シークレットポイントがあるインドネシアの某島で、とんだアクシデントに遭って緊急帰国する☆加藤
皆さまにおかれましては元気にお過ごしでしょうか?
また、サーフィンライフをエンジョイされていますでしょうか?
【過去最低サイズに加えてよもやの“魔女の一撃”】
すでに、鎌倉七里ガ浜の毎週金・土曜日夜の波情報を私が臨時更新している「夜間特別チェック」の中で報告しましたが、5月7日~6月3日までの予定でインドネシアへのサーフトリップ中に、「魔女の一撃」(日本で言う“ギックリ腰”)を思いっきり喰らってしまい、急きょ車椅子で緊急帰国することになってしまいました。(大粒の涙)
これまでに色々な国へサーフトリップしてきましたが、サーフィン中にフィンで手や指を切って何針か縫うケガ(縫ったら翌日からサーフィン)は経験してきましたが、5mも歩けないほどの酷い腰のケガは初めてです。
今回のサーフトリップは、これまで一緒にインドネシアをディスカバリーしてきた、バリ島在住で波伝説のアンバサダーでもあるカメラマンのノブフク君プロデュースによる某島にあるシークレットポイントへのツアーでしたが、結論からお話しするとインド洋のスウェルがとても弱かったのとSwell Direction(うねりの方向)が合わず、最終日のミッドタイドからハイタイドにかけて数本入ってきた腹~胸サイズがMAXで、思いっきり波を外してしまったサーフトリップとなってしまったのでした。(涙)
しかも波の無い時の楽しみが、島内にはほぼ皆無という厳しい現実が待っていたのでした。
この島には観光資源がまったく無いために外国人観光客が訪れることはなく、また外国人向け(洋風)のレストランも1軒もなく、あるのはローカルのワロン(調理済みのおかずを選ぶ定食屋)のナシ・チャンプルのみでした。
ホテルで特別に朝昼晩のご飯を提供してもらいましたが、決してまずい訳ではなかったのですが、出されるメニューは鶏肉や魚の揚げ物、野菜のテンペイ(天ぷら風)、クウシンサイ、時にスープが付いたものの、いつも同じようなメニューばかりで、同じ料理が続けて出されたこともありました。食が充実しているバリ島と比べると、正直かなりつらいものがありました。ただし、我々を世話してくれたのが20歳のシャイな二人の女の子だったので、その子たちと片言の英語やインドネシア語で会話して盛り上がるのが一番の楽しみだったかもしれません。サーファーおやじあるある!?
上記写真で今回ツアー参加のメンバーを紹介しますと、向かって左側から、☆加藤、ホテルで働く20歳のシャイな女の子、バリ島在住カメラマンのノブさん、波伝関係のツアーでは初参加の地福さん(ジフクさん、相模原市在住)、Sonさん(DONT PANIC)という顔ぶれとなりました。
【トイレットペーパーはありません】
ホテルの部屋では、Wi-FiでYouTubeを見たり、読書する以外は昼寝しかすることがなく、やることが本当に無いので、運転手付きのレンタカーを宿の主人に頼んで借りて、島内をWave Huntのドライブに繰り出しましたが、まともな波は島のどこにもなく、透き通る海の綺麗さだけがせめてもの救いでした…。
また、ホテルの部屋のシャワーは水のみで(朝晩は冷たいものの日中は水道管が日射の影響を受けるせいか若干温かくなりました)、トイレもインドネシアの庶民はトイレットペーパーを使う文化がそもそもないので、桶の水か、つながったホースによる洗浄になります。私はもしやと思ってトイレットペーパーを1つ持ってきたので何とか旅行中は間に合わせることができましたが、島内のスーパーを何軒回るもトイレットペーパーはどこにも売っていませんでした。もしも観光客が行かないような島に渡る場合には、トイレットペーパーを持参するか、郷に入れば郷に従う方法(桶の水を使って“左手”でお尻を洗う)を選ぶかの二択しかないと思います。日本の100円均一ショップでは、ペットボトルを使った簡易のウォシュレット!?があるそうなので、それをトリップに持参する日本人サーファーもいるそうです。
【フェリーでの初体験!?】
某島に行くためには、バリ島から国内線の飛行機で隣の島まで飛んで、飛行場から少し離れた港から出るフェリーで一晩かけて島に渡る必要がありました。日本からはとにかく遠い!!!
港に着くと、サーフボードなどで荷物が多いサーファーを待ち構えてローカルポーター(荷物運び)がわんさか近づいてきました。私は旅の後半のスンバワに持参する食料やおみやげなどはバリ島のホテルに置いてきたので、自身のすべての荷物を担いでフェリーまで運ぶ自信があったためポーターを振り払ってスタスタと歩き始めました。安易にポーターを雇うと、あとで支払い時に必ず料金を3倍以上吹っかけてきて面倒くさいので、なるべく自分の荷物は自分で運びます。多くの白人サーファーもそうしますが、一部の優しい!?日本人はカモにされているのも事実です。それがまたローカルポーターを喜ばせて再犯させるのです。
スンバワ島のBIMU空港にも、まだその手の悪質なポーターがいますので、ターンテーブルから荷物を引き取ったら絶対に放さないことです。床に置いておいても、グループでまとめて置いておいてもポーターは勝手に運ぼうとします。
あるとき、白タクのタクシーまで自分が運んでほっとして、たまたまその運転手を何回か使って知り合いになっていたので挨拶をしていたら、ポーターが勝手に板を車の上に載せているではありませんか。もちろん、No Thank You.と断り続けましたが、最終的にはチップを寄こせと凄(すご)んできます。振り切ることも考えましたが、後日変な嫌がらせをされるのも嫌なので、10万ルピア(1000円)の要求に対して2万ルピア(200円)で納得させました。とにかくインドネシアの田舎では常に荷物を抱えていることです。
話をフェリー乗り場に戻して、後ろからノブさんが「フェリー内の階段がとても狭くて危険なのでポーターに預けてくださ~い。チップは自分がまとめて払いますから~」と声が掛かり、仕方なく荷物をポーターに預けることにしました。
そして、ポーターがフェリーに荷物を運んでくれ、個室に向かうと、なんと日本では考えられない驚愕の“長い箱”が私の部屋の目の前の廊下に置いてあったのでした。
最初見たときは、長い箱の形をしたベンチだと思ったのですが、近づいて箱の上を見たら、名前と日付が記されていたのでした。ゲゲゲゲゲ…そうです、長い箱とは「ご遺体が中に入っているお棺、つまり棺桶」だったのでした。インドネシアは何でもあるあるなので、大袈裟に驚くことは少ないのですが、さすがに乗船客、しかも我々は個室を使う一等船客の部屋の前にご遺体が入っている棺が置かれていたのには驚愕しました。
これはかなりレアなことなので記録として写真を撮っておかねばならないと思い、私はスマホのシャッターを切りました。あとで振り返ると、なぜあの時私はご遺体が入っている棺に向けて、写真を撮る前に合掌して拝まなかったのか、と後悔するばかりでした。
よもやその呪いとは思っていませんが、根本的にご遺体の入っている棺を撮影するというのは、いくらレアなことであっても戒めないといけないと強く反省したのです。よって、当然のマナーでもあるし、さらなる呪いを防ぐためにも写真の掲載は控えることとします。(つづく)