唐澤予報士のウラナミ『スーパースター』

唐澤予報士

唐澤予報士
唐澤予報士:1991年、沖縄でサーフィンを始める。(スノーボードも開始)  1993年、初めてフルマラソンを完走。1999年、気象予報士資格を取得し登録。現在に至り、一児(娘)の父です。

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皆さん、ご存じかとは思いますが、一人のスーパースターが亡くなりました。ディエゴ・マラドーナです。享年60、若すぎる死です。

1972年生まれの自分が中学生の時は、漫画・アニメの「キャプテン翼」のためにサッカーブームでした。自分は陸上部で中距離の選手だったのですが、休み時間には友達とサッカーをして楽しんでいました。そんな自分が中学生の時の1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会で大活躍してアルゼンチンを優勝に導いたのがマラドーナでした。あのイングランド戦の「神の手(ちなみに、対戦相手のイングランドでは、悪魔の手、というそうです)」「五人抜き」のシーンも国営放送でリアルタイムに見ており、大興奮し、学校でマネをしようとしたものでした。(当然、素人の自分にできるわけはありませんが……)

自分の記憶上で始めての世界的なスーパースターは、マラドーナということになります。

その後、リアルタイムで見たスーパースターとなると、バスケットボールのマイケル・ジョーダン(2度目の三連覇を決めたユタ・ジャズ戦もテレビでリアルタイム観戦)とサーフィンのケリー・スレーターとなります。(ちなみに、ケリーは千葉で生観戦しており、何とエレベーター内で二人きりになったこともあります!) あと、日本人で生観戦したスターといえば、アントニオ猪木と元日本ハムファイターズの新庄選手、ダルビッシュ有選手や大谷君となります。

上記のスター達とマラドーナの違いは、マイケル・ジョーダンやケリー・スレーターはロールモデルとなる優等生であるものの、マラドーナはご存じのように汚れた部分も多くあることでしょう。(アントニオ猪木は、清濁併せ呑む人ですが……) 薬物騒動やマフィアとのつながりなどの悪行があるのですが、そこがマラドーナをマラドーナとたらしめているのでしょう。

ネットやSNS等によって有名人のプライベートがさらされるようになった現代以降は、あんな破天荒なスーパースターが現れることはないでしょうね。


そんな最後となるかもしれないスーパースター・ダークヒーローにあらためて合掌!

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