ハンマーのウラナミ『漁村へ in宮城県石巻①』

ハンマー

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ハンマー:学生時代はウインドサーフィンが大好きで海に没頭。しかしバブル崩壊とともに遊んでばかりじゃイカンと自然と海からも遠のいでいました。現在の趣味は40過ぎから始めた空手で、強くしなやかに動けるカラダを追い求めています。仕事は営業と経理事務を担当。

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(仙台駅から石巻駅までは快速でも約50分はかかります。)

東日本大震災が起きてから、2016年12月で5年9か月が経ちました 。
当時、サーフレジェンドのスタッフはその年の5月中旬までの一カ月近くを交替で、震災後の復興ボランティアとして岩手県釜石市に入り様々な活動をしました。

支援物資の配送・がれきの撤去・泥まみれの家屋の洗浄や清掃など、自分たちが出来るものは限られたことだったかもしれませんが、これまで経験したことが無い地震・津波という自然災害の凄まじさを、現場に入ることで身をもって知る事が出来ました。

あれから5年が過ぎて被災地の復興はニュースで見聞きはするものの、どのように進んでいるのかが気がかりでした。自分には東北地方の土地勘が無いことがあって、ニュースで伝えられる断片的な情報だけでは、頭の中でつなぎ合わせることが出来ませんでした。

ちょうどそんな時、10月に開催されたあるイベントで「石巻の漁村で漁師さんの仕事を手伝いながら7日間を過ごす」というプロジェクトがある事を知りました。イベントブースのスタッフに熱心に勧誘され興味を持ってしまったので、自宅に戻ってからすぐに妻に相談しました。

「実際に被災地で生活することで、きっとわかることがあると思うんだよね。ちょっと長く留守をしてしまうけれど、行かせてもらえないかな?」
家族には自分勝手ではないかなと思いつつ、正直に気持ちを話しました。
「いいんじゃない。家の方は大丈夫だから、気をつけて行ってきてね。子供たちにも出来ればボランティアを経験させたいわ。」
と、快諾してくれました。
「お父さんが漁師さんやるの? ケッコウ向いてるかもね。新鮮で美味しいお土産をヨロシクね!」
娘も気持ちよく私を送り出してくれました。

ボランティア活動保険の加入もすませ、会社にも休暇届を提出しました。
そして数週間後、漁村留学の予約を入れた約束の日。

まず石巻駅に降り立った私を迎え入れてくれたのがこの美人。

駅舎を出て振り向いた途端、003嬢が自分を見て微笑んでいた…(嬉しい)。

駅舎を出て振り向いた途端、003嬢が自分を見て微笑んでいた…(嬉しい)。

今回のプロジェクト事務局での待合わせには、まだ多少の時間があったので町中の散策をしてみました。
石巻市街のいたるところで彩りを添えていたのが、漫画家の石ノ森章太郎さんが手がけたヒーローの等身大フィギア達。少年時代になじんだヒーロー、懐かしい仲間に再会したような気になりました。

中心街の人通りは、平日だったせいか人の気配というものがありません。
むしろ目に飛び込んできたのは仮設の商店街の跡地、きっといろいろな思いがそこにあったのでしょう。
町の中心部にまで津波が押し寄せた形跡がそこかしこにありました。
どこか賑やかな活気や、雑踏の中の話声、そんなものを探し回っている自分が居ました。

ここはすでに閉鎖されているのかもしれませんが、仮設住宅が当たり前のように点在していました。

ここはすでに閉鎖されているのかもしれませんが、仮設住宅が当たり前のように点在していました。

駅から7分ほど離れた場所にある事務所で、今回のプロジェクトの詳細説明が行われた後、いよいよ今回お世話になる漁師さんが私を迎えに来てくれました。

私と同年配のその方はSさん。漁業のほかに水産物の加工販売を手掛けているとの事。
今回の任地は「十三浜大指」という場所になりました。
石巻駅から車で50分ほど東に向かった北上川河口の追波湾に面している小さな漁港です。

Sさんは配達の途中で私をピックアップしたので、冷凍車の助手席に乗らせていただきました。
北上川の河川敷の道路を海に向かって下流に進み、土を盛ることでかさ上げされた川沿いの道路が延々と続きました。

大きな橋のたもと近くに車を停めました。
どうやら津波によって流された橋だそうで、新北上大橋というそうです。Sさんは車を降りると、私に後についてくるように促しました。
目の前に大きな廃墟と化した建物がありました。

それはテレビでも何回か見たことがありました。
私は体が震え、荒涼とした跡地を前に、手を合わせてご冥福を祈りました。
「天災による人災」それは裁判で争っているとの事ですが、この地で起きた「重い教訓」だけは伝えていかなければ…。

ここが大川小学校。多くの児童が犠牲になってしまいました。

ここが大川小学校。多くの児童が犠牲になってしまいました。

いきなり突きつけられた現実、被災地の方たちの悲しみの深さを私は知ることになりました。
5年の歳月ではとうてい癒されない想い…都会から来た者には風化がはじまっていると感じます。

 

この日からの宿泊は水産加工場の2階の小部屋となります。
夕食はSさんのご家族と一緒に美味しい魚づくしの歓迎の宴をしていただきました。
感激です。

いよいよ明日は4時起きでの出漁です。
夜9時前に寝床に着くなんて、滅多にありません。
どんな漁になるのか、定置網だそうですが何が水揚げされるのか楽しみです。
漁師さんの生活がこれから始まります。頑張って働かねば…おやすみなさい。

※私が参加したのに興味がある方いらしたら、下記をご覧ください。
(イマ、ココ プロジェクト「7日間からできる漁村留学」)
http://inaka-pipe.net/intern/imacocopj/

byハンマー

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