2024年の福島大会でプロ資格を取得し、2025年がルーキーイヤーとなる永見幸太郎プロ。
看護師として活躍しながらBBのプロという二刀流!
なんと、ボディボード(以下BB)を始めてまだ4年目!
プロの階段を駆け上がったそのストーリーを、波伝説が単独でインタビューさせていただきました。
まずは自己紹介をお願いします
23歳、ホームポイントは鵠沼です。
現在は鎌倉市で看護師として働きながら、プロ・ボディボーダーとして活動しています。大会歴は3年で、昨年の福島の大会でプロ資格を取得。今年から「Lagoon(ラグーン)湘南」でインストラクターとして本格的に活動するお話もいただいています。
もともと野球をやっていて、小学生の頃から甲子園を目指していました。高校は福島県の聖光学院に進学し、寮生活をしながら3年間、野球部に所属。ベンチ入りは果たせませんでしたが、チームとしては1年生から3年生まで夏の甲子園に出場しました。
進路を考えたとき、小学生の頃に喘息で入院した際、男性の看護師さんにお世話になったことを思い出し、その影響で看護師を志すようになりました。看護学校に進学し、野球から看護の道へシフトチェンジしたタイミングでBBを始めました。
BBを始めたきっかけは、看護学校在学中に、もともとサーフィンをやっていた親から「運動がてらサーフィンやBBをやってみたら?」と勧められたこと。ちょうどその頃、ムラサキスポーツ茅ヶ崎店で近藤プロのレッスンがあると聞き、体験したのが最初の一歩でした。
鵠沼の海が家から近かったので、最初は軽く体を動かす程度にやっていましたが、周りの方から「選手として活動したほうがいいんじゃないか」と声をかけてもらうようになりました。
そこで、茅ヶ崎のBB専門店「サンタートル」でレッスンを受けるようになりました。
20歳の時、代表の平林さんから「本気でやるなら、NSAの全日本優勝まで導くから一緒にやらないか?」と誘われ、本格的に競技として取り組むことを決意しました。
そこからはトントン拍子で一気に進んでいきました。
サンタートルの平林さんは、親が紹介してくれたのがきっかけですが、それからは自分でスクールに参加していました。指導方法については、私は平林さんを父親のように慕っており、思いがぶつかることもありましたが、普通のスクールではなかなか経験できないほど本気で向き合ってもらいました。
ある時、道具を雑に扱ったことがあって、その時に思いっきり怒られました。かなり落ち込みましたが、平林さんが本気で私のことを思って怒ってくれたからこそ、その気持ちを感じ取ることができました。そのおかげで、一歩進むことができ、今の自分があると思っています。
平林さんが情熱を注いでくれたことに、心から感謝しています。
実際にプロになれたので、指導力は十分だと思います!
ちなみに今日着ているTシャツの、ベースボールサーファーの古木さんとも交友があります。
古木さんとは昔から親交があり、野球時代にはコーチとしてお世話になった経験があります。それ以来、プライベートでも様々な指導を受けるなど、長い付き合いが続いています。
「誰よりも馬鹿になること!」という言葉をもらったことがあります。つまらないこと(練習)でも、どれだけバカになって取り組めるかが大切だと教えてもらい、その言葉は今でも大切にしています。今でも一緒に海に入ったりしています。

福島でプロ資格を取得した際、プロになることに迷いがあったとのことですが、決断した理由を教えてください
1つの大きな決断は、「プロとしてやることの自覚」でした。
当時、学生から社会人になるタイミングで、仕事としてお金をもらうことの責任感がよく分かっていませんでした。看護師として働き始めた頃は、社会人経験がないこともあって、先輩に厳しく指導されることもありました。特に、人の命を預かる仕事では適当なことは絶対に許されず、仕事の厳しさを身をもって学びました。
その経験を通して、仕事のプロとしての意識や覚悟の重要性を知り、「BBも本気でやるならプロとして決断しなければ成長できない」と感じました。それが大きな後押しとなり、腹をくくってプロとしてやっていくことを決めました。
プロになって、何か変わったことはありますか?
自分の人生や色々なことを考えた結果、BBプロになりましたが、まず地元の鵠沼の方々に「プロになったんだね」と言われるようになり、周りの仲間からも同じように言われることが増えました。それによって、自分もプロとしての自覚が芽生え、振る舞いや言動に責任を持つように意識するようになりました。
また、トッププロの選手たちがBBで生活している姿を見て、生半可な意識では成績を残し続けることができないことを、より身近に感じるようになりました。
その結果、練習や日頃の意識改革にもつながり、プロとしてさらに成長するために頑張る意識が強まりました。
一番印象に残っている試合はありますか?
