9/4 DVD 波巡礼2物語 vol-4

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

スクリーンショット 2021-09-02 7.26.46

DVD 波巡礼2・Hiroto Ohhara @ Soup Bowl  Barbados

 

 

DVD 波巡礼2物語・Vol-4はチャプター7・カリブ海編〜
カリブと言えば過去2度プエルトリコへ行った事はあったが、
2018年3月、カリブ海に浮かぶマルティニーク島とバルバドス島へ初めて旅する事になった。
QS3000のマルティニークプロとバルバドスサーフプロが行われるので
多くの日本人プロが参戦し、ツアー1年目のアズチジョー君の引率も兼ねてのトリップだった。
ハワイ〜ロス〜マイアミ〜バルバドス〜マルティニークへと気が遠くなるようなフライトに次ぐフライトを重ね、
目的地のマルティニークに到着したのは丸一日後の真夜中だった。
宿の人が空港まで来てくれていたので、レンタカーで付いて行くが、途中から山道に入り、
自力じゃ絶対辿り着けない山の中腹に今回のステイ先があった。
実は俺らはこうして迎えに来てくれたから無事宿にチェックインできたが、
迎えのなかったサーファー達は路頭に迷い車で寝る羽目になった者もいたくらいだった。
コンテストサイトは島の北東部に位置するバッセポイントで、
風、コンディションはともかくコンスタントに波がブレイクしていた。
宿からバッセまでは車で20分くらいで、島の東海岸を通るが基本トレードウインドでオンショア。
波もシェティなビーチブレイクばっかだった。
なのでサーフ、撮影は基本コンテストを行うバッセのポイントブレイクがメインだった。
しかしどこか風の合った良い所は無いのかと、
先にマルティニーク入りしていたオオタタクト&父・マンちゃん等と島中サーチした。
結果、島の東部に伸びるカラベル半島でサンセットポイントのようなライトハンダーを発見した。
風の合ったビーチに行くとローカルボーイが、もっと先にもっといい波があるよ、と教えてくれたので、
言われた通り山のトレールを歩いてかなりの距離を突き進んでいくと、
なんと眼下に4〜5〜のクリーンなパーフェクトライトハンダーがノーバディでブレイクしていた〜
ジョーとタクトは早速崖を降りバージンブレイクへパドルアウト。
俺たちは崖の木立ちの合間から撮影する事になった。
ちょっとシャーキーな感じもしたが、水は綺麗、誰もいない、風はオフショア、天気はピーカン、
マルティニークに着て2日目にしてこんな波に遭遇するなんて〜〜とマンちゃんも超ストーク!!
しかしその後このポイントが微笑むことはなく、
まさにザデイ・ザタイムのタイミングだったと後に知る事になった。
結局マルティニークでグッドウエイブをスコアしたのはこの時だけで、
ずっとオンショアのバッセポイントブレイクやジャンクなルロランのビーチブレイクでの撮影となった。
2週間が過ぎ、フランス語圏のマルティニークから英語圏のバルバドスに移動し、
バルバドスサーフプロのコンテストサイト・ドリルホールはリーフのレフトハンダーで、
サウスコーストながらコンスタントに波があり、質も良かった。
ただマルティニークからバルバドスへの飛行機が小さく、大量のサーフボードが積み残しになり、
試合を始めるにも始められない異常事態が発生した。
それはジョー然り、タクト然り、他の日本人、外人もそうだった。
なのでサーフボードが到着しているサーファーのヒートだけを先行し、
毎夜毎日俺たちは空港へミッシングボードを探しに行く羽目となった。
やがてこれで輸送便は最後です〜と言うフライトでジョーやタクトの板は到着したが、
それでも板が届かないと言うサーファーもいた。
とにかくようやくマイボードが届きいよいよヒートに望んだジョー君だったが、
悲しい事に一コケしてしまい、彼のカリブレッグは散々なものになってしまった。
しかしそこはマインドを切り替えて、またまたマンちゃん親子とバルバドスのサーフサーチ〜
マンちゃんはかつてダニーメルハドとバルバドスに来た事があり、
ウエストコーストの素晴らしい波や、イーストコーストにあるスラブ・スープボウルをスコアしたことがあった。
なのでマンちゃん案内の元、サウスコーストからウエストコーストへドライブ、
波がラージサイズでは無いので西海岸にまでスエルがラップせず、
やはり波のあるイーストコースト・スープボウルへいってみようとなった。
島の西側から内陸部の山道を突っ切り東海岸に出て、狙いのスープボウルへ行くと、
炸裂とはいかないがブレイクしていたので早速サーフ。
潮も満ちていたので本来のチューブはなかったがポイントのポテンシャルを感じたので、
この日を境に試合そっちのけでスープボウルにフォーカスする事になった。
たまたま俺たちがステイしていたエリアが町外れで、スープボウルへはトラフィックがなく、
いろんなカントリーロードで向かう事が出来たので、
街のセンターゾーンにあるコンテストサイトへの渋滞ストレスからも解放される事になった。
初日はジョー、タクト、ダイキとサーフし、翌日はジョーだけのソロセッションとなったが、
いよいよスープボウルらしいグリングリンのホローブレイクとなってきた。
一方試合の方もほとんどの日本人は敗退したので、皆に明日はスープボウルがいいよ〜とメールしておいた。
しかし波予報でも明日がいよいよザデイになりそうな感じになっていたので混雑が予想された。
翌朝早めにに行くも、波はパンピングしていたものの、やはりローカルサーファーでピークがぐっちゃりだった。
それでもやるっきゃない、多くは望まず快心の一本を狙え、とう事でジョー君がトップバッターを切った。
やがてオオハラヒロト、ワキタタイチ、オオハシカイト、モリユウジ、マツダシノ等もショーアップし、
次々とパドルアウトしていった。
どセットの奥からどチューブになる波はほぼローカルの決まったサーファーだけが捉え、
他はショルダーのおこぼれの波を乗らされる図式図の中、
ヒロトとジョーはしぶとくしつこくディープポジションであの波を待ち続けた。
下手したら1〜2時間近く波に乗れなかったかもしれなかったが、
それでも二人はパックするピークの中からスープボウルらしい波をもぎ取り、
素晴らしいチューブパフォーマンスを発揮してくれた。
入れ替わり立ち替わり全く空くことのなかったスープボウルデイ。
それもそのはずシーズン最後とも言われた久々のザデイの到来だったのだ。
ジャパニーズボーイズは朝から夕方までスープボウルにロックオン。
撮影する俺たちにとってもカリブトリップの最後を締める最高のセッションとなった。
翌朝ももしやと思ってスープボウルに向かうもサイズダウン、オンショア、雨、、、チ〜ン笑
つまりのところこのバルバドス・スープボウルセッションがあったからこそ、
DVD 波巡礼2・カリブ海編が出来上がった、まとまったと言う事になる。
インドネシアやタヒチのようにコンスタントに波を当てる事が出来ないカリブ海にあって、
マルティニークのシークレットライト、バルバドスのスープボウルをスコア出来たことは、
ある意味ラッキーを通り越してミラクルだったと思わざるおえない。
そんなこんなで3週間のカリブトリップも終了し、またあの長い長いフライトでバックトゥハワイ。
バルバドスを飛び立ちフロリダへ向かう空から眺めた眼下の海は、
この世の物とは思えない輝きを放った青さだった。
宇宙飛行士が宇宙から見た地球は青かったと言う名言があるが、
濃紺から水色、クリスタルカラーへと連なっていく海の奇跡が瞼に胸に焼き付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の記事

関連する記事