SonさんのBig Splay
RIP Mr.EDO
元ガイドで数年前に亡くなった“EDO(エド)”のことについて触れておきます。
今回利用した新・SAMASAMA号を、コロナ前に一度だけ利用したことがあります。
その当時はJI-ALARM(ジアラーム)号という名前のサーフボートで、オーナーかつサーフガイドを担っていたブラジリアンの“エド”が我々を温かくコーディネイトしてくれました。
エドは、サーフィンがとても上手で、かつフレンドリーで心優しいナイスなサーフガイドでしたが、その後白血病に倒れてハワイの病院で治療していましたが、残念ながら薬石効なく数年前に他界してしまいました。
初代SAMASAMA号は、コロナ禍前にオーナーが乗船していた昼の航行中に岩に座礁して沈没してしまいました。その後はスンバのボートトリップの船は不安定になってしまいましたが、コロナ禍にもなってそれどころではなくなりました。
その後にエドが所有していたJI-ALARM号を、沈没してしまったSAMASAMA号のオーナーが後継の船として遺族から譲り受けて今に至っているようです。
船の目立つ場所に元気だったころのエドの写真が飾られていました。手を合わせて故人の冥福を祈ると共に、航海の安全と波に当たりますようにとお願いしました。
JI-ALARM号は、各ベッドが広いのとトイレ&水シャワーブースが3箇所あるため(SAMASAMAは一つだけ)、朝のトイレや夕方のシャワー渋滞がないのがとても良い点です。また、3階にあたるアッパーデッキには“YOGIBO”のようなビーズクッションがいくつも用意されているので、夜中に流れ星を観察するには最高の環境です。
もしも可能ならば「まだ一度も流れ星を見たことがない」と嘆く都会で暮らす私の4人の孫に、ぜひ一緒に流れ星のみならず、天の川、人工衛星、そして星座についてアドバイスしてあげたいものです。
今回簡易ハンモックをJIN君とSonさんが持参してアッパーデッキに括(くく)り付けましたが、ある移動時は風波が大きくて船は大揺れとなりました。
JIN君を乗せたハンモックはさらに大きく揺れてしまったので、JIN君からの「やば、やばぁ~」の声にKotton君が慌ててハンモックを抑えてJIN君を救出したほどでした。
あのままにしていたら、きっとJIN君は屋根の骨に激突していたかもしれません。
3階にあたるアッパーデッキは船の中では最も大きく揺れる場所なので、この時はハンモックが大車輪しそうなくらいに揺れていたほどでした。
ハンモックの利用は怪我防止のためにも、凪(なぎ)のときか停泊時のみにするのが良さそうです。
Fishingについて
釣りについて多少触れておきます。何とあれだけ釣りが好きで、100kgの魚まで釣りあげられるよう、高級なキャスティングロッドとリールと仕掛けをプロアングラーのショップで用意してもらった私でしたが、今は東京湾のシロギス釣りにハマっているためか、今回はルアーだけは持参しましたがとうとう一度も釣りすることはありませんでした。
一方、船のキャプテンとディンギーキャプテンのヘンドリックスはとても釣りが上手で、カカドゥアの湾内にひと晩停泊した時には、ディンギー2隻で夜釣りに出かけて40cm前後のマダイ似の魚を10匹以上釣ってきました。
またある時は、ドイツ人のキャスパーが運営しているリゾートに我々がWiFiを利用するために行った帰りのトローリングで、見事なカツオを2本釣りあげました。
早速、西郷どん似のコックに協力してもらい、私と一緒にカツオを捌(さば)いて刺身にしました。新鮮なカツオでとても美味しかったので、私が一番多く頂いたのですが、その晩に一人二人とトイレに駆け込むゲストが増えてしまいました。私は朝まで熟睡して何ともなかったのですが、私以外の全員が激しい下痢と嘔吐(おうと)に見舞われ、軽い食中毒を起こしてしまいました。
おそらく、キッチン、まな板、包丁などに菌が付着していたのかもしれません。しかし、一番カツオを食べた私だけが何ともなかったというのは不思議です。
次回からは、キッチンハイターなどの除菌スプレーと100均で買える薄いまな板、そして切れる包丁を日本から持参したいと思います。
正直に申し上げて、今回のボートトリップではノブさんに撮影して頂いた私の写真を見るとまずまずのライディングがありましたが、腰の不調と板のチョイス間違いがあったので、もう少し鋭角に当て込めたのではとの悔いが残ります。
ドイツ人のキャスパーが建てたサーフキャンプにNZ人のサーフキャンプが加わり、さらに我々以外にもう1隻のサーフボートが集まった日もあり、ポイントの最大人数は20人を超える日もありました。
セットの波数は平均3本で最大でも5本くらいと少なく、また遠く南極から届くスウェルのためにセットの間隔も日本の5倍以上も長くなります。
よって、外人がセットに乗ってもパドルバックの速いサーファーならば、次のセットが入ってきた時にはピークに戻っていることもあるくらいです。
さすがに立て続けに乗るのはマナーに反するだけでなく、400mのパドルバックの連続で体力を消耗してしまいます。
そんな中NZのやんちゃな3人のサーファーは、今年からパドルバックをせずにディンギーをインサイドに待たせておいて3人NZ人が乗ったらピークに運んでもらうことを始めました。
かつて行ったG-LandのBobby’s Surf Campの食堂のホワイトボードには「(パドルバックで)パドリング出来ないものはサーファーにあらず」と書かれていました。
贅沢な振る舞いを戒めた素晴らしい言葉だと思いますが、楽な方にはどんどん流されていくのが人間の“さが”なので、このスンバのド田舎でも楽な方に変わっていってしまうのでしょうね。
まだ最後の楽園である朝イチなどの時間帯が残っているのが救いですが、経済発展、利便性の向上、世界的なサーフィンブームの進展とサーファー人口の増加によって、少しずつ楽園では無くなってしまうのかもしれません。また、平和な日本がいつ戦争に巻き込まれないとも限りません。
今その時を真剣に生きる、真剣に波乗りする、ということでしょう。
私が愛する、鎌倉七里ガ浜の波も、今では満潮前後には地球温暖化の影響による海岸浸食によるドン深地形とそれに伴う激しいバックウォッシュの出現によって、波がヨレてボヨンボヨンになってしまい、波乗りすること自体が危険になってしまっている程です。
10年、20年後に、今まで通りに波乗りが出来る保証は全くありません。
SDGsを推進することに積極的に協力していくことと、まだ多くの国や国内のポイントでは波乗りすること自体が出来ていますので、もう一度繰り返しにはなりますが、「今その時を真剣に生きる、真剣に波乗りする」をお互いに強く心に刻んで参りましょう。
つたないコラムを最後までお読みいただき、心から感謝申し上げます。(了)
All Photo By NoBuFuKu.