上田純子のウラナミ『バリにいきたーい!』

上田純子

上田純子
19歳のころからサーフィンを始め、大学4年生の時に学連で優勝。 その後、たくさんのアマチュアの試合に参戦。 2000年 全日本サーフィン選手権大会4位。 2000年 東日本サーフィン選手権大会準優勝。 2003年 全日本サーフィン選手権大会優勝。 2005年6月 バリ・ウルワツでショートボードのプロ公認を取得。 2010年5月 千葉・千倉でロングボードのプロ公認を取得。 2013年7月に第一子を出産。  波伝説に入社して18年目になります。

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みなさん。こんにちは。元気にお過ごしでしょうか?

『上田純子のちょっと聞いてみました!』シリーズで、バリ島のスペシャルガイドの【キナ】について書きました。

そして、最近はお友達がバリに行ってきて話を聞いたこともあって、すっごくバリへ行きたくなってしまいました!
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https://www.namidensetsu.com/news/ueda/423194

現役時代はアマチュアの時から、年に1度はバリへ2週間くらい行ってトレーニングをしていました。

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【時田亜沙美プロと】

プロになってからは、バリでコンテストを毎年開催していましたので、年に2度くらいは行っていたものです。

子供を産んでからはなかなか行けなかったり、コロナ禍になってしまったこともあり、約12年くらい行けてないのです。(涙)

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【志賀美千代プロと】

そんな中、キナの話を色々と聞いていたら、たくさんの思い出がよみがえってきました。

私がショートボードのプロになったのは、バリ・ウルワツでした。
ハーフウェイ(クタビーチ)で予選を勝ち上がらなければ、本戦のウルワツまでは行けないのです。

また、本戦に行ってもセミファイナルまで残らないとプロ資格を頂けない時代でした。

波は6フィートくらいあって、本当に怖いながらも突っ込んだ覚えがあります。
私の強烈なパーリングに0.75ポイントをつけて頂き、太ももが血だらけになったことをしっかりと覚えています。

コンテストがクラマスに移行したあとも、良い波の時もたくさんありましたし、バリは場所や潮回りをうまく選べば最高な波に出会えるような気がします。

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ごはんは、安くて美味しいものばかり。
ついつい、飲みすぎ・食べすぎてしまいます。

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買い物もいっぱいして、木彫りのネームプレートも大切に飾ってあります。
数え切れないほどの思い出がたくさんあります♡

まだ、いつ行けるのかわかりませんが、昔のメンツの女子【BBAツアー】を目指して、体力をキープできるように頑張っていきたいと思っています!

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