6/3 Preview of DVD Surf Pilgrimage 2 / To The Ends of The World vol-5

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Caribbean Sea

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-03 7.26.15Joe Azuchi

 

 

 

 

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2018年3月、ハワイ・ノースショアシーズンを終え、カリブ海へと旅した。

マルティニーク島とバルバドス島で行われた、QS3000イベントの撮影取材を兼ね、

アヅチジョー君を引率して、約3週間のカリビアンロードとなった。

カリブ海にはかつてプエルトリコへ2度旅したことがある。

初めての時は、大阪のウキモトカズヤ君とのんびり1ヶ月近くの滞在で、

更にプエルトリコからメキシコへ渡り、プエルトエスコンディードまで行き、

金欠になるまで旅を続けた。

2度目はサーフィンワールドの取材で、ワキタタカユキとズッチョ事コウノマサカズ等と旅し、

当時プエルトリコを代表するチャージャー・ウイリアムスークアンがテイクケアしてくれた。

その後長い間このエリアに来ることがなかったが、

多くの日本人プロがこのカリブレッグに参戦するので、

試合の取材がてら、マルティニークとバルバドスのサーフサーチを行おうと思った。

オーストラリアレッグを終えたジョーが再びハワイ入りし、

ホノルル〜ロスアンジェルス〜フロリダ〜バルバドス〜マルティニークへと、

気が遠くなるようなロングフライトとトランジットを経て、

カリブ海に浮かぶ小さな島・マルティニークに辿り着いた。

マルティニークに到着したのがもう夜の9時過ぎだったが、

宿のオーナー・エリックさんが空港にまで来てくれ、

真っ暗闇の道中、レンタカーで彼の車に付いて行き、

約1時間ほど走って、山の中腹にある彼の家に到着した。

メインロードから外れると、バナナロードをグネグネと登っていくので、

絶対にグーグルマップでは行けなかったと思う。

真夜中にも関わらず、ビールと揚げ物でウエルカムしてくれ、

ようやくマルティニークのお宿にチェックイン〜

軽くドリンクオンの後は、やっと足を伸ばして溶けるように眠りについた。

翌日からルマリゴとサントマリーの間にあるこの宿から、山を下り、東海岸沿いを通って、

コンテストサイトのバッスポワントまで、車で30分の道のりを連日通った。

バッスポワントはロックボトムのライトのポイントブレイクで、

オーストラリアのバーレーヘッズタイプの雰囲気を醸し出しているが、

NNEフェイスのため、大西洋からのN〜Eのスエルをコンスタントに拾うが、

N~Eのトレードウインドも喰らいやすく、

トリップ中いつもオンショア〜クロスショアでガタガタしていた。

しかし島の中では一番コンスタントに波があり、サイズも何処よりもあったと思う。

風が入っていても、なんだかんだポイントブレイクらしく、

2〜3発のリップを入れれる波で、試合には充分だった。

初日に行くとすでにオオタ親子がいて、タクトはすでにラインアップしていて、

父のマンちゃん(オオタマサトシ)は岸からビデオを撮っていた。

マンちゃんとは陸奥ロードからの仲で、久しぶりの再会となった。

すでにバルバドスでも数日滞在し良い波をスコアし、

マルティニークでもウエイブサーチをしようとしていたので、

このカリブトリップではこのオオタ親子と動くことが多かった。

マルティニークのウエストコーストはオフショアでコンディションは良いんだけど、

北東のミディアムスエルだとウエストコーストまで波がラップしてこない

して今度は東海岸の中央部に位置する、

プレスキル・ド・ラ・カラヴェルと舌が絡まりそうな東に突出した半島まで行ってみた。

東海岸を北から南下し、ラ・トリニテから東に伸びる半島に入り、

観光名所でのあるタルタンヌを超え、舗装道路の終点にあるのがサーファーズビーチで、

ここもマルティニークではポピュラーなサーフスポットだった。

バッスポワントのどよ〜んとした雰囲気とは違い、明るいビーチリゾートって感じだった。

手前は綺麗なビーチだが、波がブレイクしているところはリーフで、何箇所かに分かれていた。

そしてその場に居たサーフレッスンをしているローカルに話しかけてみると、

このサーファーズビーチのずっと右奥に

ペレアタルテと言う良いブレイクがあるから行ってこいと言う。

遥か彼方だが微かに見え、なんとなく良さげだが、歩くと30〜40分はかかりそうだった。

それも山道で小高い山を二つ超えなければならなかった。

オオタ親子と相談し、よし行ってみようとなった。

機材を最小限にし、山道に入り、海岸沿いの崖っぷちのトレールに沿って歩いて行った。

暑く、湿気も凄かったので、ティーシャツは汗でボトボトになってきたが、

