5/23 Legendary Ride / Naohisa Ogawa

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Naohisa Ogawa @ Pipeline North Shore Hawaii

 

今日は故オガワナオヒサの一周忌、、、

未だナオが天に召されたとは信じられない、、、

今もナオが、やっちゃいました〜〜ってはにかむ笑顔が蘇ってくる、、、

そんなナオがあのパイプで突っ走って、輝いて一時代を築いた当時の手記を振り返ってみたい。

 

 

 

日本的な言い方をすればパイプと言えばワキタが思い浮かんで来るはずだ。

もちろんその通りなのだが、

実はオガワナオヒサのパイプデビューの方が先だったことは余り知られてない。

自分が初めてナオを見たのは鴨川のシーサイドで、確か中学生で、

いがくり頭で波に乗るとやたら板を動かし、せわしないほどアクションを入れて来る少年だった。

そして次に見たのは鴨川の師匠・カワイミキオ氏がナオを初めてノースに連れて来た1989年。

今で言うハレイワインターナショナル(昔はマーボー)のジャパンクラスに出場。

若さあふれる縦上がりのサーフィンを披露し、

激浅のトイレットボウルででも果敢なフローターを仕掛ける等、

俺のカメラファインダー越しにフレッシュエアーが吹き込んで来たことを思い出す。

そしてその年、ナオはクイリマにあったビラボンハウスにステイしていた所を、

俺が別のサーファーを誘いに行くつもりで部屋を訪れたが、

たまたまナオしかいず、まっいいかっ~の乗りでナオを連れ出し、

モクレアサイドのとっておきのシークレットレフトハンダーに連れて行った。

コンディションは上々4~6フィートくらい、風も天気も良くって他に人も余り居なかった。

まだ16歳くらいのナオには何の期待もしなかった俺だったが、

いきなり一発目の波を捕えると、ピッキピキのピークからギュイーンとねじ込み、

そのままスタンディングバレルのままスピッツと共にカミングアウトしてきた〜!!

当時この年齢でこれほどスタイリッシュに、

ビッグウエイブ、チューブライディングに長けているサーファーが他にいなかったので、

俺は一瞬にしてナオの類い稀な才能に惹かれた。

その時の写真は当時のサーフィンワールド・ノースショア特集巻頭見開きを飾り、

ナオは若くしてセンセーショナルなノースショアデビューを果たしたのだ。

そしてその翌年・1990年からナオのクレージーとも言えるパイプアタックが始まった。

光沢の銀色に塗りつぶしたガスのヘルメットを駆って、

パイプのバレルには何が何でも突っ込みまくり~~のパイプデイズ~~

やがてその突っ込みがノースショアで知れ渡る存在になり、

ナオのことをいつしかシルバーブレット(銀玉鉄砲)と呼ばれる様になった。

良きにつけ悪きにつけ、

そのゴーフォーイット精神はパイプコミュニティで認められる存在となってきた。

そんなシルバーブレットの印象を決定づけるアンリアルなパイプのウオーターショットが、

フォトグ/ヴィンスキャバティオによって撮影され、

それはサーファーマガジン/フォトアニュアルでダブルページとして使われた!

日本人がまったくのポリティカルリーズンなしで、

天下のサーファーマガジンに載るなんてそう滅多にあることじゃない。

それだけオーラのある写真だからこそ使われたのだし、

その狂気の波を捕えたのがまさしくジャパニーズシルバーブレット/オガワナオヒサだった。

こうしてついに初の本格的な日本人パイプライナーが誕生し、

そのすぐ後からワキタも頭角を現し、その後2人はライバルとして友として切磋琢磨しあい、

90年代の日本人パイプラインアタックの歴史を積み上げて行ったのだ。

中でもパイプラインマスターズには長年に渡って招待され続け、

最も激戦と言われたロコトライアルに2人は挑戦し続けて来た。

ある年ナオは全盛期のオッキー、そしてあのブルースアイアンとのヒートで、

一本目からスーパーナゲッツをメイクしなんと10ポイントを叩き出し、

2本目はその日のビゲストウエイブ/ビゲストバレルを、

スタンディングで万歳しながらスピッツと共にカミンアウト〜これが9.8pt!!

あのレジェンド・ブルースアイアンを押さえてトップ通過になったこと、

リアルパイプという大舞台できっちり2本決めたことに日本中が熱狂した。

自分も水中でそのシーンを目撃し撮影し感動を覚え、

その時水中で捕えたショットはサーフィンワールドのカバーを飾り、

また朝日新聞のスポーツ欄ででも取り上げられた程だった。

(試合中にパイプで10ポイントを叩き出したという意味で)

そしてナオは日本の試合を回ると共に、(もちグラチャンも取ってる)

世界サーキットもフォローし、長年に渡ってコンペシーンの第一線に君臨しつづけた。

その間ややパイプから遠のいた感もあったが、ノースに来ればやはり基本に戻り、

パイプに照準を合わせ、いつものシルバーヘルメットを装着し、

あの神々しいピークへとパドルバックしていった。

次代を担う若手パイプライナーが登場してこない、

この生温い日本のサーフィン界をナオやワキタはどう感じているんだろうか?

彼等がやってきたこと、成し遂げて来たことが、

どれだけの時間と想像を絶するエナジーがプットインされてきたことか?

それを思えば、もう日本からは彼等を越すパイプライナーが出て来ないんじゃないか?

とさえの絶望感に陥ってしまうのだ、、、

 

 

 

と、当時の手記で自分は綴っていた、、、

 

 

確かにその後ナオ、ワキタに続くパイプライナーはしばらく出現してこなかった、、、

しかし、時代と共にマー、シンペイ、そしてケイト、ショータと言った逸材が登場し、

シュンやガイを経て、現在はタイチ、リアル、ダイキ、ケンシン、ショウゴ等へと繋がっている。

コンペとは全く異なるビッグウェイブというカテゴリーの中で、

パイプラインは一つの最高峰として世界に認められており、

そんなハードコアな世界でナオはまさにその名を轟かした先駆者であり、

かつコンペシーンでも燦然としたオーラを見せつけ、

日本の、そして世界のサーフシーンを一直線に駆け抜けていったのだ!!

Rest In Peace  Naohisa Ogawa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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