@Arahama.
2月某日、久しぶりに亘理の荒浜を訪れた。
荒浜は宮城県の南に位置し、冬の北うねりにも敏感に反応するので1年中コンスタントに波がブレイクする。コンパクトな三角波を形成する「プール前」、パワフルな波質が特徴の「河口」など様々な波がブレイクしている。俺は特に河口側が好きで、台風や低気圧が通過しサイズが上がれば遙かアウトから割れだし、河口特有のマシーンブレイクが出現する。2013年にはロブ・マチャドもサーフィンし話題になった。
そんなサーフィン天国荒浜には東北のレジェンド越後一雄さんのショップ「BARE FOOT SURF」があった。そして若かりし頃の越後将平、高橋雄治、越後耕平などのサーファーが切磋琢磨しあったポイントでもある。仙台の人達は荒浜のことを“鳥の海”と呼ぶ。すぐ近くに“鳥の海”があるからなのか、仙台にも同じ地名で有名な荒浜海水浴場があるからそれと区別する為なのか、理由はよくわからない。




俺がサーフィンを初めてやったポイントがここ、荒浜。当時、荒浜から車で約30分の、いわゆる仙南に住んでいた為、荒浜がスタートの場所となった。仙南には約5年住んでいた為当時は荒浜がホームポイントだった。冬になると荒浜漁港近くであら汁が無料で振る舞われていた為、友達とご飯だけをラップに包んだおにぎりを持って行き、サーフィンした後、空腹になった腹を十分に満たしていただいた。また、荒浜の波が良くない時はすぐお隣の福島へも近かったりと環境はとても整っていた。その荒浜には東日本大震災の3ヶ月後に訪れて以来、実に約10年振り。震災の3ヶ月後に行った時は、国道4号線から海岸線に近づくにつれ他の沿岸部同様、建物など跡形も無くなっており、車を降りた後、自分が立っている場所がどこなのかさえもわからないような状態だった。あれからどう変わったのか、どのくらい整備されているのか、懐かしさやら期待やら不安やら、気持ちは少し複雑だった。
今回荒浜を訪れる理由は、荒浜にもう一つあったショップ「REAL SURF」のオーナー 残間祥夫さんに会うためだ。荒浜でサーフィンをスタートし、サーフィン写真も撮っているうちに、残間さんにレンズが向くのも自然な流れで、そんな感じで自然とお話もするようになっていった。





しかし、俺が仙南から仙台へ引っ越しホームも仙台新港になってからはずっとお会いできていなかった。そんな時に起こった東日本大震災。その3年後、仙台新港で行われた「北日本サーフィン選手権大会」でばったりお会いした。久しぶりにお会いし当時の事や震災の事など色々話していたら涙が出てきた。その話の中で、店も写真も何もかも全部津波に流されたとのことだったので、じゃあ俺が写真持っていきます!ということで今回の訪問になったが、残間さんの、地域のお祭りや活性化にも積極的に取り組んでおられる様子をSNSで拝見していた事も、尚更お会いしたいと思っていた理由の一つだった。




いざ、自宅を出発し仙台東部道路を南下。鳥の海スマートICを降りると、まずこの看板が出迎えてくれた。

ここからはナビを使わないと全く分からなくなっていたので、GoogleMapが示すラインだけを頼りに進んだ。暫くすると懐かしい建物と震災後出来たであろう建物が見えてきた。そのままグーグルセンセイが示す通りに行くと、そこに新しく出来た「REAL SURF」があった。

お店に入るとチーム員の方々が居て、奥から残間さんがやってきた。約束どおり、当時の写真をお渡しした後、震災後からこれまでの荒浜の状況を教えていただいた。特に驚いたのは震災前にお店があった場所が、俺が思っていた場所とは全然違うところだった事…。それだけ変わったという事だった。街があったこの辺一帯の広い跡地をこれからまた10年かけて観光など、人が来るように開発していくとの方針も町にあるとのこと。俺の故郷大槌もそうだがどこも一緒だと思った。そして、色々お話した後、残間さんと再会を誓ってお店を後にした。


お店を出てから周辺を散策してみた。


荒浜を後にする前に新しく出来た商業施設「荒浜にぎわい回廊商店街」に寄り、亘理名物「ほっきめし」をいただいた。



この日は天気も良かったため、サーファーだけでなくたくさんの家族連れも荒浜に訪れており、釣りや散歩など海を楽しんでいた。
東日本大震災から今年で10年目。
改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、荒浜はじめ、被災地だった地域が更に発展するよう願うばかりだ。

そしてまた、3月11日はやってくる。
