上田純子のウラナミ『プロサーファー』

上田純子

上田純子
上田純子:JPSAショート・ロングのプロであるじゅんじゅんこと、上田純子。★主な戦歴:2000年全日本サーフィン選手権大会4位、2000年東日本サーフィン選手権大会準優勝、2003年全日本サーフィン選手権大会優勝、2005年6月バリ、ウルワツでプロ転向。

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みなさん、こんにちは!今年の梅雨はかなり短かったですね!
夏は大好きですが、波チェックが過酷になってきますので、体力をキープしながら頑張っていきたいと思っています。

なお、湘南エリアでは、連日のオンショアでクラゲさんをお見かけするようになっていますので、念のためご注意ください。

 

私がプロサーファーを目指していた当時は、プロシリーズとプロアマシリーズがありました。

ショートボードでは2005年のバリ・ウルワツでプロになりました。

バリの大会では、アマチュアは予選をクタビーチで開催し、勝ち残った人が本戦(ウルワツ)へと挑めるシステムで、プロになるためには賞金をゲットしなければなりませんでした。(女子はセミファイナル・男子はクォーターファイナルまで進出)

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波は6フィートくらいありました。ウルワツの大きい波はやったことがなかったのでとても怖かったのですが、試合となれば行くしかないと思い、クォーターファイナルで激しいパーリングに0.75ポイントを付けていただいたことをしっかりと覚えています。

セミファイナルでは、ロータイドに近かったため、ワイプアウトをしたら太ももを強打して血だらけで上がってきました。
それでも、プロサーファーになれた喜びの方が強く、その時はあまり痛みを感じませんでしたが、次の日は片足を引きずって歩いていました。

なかなかハードルが高く大変でしたが、プロになった時のことは一生忘れられません。

ロングボードは、2010年の千倉でプロになりました。

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グチャグチャの胸~肩前後のジャンクなハードコンディション。
ローリングスルーができない私でしたが、ショートボードや水泳で鍛えてきたおかげで、潜って泳ぎながら一番に沖へ出たことを覚えています。

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ノーズがほとんどできなかったのですが、サイズがあったおかけでマニューバーで点数を稼いでプロ資格を獲ることができました。

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仲良し未来と♡

子供を産んでからは、プロ登録を辞めるまでたった4試合しか出られず、残念ながら試合にはほとんど出場できなくなりました。

ロングボードは勉強中ですので、もう少し試合に出たかったのですが、毎年の登録料〇万円×2となると・・・((+_+)) と考えた末に3年前に辞めてしまいました。

それでも、サーフィンが大好きで休憩中は30分でもあれば海に入っています。
海に入らないと逆に体が調子悪くなるほどLove♡Surfingですので、フリーサーフィンを楽しんで行きたいと思っています。

まだ先ですが、子供が自立する数年先の50歳くらいになったらまた試合に出ようかな~?と検討中ですwww。

なかなかうまくはいかなさそうですがね(>_<)
みなさんも、体調にはお気をつけてKeep♡Surfing!!

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