やはり北泉の時が一番印象に残っていますね。
プロ資格を獲得した瞬間、どんな気分でしたか?
僕の中では、20歳で大会に出始め、プロを目指すという計画を立てていました。そのプランでは、23歳から24歳までに大会に出て、3、4年内に絶対プロになるという目標を設定していたんです。それが実際にかなったときの嬉しさは今でも忘れません。
目標としている人はいますか?
はい。BB業界ではありませんが「看護師シンガーソングライター」として活動している瀬川あやかさんです。
看護師とアーティストの二刀流で活動しているのを学生の頃に知り、僕も2つの仕事を持って頑張ってもいいんだなと背中を押されたんです。その方に少しでも近づけたことが嬉しかったですね。
周りの人からは「3、4年でプロになったんだ、トントン拍子だね」と言われることが多いのですが、実際には、看護学生として実習や国家試験もありながら、波乗りや大会に出ることに対して、正直葛藤がありました。
看護学生の中には、「他のことをやるなんてタブーだ」といった雰囲気もあり、そんな中で戦っていたという感じです。そのため、一度は辞めようかとも思ったことがあります。
でも、看護師シンガーソングライターという二刀流で活動している方を見て、「もしかすると、自分もやってみなくちゃわからないんじゃないか」と思えるようになりました。そこからは葛藤もありましたが、少しずつ乗り越えられるようになりました。
ルーキーシーズンの目標は?
目標は、去年クォーターファイナルまで進出したので、今年はファイナルまで進めたらいいなと思っています。
もちろん、出場するからには優勝を狙って練習しているので、そこを目指していきたいです。
10年後の自分はどうなっていると思いますか?
まだぼんやりとはしていますが、今看護師として働いているのもすごくやりがいがあり、まだ極めたいという気持ちも強いです。また、BBもプロになったばかりで、大切にしています。なので、この2つをどこまで両立させて、さらに上に上がれるのかという期待感があります。
ただBBの楽しさを伝えるだけでなく、看護師として、医療従事者だからこそスポーツやBBの素晴らしさを伝え、健康の重要性や大切さも同時に伝えられるようになりたいです。
自分ならではの活動も今後できたら、よりもっと色んな人に貢献できるかなと思っています。
世界も視野に入れていますか?
はい!もちろん考えています。
ただ、そこを目指すためにはまず計画通りに23、24歳でプロになったので、まずは20代中盤から後半までに日本チャンピオンを取ることを目指しています。それが達成できたら、次に世界を目指すことを考えたいと思っています。
プレースタイルやライディングの特徴について教えてください
僕は周りから「ザ・パワースタイル」と言われることが多いですね。とにかく大きくて掘れた波を、思いっきりスピードを出して飛ぶ、まさにパワープレーです。
得意な技や技の名前についても教えてください
今は、基本的なエルロロをよくやっていますが、それから進んで、インバートエアやエアーズなど、エルロロよりも難易度が高いエア系の技を練習しています。
自分の課題は何ですか?
今でもエア系の技をやると「すごいね」と言ってもらえることはありますが、もっとプロとしてのクオリティを高めたいと思っています。誰が見ても「うわ、やべえ!」と思ってもらえるようなライディングを見せられるようになりたいですね。
自分のライディングスタイルについては、パワー系を貫きたいという気持ちは変わりません。
BBの魅力は何ですか?
