と診療に忙殺されて昼食も取れていないことを夕方の待ち時間に看護師さんからお聞きしました。毎日シフトに入っているわけではありませんが、良い診察・診療をしてもらうためにも、ぜひ昼休みくらいは確保してあげて欲しいものです。

ということで、もしかしたらこのウラナミを書くことなく天国に召されていたかもしれないレアなウラナミとなりました。
生かされた命をこれまで以上に大切にしつつも、微力ながらサーフィン界・サーファーへの貢献に結びつけられれば幸いです。
残り少ないサーフィンライフを健康第一で充実したものにしていきたいと心から誓います。(了)

最近の記事

関連する記事