☆加藤のウラナミ『憎しみからは、なんちゃ生まれない!!Vol.2』

☆加藤

☆加藤
会社代表であり、波乗りと海が大好きなサーファーです。子どもたちに安全安心な海を残すことと、島国などへ高精細な気象情報を提供することを残る人生のライフワークにしました。サーフトリップネタが多くなりますがお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。

平和で美しい日本の海を守るために……七里ガ浜

話は変わりますが、『マリンウェザー海快晴』が縁で、一緒にお仕事をさせて頂いているモスクワ大学出身のロシア人女性は、大学時代に兵庫県の家庭に一人でホームステイしてから、人生観が大きく変わったそうです。ホームステイ先の老夫婦からは、人生における大切なことをたくさん教わり、日本のお父さんお母さんと呼んでいます。
とくにトイレ掃除については、毎朝きちんとすることの大切さを教わり、今でも職場のトイレを毎朝一生懸命に磨いていると、その会社の社長が語ってくれました。そのエリートでとてもエレガントなロシア人女性でさえも、かつて日本が勝利し、植民地支配されていたアジアなどの国々に勇気と希望を与えて独立運動のきっかけとなった日露戦争については、絶対にロシアは日本に負けていないと言い張ります。モスクワ大学といえば、ロシア最高レベルの大学であり、本人もインターネットで歴史を調べているとは思いますが、永年ロシアで教えられてきた教育の影響は今でも決して変わることはありません。もちろん彼女は親日家であり、日本人が大好きです。本当に教育とは恐ろしいし、日本においても、戦後のGHQ主導による真実を曲げた自虐史観の教育は許されざることです。

欧米とイスラム、民族&宗教間対立、富と貧困、身分制度、エネルギー問題、領土紛争…….その争いの歴史においては、つねに平和を愛する国民、とくに子どもやお年寄りが犠牲になってきました。
敗戦が確実なほど焦土と化した日本を相手に、市民を巻き込んだ原爆投下は決して許されざる行為です。当時のアメリカは日本を恐れるあまり、また早く戦争を終わらせてアメリカ兵の犠牲者を増やさぬために、今のイスラエルと同様に、またそれ以上に残虐でした。その悲しい過去の歴史を乗り越えて、広島、長崎の市民らによる平和への誓いと平和を希求する活動は世界に誇るべき素晴らしいことです。

かつてのウラナミで取り上げましたが、明治23年に親善親日使節団として遠く航海して来日したトルコ軍艦「エルトゥールル号」は、帰路に台風に遭遇して操船不能となって和歌山県串本町大島に座礁し、多くの船員が犠牲になる中、一部の船員が瀕死の状態で打ち上げられました。村民総出で救出活動をして、冷え切って死にかけている船員には女性が素肌を寄せて温めたそうです。当時の貧しい漁村には、非常食のコメや鶏は貴重な蓄えでしたが、衰弱したトルコ軍人に温かい精がつく料理を振舞って一生懸命に介抱したそうです。
この話はトルコ国内で語り継がれ、今でもトルコが親日国家となっている理由のひとつだそうです。

何の見返りも求めずに、死にかけているトルコ人を助けた大島の村民の尊い行為は、その後1985年のイラク・イラン戦争時にバクダッドで逃げ遅れた日本人の救出劇につながり、1999年のトルコ大地震では、逆にバクダッドで助けられた日本人商社マンらが中心的に動いて、トルコへの迅速な救援活動に結び付きました。復興したあとのトルコの被災地の通りには、日本に感謝して“東京ストリート”“神戸ストリート” と名付けられたそうです。
最悪の状態の時に、善意による無償の行為で救済してもらったことは、誰もが生涯その恩を決して忘れず、その後の両者間においても円滑な関係が後世においても築かれるのが自然な成り行きです。これこそが世界平和につながるであろう“助け合いの連鎖”となることは日本とトルコとの歴史が物語っています。

まずは集団的自衛権の閣議決定を覆し、被爆国であり敗戦国の日本だからこそできる、世界への平和教育などの支援、3.11で活躍した自衛隊を中心とした災害時緊急援助活動のさらなる展開、そして防災対策や防災教育などを通して、世界のあらゆる国から信頼を勝ち得ることこそが、世界と日本の平和に必ずやつながると信じています。
世界が“憎しみの連鎖”から“助け合いの連鎖”へ舵を切り、悲劇を一日でも早く終わらせたいものです。(了)

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