With Mr.DOVE / Yasumori Tokura @ Pipeline 2025/3/24
暦は変わって新学期の4月1日〜〜〜
本日のノース、1〜2〜3〜とスモール、、、
昨日でMJSLメンバーは帰国し、残ったコリキ君を今朝俺が空港まで送り届け任務終了〜
ブログの方はINGのサーフレポートではなく、ポツポツと書きたいことを綴っていきたいと思います。
まずは3月24日の最後のパイプデイでのお話お話〜〜
レイトシーズンの3月も今冬は波があり、MJSLメンバー達と連日どこかしらで撮影を続けていたが、
やはりスモールノースが続くとパイプエリアには砂がつきだし、
例によってバックウォッシュが入りだし、ビーチには池ができるという
アーリー&レイトシーズン独特の地形に変化していった。
そんな中今シーズン最後?かと思わせるビッグスエルが前日の3月23日からフィルインしだし、
午前から午後にかけてパイプ&サンセット共にあっという間に猛威を振い出してきた。
ただパイプは例の砂のつきによってブレイクが岸に近くあまりよろしくなく
地形の変わらないサンセットの方がクラシックだった。
そして翌日、、、、朝一パイプをチェックに行くと見事な8〜10ftのAフレームが〜〜〜
久々のベストデイか?と思われたが、ドセットが来襲すると10〜15〜のマッシブコンディション
間隔が長いのでサーファブルなんだけど、一度荒れ狂うとアウトオブコントロール
予報では午後に向けてディクラインだったので、しばらく様子を見ながらパイプでの撮影敢行。
MJSLの中ではスバルとコリキがパドルアウトしたが到底太刀打ちできず這々の態で上がってきた。
やや落ち着く出したかな?と思われた午前9時頃から午後1時頃までは、
相変わらずクローズセットは来るものの、ウエストからフィルインしてくるラインアップは
今シーズンでもトップ5に入るほどのクラシックなパイプラインとなっていった。
もちろんローカルパイプライナーはここぞとばかりにゴーインオフ!!
日本人はいないけど、俺にしてみれば3月下旬まさかのパイプにスーパーストーク。
なのでいつものようにエフカイのライフガードタワー横に三脚を構え撮影に没頭していた。
するとそこへドンピシャのタイミングでトクラさん夫妻が現れた。
ハワイに来ていたのは知っていたが、タウンでのんびり過ごしていると思っていたので、
特に連絡も取らなかったが、今朝突然連絡があり、ノースに行くよとのこと。
パイプに来てから座ることもなく俺の横でキラキラした目でパイプの一部始終を眺めながら、
俺とぺっちゃりくっちゃり海、波、旅の話しで盛り上がっていた。
思えばトクラさんとの出会いは1980年3月オーストラリア・ゴールドコーストのバーレーヘッズ、
自分はまだ大学生でカメラ片手に初めての海外旅行をしてる時だった。
今で言うCTのスナッパー戦が当時スタビーズという名前でバーレーで行われていた。
自分にとってまさにサーフィンカメラマンのスタート地点と言える旅だった。
そんな若僧にも気軽に声をかけてくれ、何処から来たんだ?何処に泊まっているんだ?
テントなんかで寝てるなら俺らのとこに泊まりに来いよ、
湘南に来たら平塚のウチの工場に遊びに来いよ、などと優しく気さくに声をかけてくれていた。
さすが出会ったばかりの目上の人達のところには行けないので、
自分はテント生活に留まっていたが、
そのうち泥棒に一切かっさい盗まれ最低最悪の旅となってしまった。
カメラも衣類も無くなってしまい、もう帰国しようと一旦列車でシドニーに戻るも、
せっかく来たんだからもっと色んなところを見たいと思って気を取り直し、
その後列車やバスやヒッチハイクを駆使しながら、
シドニーからベルズ、そしてベルズからシドニーへと残りの日々旅を続けた。
実はこの時のゴールドコーストで俺の生涯のニックネームとなったKINが生まれた。
自分がいつも担いでいた背負子スタイルが二宮金次郎のようだったので、
トクラさんやタコさんらがいつしか金次郎、キンちゃんと’呼ぶようになっていたのだった。
この奈落の底に落とされたオーストラリアトリップだったが、
自分の中ではこれで終わったらダサ過ぎるので、
本当にサーフィンフォトグラファーになるぞと心に誓った誓えた貴重な初の海外旅行となった。
そこからは振り返ることなく無我夢中で世界中を旅し、波を模索してきた45年だった。
帰国し言われたように平塚のダブの工場を訪れると、
今のような立派な工場ではなくプレハブの小さな工場で当時のオリジナルメンバーが働いていた。
そしてトクラさんに再会すると、中古のスプリングスーツをプレゼントされた。
その日から自分はずっとダブウェットスーツを身につけている。
その後本格的?にサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだし、
ハワイ・ノースショアでエフカイにあったダブハウスにも入り浸り、
1985年には南米・ペルーにも一緒に旅したり、
いち早くメンタワイボートトリップをダブチームと共に敢行したり、
ダブ30周年記念とも言えるマダガスカルトリップはまさにトリッピーだった。
フランス〜スペイン〜ポルトガルを車で縦断したり、
フレンチポリネシアのツアモツ諸島にまでボートトリップをしたりと
思えば世界中の波を求めて旅の苦楽を共に味わってきた。
そんなトクラさんも現在75歳(4月19日で76歳)、歳はとったが今なおお元気で、
サーフィン、スノーボードとノンストップでフットワーク良く動き回っている。
そんなトクラさんと話は尽きることないが、やっぱり基本はノース・パイプライン。
まさかのタイミングでクラシックパイプを拝めるなんてラッキーというかお導きのようだった。
かつてエフカイビーチパークの左半分にダブハウスがあり、
その庭から左11時方向にパイプがみえる。
日本人の本格的なパイプアタックはまさにあそこから始まったと言える。
ダブは今年50周年、自分はノース45冬目、どこまでやり続けられるのかわからないけど、
キンはやり続けられるだけ頑張れよ、との励ましのお言葉をいただいた。
そんな目線の先には10〜15ftの壮大なパイプのラインアップが脈々と連なっていた。

@ Pipeline

