5/21 Review of 2020~2021 Hawaii Winter vol-3

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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John John Florence @ Backdoor  2021/2/15  9:15 am

 

ノースショアウインターを振り返ってシリーズ・第3弾〜

2月中旬に来たヴァレンタインスエルでのお話お話〜〜

1月下旬に行われる予定だったCT#2・サンセットオープンがキャンセルとなり、

ほとんどのCT選手は1月中に次々と帰国し、ノースにいつものリズムが戻ってきた。

逆に1月中旬〜下旬あたりから日本人プロがノース入りしだし、

波も相変わらず良いので毎日休むことなく撮影を続けていた。

そんな中でも2月12日夕方からフィルインしてきたヴァレンタインスエルは凄かった〜

ロングピリオドのグランドスエルは翌2月13日、

サンセット&パイプは一気にクローズアウトとなり、

サーファブルなのはミディアムワイメアとマッシブハレイワとなった。

自分は、ワイメアにはちと物足りないと感じハレイワへ行くと、

8〜10ftレンジにサムクローズセットが来襲するマックスハレイワコンディションだった。

すでにブラジルのビッグウエーバー・ルーカスシルベイアが一人で乗りまくっていた。

サンセットのマエダ宅にステイしていたロイを連れてきていたが、

ウエットを間違えて他人のものを持ってきてしまい、

すぐ後からカイサと共に来たジョーにトランクスを借りて、

どよめく川のようなハレイワへパドルアウトしていった。

やがてヒロトも来てジャパニーズセッションがスタートすると、

なんとジョンジョン、ロボ、ジーク、コロヘ、ネーザン等も登場し、

一気にスーパーセッションへと突入し、ここからジョンジョンの伝説が始まった。

誰よりもことごとくモンスターセットをとらえ、

どこの誰にもない圧巻のパフォーマンスでハレイワの波を切り刻んで行った。

そのライン、アクション、チューブ全てが今まで見たこともないような、

新しい、異次元とも言えるサーフィンだった。

板を取っ替え引っ替えしながら午前9時から正午過ぎまでガッツリサーフドアウトしたジョン様。

ジャパニーズボーイズも12時半には皆上がり、今度は気になっていたパイプへ〜

そして朝よりは若干落ち着きを見せていたが、相変わらずマッシブコンディションのパイプに、

午後3時前からダイキ、ジョー、レオ、タイチ、ワキタ等が次々とパドルアウトしていった。

するとやがてまたまたジョン様が登場〜

なんでもハレイワの後、グリングリンのログキャビンでサーフし、そのままパイプに来たと言う。

一度波が上がればその時のベストプレースに身を置く行動力、波に対するハングリー精神、

そして何よりもそのタフさには驚かされる。

もちろん夕方遅くまでマッシブパイプセッションが展開され、

ジョンジョンは何本も彼のホームとも言えるパイプのグリーンルームをくぐり抜けていった〜

して、翌2月14日・ヴァレンタインデイはついにまとまりを見せ、

今冬一番とも言えるパイプデイとなった。

もちろんジョンジョンを始め、オールパイプライナーがひしめき合う強烈なセッション。

日本人の出る幕などなく、かろうじてタイチ、レオ、ダイキがパイプナゲッツをメイクしていた。

この日はセットはパイプだったがバックドアもあったので、

あまり好みのアングルではないが、どっちも押さえられる正面からの撮影となった。

凄まじいチューブパフォーマンスが展開される中、午後1時半、、、

レオが小振りのパイプにテイクオフ、がワイプアウト、、、

レオが海面に上がりパドルバックしだした時、岸から物凄い声が上がりだした。

始め何が起きたのかよく話からなったが、レオと同じ波をバックドアへテイクオフした、

ローカルチャージャー、ウエイブオブザウインターにも輝いた事のある

マイキーレッドがすぐ近くにいたサーファーにレスキューされていた。

波自体はミディアムカインドだったがスーパーシャローゾーンに頭からヒットしたようで、

被っていたヘルメットも割れ、マイキーは完全にノックダウン、息をしていない状態だったという。

ここからがハワイの凄いところで、すでに海の中でサーフボードのベッドを作り、

その上で蘇生作業に入り、すぐにライフガードのジェットスキーによって岸に上がると、

本格的なCPRによってマイキーは息を吹き返した。

1分1秒が脳にダメージを負わせるため、迅速なレスキューが必要なことを痛感させられた。

このアクシデントによってパイプも嫌なムードになり、

おまけにコナウインドが吹き始め、なんだか撮影するモードもなくなり一旦カメラを片付けた。

レオも悲愴な顔つきで上がってき、自分もワイプアウトで体をヒットしました、、、と。

