スマホから離れ、裸足で外を歩く。
身一つで海に向かう。陸にはない感覚の自由さと不自由。
これだけでも、サーフィンを始めるには十分な理由になる。
サーフィンは、ただのスポーツじゃない。
サーフィンは、他のオリンピック競技などとは違う。
たとえば、サッカー選手が引退後も、毎日のようにだったり、生涯その競技を続けているだろうか?
ちょっとでも上手くなりたいと練習を重ねる一般の30や40代には出会わないでしょう。
そこらじゅうにいる、趣味で続けているオジサンサーファー。
できるだけ海に入り、まだ上手くなりたいと本気で思っている人たちが、サーフィンでは普通だ。
気持ち良さや健康を求めている人も多いかもしれないけれど。
サーフィン歴40年以上、70歳の方に「テイクオフで悩んでる、足はどっちが先か?」と聞かれたことがある。
「孤独」と「共有」が同居する
サーフィンは個人的なスポーツだ。
波と自分と板だけ。とてもシンプルなのもイイ。
誰も助けてくれないし、誰のせいにもできない。
長年自分と向き合うことになる。
自分だけの都合で海に行けば、波に乗れるのも良い所だけど、仲間と海に入る時も最高だ。
誰かのいいライディングを見たときの嬉しさや失敗のおかしさ。
特に良いコンディションや、楽しかった旅の余韻は何年経っても続いていく。
サーフィンが、日常を変える
暗いうちからスポーツに向かう大人の姿は少ない。
でも、サーフィンは違う。夜明け前から動く。
仕事前に海へ行く人。昼休みに海へ入る人。仕事後を狙う人。
みんな日常の隙に何とかサーフィンできるタイミングを探す。
そして生活そのものを変える人もいる。
「波が良い所へ移住した」
「良い波に乗るために毎年飛行機に乗る」
「収入や職業を海のためにセーブする」
そんなことが、他の趣味でもあるだろうか?
プレーしたい場所を探して、ゴルフや釣り、ランニングや格闘技のために引っ越したり転職、海外まで旅する人は多くないはず。
海は、世代も超えてつながる場所
サーフィンは、年齢を超えて楽しめるスポーツのひとつ。
親子で、同じ波を追いかける光景。
初心者もベテランも、同じ海に入り波を待つ。子供もお爺さんも。
特別な約束をしなくても、いつもの海に行けば、誰かがいる。
サーフィンには、そんな“居場所”のような空気がある。
飲みの約束じゃなくても仲間に会える。
難しい。でも、だからこそ夢中になる
サーフィンはとにかく難しい。
上達速度が信じがたいほど遅いし、全く思い通りにはいかない。
ちょっと上手くできたのは、ただの錯覚だったり。
海は毎回違うし、波は一瞬で変わる。
変化する水の動きに合わせるサーフィンは、スケートボードやスノーボードのような反復練習ができない。
最高の自然の条件も整いづらいし、その「一瞬を掴む」という行為に、経験と予想、現場にい続けること、家庭円満までが求められる。
美しさと妄想
サーフボードは繊細で壊れやすいけれど、美しくてカッコいい。
毎回、ニューボードを手にする度に気持ちがブチ上がる。
新しいスパイクじゃ、20年もやってたら何も思わないでしょう。
サーフボードは、細かなカスタムオーダーもでき、他のスポーツにはない美的な魅力と、果てしない探求心を刺激する異常な道具である。
サーフィンには、ただ波に乗る以上の“文化”がある。
異なるスタイル、サーフボードの形状や長さ、フィンの数。
美学もポリシーも、個性もあり自由だ。
“カッコいいサーファー”もいれば、“ちょっとダサいサーファー”も、あーはなりたくないなって人もいる。それも含めてサーフィンの一部。
サーフィンが、人生になる
簡単じゃないからこそ、終わりがない。
物を買って終わり、数年で理解したり上達して卒業…そんなふうに完結しないから、人生を通して夢中になれる。
これから始めようと迷っている方、ぜひ暖かい季節にスタートを切ってください。
ずっと続けている方も、これからも楽しんでください。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
