☆加藤のウラナミ『FIJI、15年ぶりの素敵な再会』

☆加藤

☆加藤
会社代表であり、波乗りと海が大好きなサーファーです。子どもたちに安全安心な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

社長

15年経ってもViti Surflegendの名前は残されていて感激でした~!!(向かって左側は同社長のイアン・ムラ、右側は筆者)

 
 

7月末に、3泊5日の弾丸ツアー(サーフトリップ)で、南太平洋に位置してWTが開催されたことでも有名なタバルアクラウドブレイクがあるフィジー(FIJI)に行ってきました。いずれコラムとしてお届けしますのでどうぞお楽しみに。

このサーフトリップで、15年ぶりにフィジアンの友人であるイアン・ムラと再会し、お互い元気で家族と幸せに暮らしていることを確認し、また友情が保たれていることを実感してとても嬉しくなりました。

今から20年くらい前の古い話になりますが、まだインターネットが普及していず、弊社の波情報は有料音声テレホンサービスのダイヤルQ2『サーフゴーゴー』を運営していた時代で、まだ社員も10人くらいだったと思います。
 
懐かしい当時の社員とサーフチェック車両として活躍した「いすゞビッグホーン」
 

懐かしい当時の社員とサーフチェック車両として活躍した「いすゞビッグホーン」
フィジーの離島のマナリゾートに勤務する日本人のI君は、フィジー本島でしかサーフィンすることが出来ず、やはり本島でしかサーフィンできなかったフィジアンのイアンとは必然的に友達になりました。

当時のタバルアやナモツ島のクラウドブレイクなどのサーフポイントは、島に滞在するゲストしかサーフィンすることができないクローズポイントで、フィジアンなのにそこでサーフィンできないことをイアンはとても憂慮していました。
また、イアンはフィジアンの子どもたちに、もっとサーフィンを楽しんでもらいたいのに、国内にサーフショップが一軒もないため、スクールやレンタルもなく、またWAXを買うのにも苦労することを嘆いていました。
ある時イアンとI君は、自分たちでサーフショップを立ち上げるプランを話し合いました。ただし、本島に土地は安くて沢山あるものの、二人には先立つものが少なく、結局I君の知人を頼りに日本のサーフィン企業にスポンサードしてもらうことを計画しました。
来日して一生懸命回って各社にプレゼンしたものの、フィジーのサーフショップへ投資する会社は一社も現れませんでした。その動きをずっと見守ってきた弊社は、ちょうどサーフチェック車両の更新を考えてお金を貯めていました。その車はすでに20万kmの走行距離となっていたものの、まだディーゼルエンジンの調子はよく、もう10万km走らせることも問題なさそうでした。

社員で話し合って、結局その更新費用をフィジー初のサーフショップ開設に融通してあげることにしました。ただし、条件を二つ付けました。一つは、FAXで毎日フィジーの波情報を届けること、二つ目はサーフショップ名の中にサーフレジェンドの名を入れることでした。
そして、誕生したのが『Viti Surflegend(以下VS)』です。“Viti”とは、フィジー本島の名前です。
多分6~7年間は、イアンがFAXで波情報を毎日届けてくれたと思います。その後、インターネットが普及し始め、WTの大会でさえライブで見られるようになり、FAXの波情報は“ある事件”で廃止となり、当時はサーフィンワールドの編集部にいて、イアンとの交流があった赤井得士君と一緒にフィジーの離島でのイアンの結婚式に参列したあとは、日本とフィジー間に飛んでいた直行便も無くなり、いつしかVSとの関係も疎遠となってしまいました。

それから15年後の今年、フィジーと日本を結ぶフィジーエアウェイズ社による直行便が復活し、マナリゾートに努める赤井君の知人の松本君と赤井君がプランナーとなって、今回のフィジーへのシューティングツアーを実現してくれたのでした。

弊社と疎遠になったあとのイアンは、タバルアなどのポイントのオープン化に向けて、サーフィン界のみならず、政治家などにも働きかけて見事実現させました。そして、VS社は本島やマナリゾートからスピードボートで、クラウドブレイク、ナモツレフト、ウィルクスなどへ日帰りのサーフィンツアーを手掛けて成功していたのでした。

フィジーの空の玄関口のナンディ空港で、イアンとの15年ぶりの再会は、お互いにすぐに分かり、感動のハグとなりました。
その時のイアンは“FIJI SURF”のポロシャツを着ていたので、『もうVS社は無いのかな?』と勝手に思ったのですが、FIJI SURFはVSを含めたいくつものサーフィンの組織をまとめたフィジー全体のサーフィンビジネスをまとめる会社であり、VSはその中核を担っていました。イアンは両方の会社の社長を務め、リーダーシップに長けたイアンならではの活躍ぶりを、改めて強く感じました。

直行便が飛んだことで、再びフィジーが身近に感じられ、また実際にサーフしたタバルアクラウドブレイクは、期待を裏切らないワールドクラスのスーパーレフトでした。3本だけでしたがスーパーロングライドさせていただき、その波のクウォリティーの高さを全身で実感させていただきました。
そのこともありますが、15年ぶりに再会したイアンとVS社が成功し、なおかつ今も弊社や私のことを気に掛けてくれていることが何よりも嬉しかったです。

それもこれも、これまで弊社を支えてくださったユーザーの皆さまのお陰であり、またこのような素敵なプランを持ち込んできてくれた赤井君とマナリゾートの松本さんのお力添えがあったからであり、皆さま方に心から感謝申し上げます。

サーフィン界は、“It’s small world”と言われますが、サーファー同士のご縁は「海からの素敵な贈り物」と言えるでしょう。

“SURFING”は本当に素晴らしいライフスタイルであることを、改めて実感したフィジーへのサーフトリップとなりました。(了)
 
 

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