思えばこのアクシデントがレオだったかも?と想像するだけで怖くなってきた。

幸いマイキーは蘇生した後、サポートされながらも自分の足で救急車に乗り込んだという。

オンショアでガタガタになったパイプを後にエフカイのパーキングに戻って帰宅しようとしたが、

もう一度エフカイビーチパークからパイプをチェックすると、

さっきまで吹き荒れていたコナウインドがおさまり、逆にトレードがそよそよと吹き出した。

波もまたまたクリーンアップしてきたので、再びポジションに戻って撮影再開となった。

事の全てを見ていた自分達だったが、ライブカメラを見て、あっ空いてる〜

と思って来たトモシゲやジョー等に、大変な事故があったのでくれぐれも気をつけてと声をかけ、

午後から夕方セッションの撮影に突入〜

マイキー事件とオンショアでインターミッションがあったものの、

再びパイプ、そしてバックドアはゴーインオフ!!

もちろんジョンジョンを始めハワイアンローカルが勢ぞろい。

そんな中でもヘルメットを装着したジョーとダイキはピキピキのバレルをメイクしていった。

色々あったが結果素晴らしいエピックパイプ・ヴァレンタインデイとなり、

オールデイシューティングが2日続き、段々と疲れもたまってきた〜〜

してして翌・2月15日が伝説のエピックバックドアデイとなったのだ。

ノースがスイッチオンになると、朝6時半にはビーチ居る。

この日は昨日の6〜8〜10のパイプデイからややサイズダウンし、

5〜7〜のオフザ・バックドアと判断し、まずはオフザ正面にカメラをセットした。

カメラ・レンズをセットし、一番最初にフレームに飛び込んできたのは、

ローカルアンダーグランドチャージャーのジョイジョンストン君だった。

この日は珍しくモーニングシックネスもなく、陽が差し込む前からファイア〜〜

レオも昨日のマイキー事件から立ち直り、朝一からパイプ〜バックドア〜オフザへと〜

やがてヒロトやジン、ジョーやロイ等もバックドア、オフザウォールを攻め込んで行った。

アングルをオフザ正面から、もっとオフザの外れまで移動し、

バックドア&オフザのバレルの中が見える位置にセットし、

一本も逃さないぞ、の覚悟で撮影に臨んだ。

今回のヴァレンタインスエルはウエストリーだったので、

ノースに反応するオフザより、今日もバックドア&パイプがそそり立っていた。

午前7時45分あたりにはププケアの山間からファーストライトが差し込み、

あのノース独特のシャープな順光が、波のブルーフェイスを照らし出し、

世界一とも言える波と光の融合となり、美しい映像が作られるマジカルタイムでもあるのだ。

ローカルにピークを陣取られるバックドアを避けて、大半の日本人がオフザに移動する中、

午前8時40分、シンペイがビキビキのバックドアピークをとらえ、

やや浅かったもののクールにビッグバレルをくぐり抜けてきた〜

おお〜〜シンペイ、やったぜ〜〜とストークしてたら、

その次のもっと凄いドセットをジョンジョンがとらえ、

スーパーディープにスタンディングバレルをど決めして、

爆風スピッツと共に吹き出されてきた〜〜〜

ここからジョンジョンのノンストップバックドア攻撃が始まり、

俺の撮り逃がしがなければ、パイプを除きバックドアへ16本の波をとらえ、

そのほとんどがエクセレントライドと呼べる、

スタンディング・スピッツアウトの連続だった。

そして午前8時40分から風の入る午後13時20分までの5時間弱、

ジョンジョンは至福の時を味わい続け、伝説のライディングを残していってくれた。

もちろんこの間、セス、ロボ、マイコ、イライ、ジーク等の

素晴らしいチューブライドが披露され続けたが、

なんて表現すればいいんだろう、、、

ジョンジョンの自然体、波との一体感、サーフィンを超越したアート、

うまく言えないが、見る者を心地よくさせてくれるパフォーマンス、

その時その場で目撃、記録に残せたこと自体に感謝感激と言うしかなかった。

ジョン様が上がると一気にオンショアが強まり、伝説のバックドアセッションが終わった。

翌日の2月16日はスエルがノースに振り、サイズダウンし、天気もイマイチとなったが、

日本人だけのオフザセッションが切り撮れ、

翌2月17日の午前のセッションで風が変わり、ノースのモードが一変し、

長かったヴァレンタインスエルの終局を迎えた。

このバックドアセッションを最後にジョンジョンの姿を見かけることがなく、

3月頭にロスからWSLチャーター機でCT選手はオーストラリアへ向かったと聞いた。

その後3月〜4月にかけては、もちろんサーファブルだったものの、

ウインディ、レイニーのクラッピーデイが多く、

気がつけばパイプにもっこりと砂が付き、ノースウインターの終焉となった。

 

 

 

 

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