エンドセクションももちろん見どころですが、僕には一つこだわりがあって、鵠沼の大きな波が上がった時や、湯河原のすごいダンパー(鬼ダンパー)の時に、サーファーがバツみたいになっているようなシチュエーションでやるのが好きです。
そういう時にこそ、BBの醍醐味が感じられます。特攻隊長になった気分で、サーファーが「これ無理だよ」と思うような波に、僕は「じゃあ頂きます!」って言って攻めるんです(笑)。
BBの魅力は、周りから引かれるような波にも突っ込んでいけることです。掘れた波を攻められる点が、本当に楽しいんですよ。
もしBBの魅力を一言で表すなら、「攻められる」ということです。低い位置から見ることで、サーフィンよりも波の高さがもっと大きく感じられ、スリル感がたまらないですね。
怖さは感じたことはありますか
怖さは感じたことはありません。大きな波をやる中で、サーフィンよりもさらに大きな波を感じる瞬間があり、特に潰れるエンドセクションでドバーンとぶつかるところに果敢に攻めていくのは、なかなかスリリングで楽しいですね。
普段の生活を教えてください
普段は鎌倉市の病院で手術室のオペ看護師として働いています。緊急の案件がない限り、仕事の時間は決まっているので、朝に海に入ったり、夏は仕事が終わった後に海に入ったりしています。
現在は鵠沼で一人暮らしをしていて、実家も比較的近いです。
一人暮らしを始めた理由は、社会人として経済的にしっかり自立したいという思いからです。
普段は特別なトレーニングはしていませんが、フォーム練習やボードを持ってエルロロの動作確認をメインに行っています。あとは、海に入ることで必要な筋肉を自然に鍛えている感じです。食生活に関しては、夜ご飯を食べ過ぎないように気をつけています。
BBの上達のためのアドバイス的なものを教えてください
最近はYouTubeやスクールなどで、技術的な情報が豊富に提供されています。そのため、技術習得の材料には事欠かないと思います。
私が大切にしているのは、技術だけでなく、自分の「適性」や「自己理解」を深めることです。
私はパワースタイルが得意ですが、テクニック系は少し苦手です。自分に合ったスタイルを理解し、持っているものと目指すものの適性が一致していることが大切だと思っています。もし適性が違うと、なかなかうまくいかないことが多いです。
さまざまなタイプの人がいると思いますが、自分に合ったタイプの人を目標にすることで、成長が早くなると思います。
日本のBB業界は若い人が増えているイメージがありますが
日本のBB業界は、若い世代が増えているという印象があります。
私もBBを始めてまだ4年で、業界について語れる立場ではありませんが、女性は少しずつ増えてきている一方で、男性はまだまだ少ないのが現状です。
先輩たちから聞いたところ、業界の全盛期と比べると現在はかなり落ちているとのことです。だからこそ、今はみんなで協力し合って盛り上げていこうとしているところです。
男性のボディボーダーが増えるよう、活動に力を入れていきたいと思っています。
露出を増やして、もっとPR活動をしていきたいですね。
BBを始める人たちにアドバイスを
サーフィンやBBの面白さは、身体能力だけでは決まらないところが魅力的だと思います。テクニックや波のつかみ方など、技術的な要素が大切で、その部分がまた面白いポイントだと思います。そういった魅力がBBの特徴の一つだと感じています。
BBを始めるには、入門セットを揃えるだけでだいたい10万円以内で収まるので、意外と始めやすいと思います。
最初は一人で海に行くのが怖いかもしれませんし、ルールもわからないことが多いと思います。だからこそ、まずは誰かと一緒に行くか、スクールに参加するのがオススメです。もちろん、友達と一緒に行くのもいいと思いますよ。
座右の銘とか格言はありますか?
最近、看護師シンガーソングライターの瀬川あやかさんの「アオ」の歌詞の一部に強く共感しています。
「前途雨予報でも 帰る場所があるから あえて戻れないような道を 進んでいく強さを持って」という部分が、今の私の格言です。
私も二刀流で、同じように目指して進んでいます。どこまで進めるかはわかりませんが、自分の信じた道を信じて進みたいと思っています。この歌詞に、今の自分を支えられていると感じています。
ファンの人たちにメッセージを
プロになる前から、たくさんの人に励ましや応援をもらって、今の私があります。本当に感謝しています。
これから私が伝えていけることは、私自身が憧れた人のおかげでこの道を進むことができたので、今度は私が誰かにきっかけを与えられる存在になりたいと考えています。
二刀流として活動を続ける中で、本心から頑張りたいことや、こういう人になりたいという気持ちがあれば、その気持ちを大切にして、自分の道を進んでいけるんだということを伝えられるような人になりたいです。そういった気持ちを後押しできるような活動ができたらと思っています。
永見幸太郎プロ戦歴
⚫2022年鵠沼ブギーカップ優勝
⚫2022〜2024年NSA 全日本選手権出場
⚫2024年NSA AA公認大会 藤沢市長杯優勝
⚫2024年茅ヶ崎市長杯 準優勝
⚫2024年JPBA第3戦北泉サーフフェステバル クォーターファイナル進出。ランキング8位。