今日4月3日は父さんの命日な訳で。
父さん、と呼んではみたものの特別に何だという訳でもなく、ただウラナミのタイトル困り、『北の国から』のナレーション風が思い付いたっていうだけの理由な訳で。
父が他界したのは私が高校を卒業してすぐなので、もう随分前のことになります。
『北の国から』の登場人物、純と同様、思春期の頃の親子関係というのは、なかなかGoogle先生の検索キーワードでも上位に出てくるくらい、一般的には「嫌悪感」があるそうで、私の父娘関係も例外ではなく、純同様、心の中では感謝しつつも態度は悪く、今から思えば最期まで可哀想な父親だったな・・・と心残りな訳で。
純のように、『父からもらった泥の付いた一万円札』を見て涙するような、感動的な思い出は全くなく、娘に甘い父を利用して、お小遣いをもらおうと『ちょうだい♪』とおねだりした記憶があるようなないようなw
娘に嫌われていると感じたまま他界した父ではあるけれど、命日には必ず!と言っていいほど、父は私のそばに現れます・・・言い切るとホラー感が出てしまい『北の国から』風ではなくなるので、現れている気がする、としておきますね。
なにせ他界してかなり年数が経っているので、現れるパターンも多種多様。今年のパターンは就寝中に登場という、父さん不器用なのですか?とも思わせるノーマルな登場の仕方でした。
目覚めた時、人の心は目に見えるものではないけれど、なんとなく心を温かく優しく包んでくれている感覚、そして心に「大丈夫だよ・・・」とメッセージが刻まれている気がしました。
目覚め直後はとても幸せで、とても懐かしく、そして温かく、今までにないような不思議な感覚でした。
この感覚は間違いなく父です!うん。間違いない!
父はまた私に会いに来てくれていた!・・・はずでした。
親は子供が幾つになっても、心配は尽きない、とよく聞きますが、他界してまでも、子どもの心配をするのでしょうか・・・それとも、他界してまでも心配をかけている、いまだに親不孝な私ってことでしょうかw
もしかして姿見えずとも、カボチャを鞄いっぱいに入れて、先方へお詫びに行ったりしてたのでしょうか。。。
父が登場したこの日の一日は、いつもより特別に頑張れた日だったのは言うまでもありません。
お父さん!ありがとう!
ちなみに、父の命日には母とお決まりの会話。
母は鈍感なのか?!一度も父が訪れた感覚がないようで、
母:「なんであなたの所ばかり!!」
私:「あらお可哀想に・・・来てないの?なにかが足りないのでは?」
母:「失礼な!」
私:「あ、お母さん他界しても私のところには出てこなくていいよ。うるさそうだから」
母:「親不孝な!ボケてやるから!」
私:「ボケたら姥捨て山に捨ててやる・・・」
母:「そんなこともあろかと、毎日足を鍛えてるわよ!やってみなさい。帰って来てみせるから」
こんなキレッキレの毒舌な会話ができる元気な母が、父の分まで長生きできますように♪
AH AH~~~~~♪
UM MU~~~~♪