岡崎友子のコラム「ハヤタ・イシイ『巨波への挑戦』part1」

岡崎 友子

岡崎 友子
オーシャンアスリート&ジャーナリスト
鎌倉出身。16歳でウインドサーフィンを始め、大学に入ってからマウイに通い、90年代にはウエイブ年間ワールドランキング2位など入賞多数。他にスノーボード、カイトサーフィン、サップ、フォイル、ウイングなどでも黎明期から関わり、世界の情報を日本に紹介している。自分が恩恵を受け、常に多くを学んできた自然を大事にしていかなければという危機感から、近年はキッズキャンプや環境活動にも力を入れている。

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マウイを拠点に長年世界のウインドサーフィンシーンを見続け、トップライダーたちを間近で取材してきた岡崎友子さん。

数々のビッグウェーブ、世界タイトル争い、そして時代を変えてきたライダーたちを見てきた彼女が今回注目したのは、ナザレという世界屈指の巨波に挑んだ日本人ウインドサーファー、石井ハヤタだった。



ハヤタ・イシイ:巨波への挑戦

石井ハヤタの昨シーズンの冬のミッションは、ナザレの波にウインドサーフィンで乗ることだった。

元々ビッグウェーブが好きで周りをあっと驚かすようなライディングを見せる彼は、自分らしいウインドサーフィンへのアプローチを模索している旅の途中なのかもしれない。

彼がナザレで乗りたい!と強く思ったきっかけは、友人でもあり、世界的なトップウインドサーファー、トーマス・トラベルサがナザレで乗っている映像だった。

2年前に見たその時からすぐにでも行きたい気持ちはあったが、現地に実際にたどり着くまで準備に2年かかった。

そして現地についてからも簡単には行かなかった。

彼は6週間にわたり、初めて訪れたポルトガルでナザレがブレイクするのを待ち続けた。

地球上で最も強烈なビッグウェーブのひとつ――世界でも屈指の尊敬と畏怖を集めるブレイクでウインドサーフィンをするために、コンディションが整うのを待ち続けるのは精神的にも彼に大きなチャレンジ(試練)となった。

そして天気や波について相談できる人はいても、ウインドサーフィンでそれが乗れるか乗れないかを判断できるのは自分だけだった。


彼にとって幸運だったのはウインドサーフィンをよく理解しているカメラマン、マチュー・ペリカン(Siam Images所属のフォトグラファー)の存在だった。

ハヤタの夢の実現をサポートし、セーフティーとのコミュニケーション、撮影の方法などでも大きなヘルプであり、何よりハヤタの挑戦しようとしてることがいかに大きな意味を持つかを理解し、リスペクトし、その挑戦をチームとして共有しようと覚悟を決めてくれた。



マチュー・ペリカン:

2024年11月のこと。ナザレで長い水中撮影を終え、車で帰る途中だった。

激しい雨でワイパーを最速にしてもほとんど意味がない。

頭の中にはまだその日の光景が残っていた。

突然、電話が鳴る。

+81の国番号――見たことがない番号だ。

受話器の向こうから控えめな声が聞こえた。

『こんにちは、ハヤタです。トーマス・トラベルサがナザレでセーリングしている動画を見て、自分もやりたいと思いました』

最初は、またナザレに挑戦したいと連絡してくる大勢の一人で、結局は計画で終わるだろうと思った。

会話は短く、その目標はとてつもなく大きかった。

しかし、ハヤタの思いは強かった。

2006年生まれ、19歳、体重65キロで小柄な彼は陸では控えめだが、水上ではアグレッシブなスタイルを見せるライダーで見るものをあっと言わせる個性を持つ。

言葉は少なかったが、近いうちにナザレの波に乗るのだと彼は確信していたのだろう。

1年後、ハヤタは再び電話をかけてきた。

『マット、準備できた。1月に行く。実現させよう』

会話は1〜2分ほど。

『はい』か『OK』だけの返答。

曖昧さも質問もない。

でも彼の決意は明確だった。

その迷いのなさと落ち着きに、私は深く感銘を受けた。

が、1月にハヤタが到着した時、ナザレは嵐の真っ只中。

洪水が発生するほどで、波に乗るどころではなかった。




ハヤタ ナザレ日記

1月22日

最初にナザレへ行こうと思ったのは、トーマス・トラベルサに強く影響を受けたから。

地図や風アプリ、たくさんの動画を見て、自分にもできると確信したけど、実際に乗れるコンディションに巡り会えるまでは、気が遠くなるほど待たなくてはならなかった。

ポルトガルに到着し、それから一か月間は湿度90%以上、毎日雨の中、乗りたいと夢に描いたナザレ波が来るのを待ち続けた。

これにはかなり悩まされた。

焦りも出てくるし、ここまできて乗れずに帰るかもしれないと考えるのはメンタル的にしんどかった。

滞在前半は兄のタカラも一緒でふたりでとにかく雨で暗い天気の中、毎日天気図を見ながら過ごした。

波が割れていなくても準備することはたくさんあり、まずはその場所をとにかく観察し、いろんなシチュエーションを想定してリスクマネージメントのプランを立てたりした。

その結果、安全第一が一番の条件、手前にあるでかい岩には絶対近づかない、と心に決めた。

風はほぼ右からのサイドショア。

ストームでぐちゃぐちゃな波だったけれど、フェイスが整った時のことを頭に浮かべながら乗るイメージを膨らませてた。

だいたい日々のルーティーンは朝1時間くらいヨガをしてから朝食。

その後海チェック、ダメだったら帰ってきてゆっくりしたり、別のポイントを見に行ったりしていた。

でも頭の中ではナザレに乗ることでいっぱいだったので他の場所で波に乗ることにはあまり気持ちが向かなかった。

毎日波は3~4メートル、風は東南東、南西、北東、逆の風と、ころころかわり、もしかしたらウィンドができるかもと思う日もあったけれど、決定的なグッドコンディションは来なかった。

とにかく寝ても覚めても常にナザレに意識を向けていた。

ウィンドグル、ウィンディ、AccuWeatherこれを日々何度も見返すのが日課になっていた。

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1月25日

南に移動。ペニシェ スーパーチューボスに移動した。

目の前でとんでもなくでかいバレルが巻いていた。

風はサイドオン4.7でいけるかくらい。

出たいと思ったけれど警官二人に止められその日は入れなかった。



1月28日

今までで一番でかい嵐が来て町や木々が破壊されていた。

ナザレのレストラン街は崩壊状態だった。

嵐のためにその後一週間海には入れなかった。

何日かはウインドできたり、小さめの波でナザレでも乗れたけど、とにかく数週間ナザレの波が割れるのを待ち続けるのは何よりメンタル的にしんどかった。

でも約1か月半滞在中ナザレではスターボード、ポートともに安定してセーリングできた。

正確な回数は覚えていないけれど15回以上はセッションを行い、多くが頭上以上のサイズでサイドオフのコンディションだった。

ただ、目的はあくまでナザレのビッグウェーブ。

待ってる時間が長かったからお腹を空かすため、縄跳びを一回20分くらい飛んだり、美味しいご飯を自分で作ったり、おすすめのレストランに行ったりもした。

ポルトガルは海鮮が美味しく、スープもいつも美味しかった。

第2話へ続く

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