ようやくそのポイントが眼下に見え出してきた。

少し木の間が開いた所からチェックすると、

ライトのリーフブレイクで、ベルジーをもっと大きくしたような波だった。

ドセットは4〜5はあり、オフショア、ドピーカン、

水の色もバッスポワントとは違いブルーブルー、おまけにノーバディアウトゼア〜

ジョーもタクトも一気にテンションアップで、崖を降り、奥底のビーチからパドルしていった。

俺らは高台の方がよく見えると判断し、そのままチェックポイントから撮影することにした。

ポイントはやや沖で遠かったが、何気にサイズもあり、

ソリッド2カーブを入れられ、たまにファーストセクションのチューブもあった。

二人で波を回しながら最高のセッションが展開された。

段々と陽が傾き始め、帰りの時間も考えなきゃならない夕方になると、

タクトはパドルでサーファーズビーチの方へ、ジョーは俺らの居るところに戻り、

また山道トレールをえっちらおっちら帰途についたが、

ジョーはこんな山道でも裸足で平気に歩いていたのには驚いた。

暗くなる前にようやく駐車場まで戻り、疲れと共に良い波をスコアした事に超ストーク!!

その後もバッスポワント共に、足繁くサーファーズビーチに通ってみたが、

この日のスエルを上回る波には遭遇できなかった。

瞬く間に2週間のマルティニークデイズが過ぎ、今度はバルバドスへの移動となった。

ここまでの情報で、このカリブ海の島々を飛ぶ飛行機が小さく、

サーフボードの積み残しが多いと聞いていた。

なので、先にバルバドスに行くタクトの板と、

一日遅れのジョーの板とを、念の為一本ずつスワップする事にした。

そして俺達も3月25日の夕方のフライトでバルバドスに向かった。

同じフライトには多くのQSサーファーがいて、

皆大きなサーフボードバッグをチェックインしていたが、

やはりほとんどのサーフボードがマルティニークで積み残しとなり、

普通の荷物は出てきたが、ジョーのサーフボードも、

前日バルバドス入りしたタクトの板も出てこなかった。

マンちゃんは俺らの迎えも兼ねて、タクトのサーフボードバッグを探してみたが、

まだ着かずの状態だった。

もちろん他のQSサーファーも唖然状態で、とりあえずは空港を立ち去るしかなかった。

俺らもレンタカーを借りて、マンちゃんに先導してもらい、

AIR B&Bで見つけたシルバーサンズの宿に向かったが、

なかなか見つからず、グーグルマップでも探しきれなかった。

シルバーサンズはアフリカンの居住地で、ようやく宿を見つけ、

オーナーはベルマサージェントさん、迫力あるアフリカンのおばさんだったが、

優しくて、たまにバルバドスの家庭料理を振舞ってくれたりしてくれた。

シルバーサンズは島の南端で、空港へは10分ほどだったが、

コンテストサイトであるドリルホールは島の南西端で、車で20〜30分かかった。

多くのコンペティターはもちろんドリルホールの近くに宿を取り、

歩いて試合会場に行ける環境下にいた。

板が届かないジョー君は、まずアライヒロト君やツヅキモモト君らの板を借り、

とりあえずドリルホールで練習〜

ドリルホールはレフトのポイントブレイクで、島の南西端に位置するが、何気に波があり、

試合は予定通り明日から行なわれそうだったが、

如何せんコンペティターの半分以上のサーフボードが届かない、

と言う異例事態となってしまったため、

明日は板を持っているサーファーのヒートのみを行うと言う事になった。

つまり1ヒートの4名の中で、一人でも板がない人がいれば、

そのヒートは後回しにすると言うやり方だ。

そしてコンテストが始まって二日目の夜、

ようやくほぼ全員の板が臨時のカーゴ便でバルバドスに到着した。

ジョーやタクト達は試合があるので寝かせとき、俺とマンちゃんで夜中の空港へ行くと、

大勢のQSサーファーがまだかまだかと板を待ち構えていた。

カーゴ便が到着すると10名ずつくらいがカスタムに入り、自分のや友人のをピックして出てきた。

そんなルーティンが繰り返され、俺とマンちゃんはとうとう最後の最後となり、

無事ジョーとタクトの板をゲットすることができた。

それでもケイジロウとレオの板はまだ出てこず、未だカリブの島の何処かに置き去りにされていた。

0時をまわってようやく帰宅し、明日のジョーのヒートには間に合うこととなった。

そして翌朝ようやく自分の板でサーフすることができたジョー君だったが、涙の一コケ、、、

同じくタクトもR-1で敗れてしまったので、またまたオオタ親子と島の探検に出かけた。

マンちゃんは昔バルバドスに来た事があり、島中のポイントを把握していたので、

まずはドリルホールから西海岸を北上し、色んなポイントを案内してもらった。

スエルがNE、まだ大きくないので、

マルティニーク同様ウエストコーストには波がラップしてこずフラットだった。

そして今度は島を横断し、イーストコーストにあるスープボウルを目指した。

スープボウルはバルバドスを代表するホローライトハンダーで、

かつてケリースレーターがスープボウルのベストデイをスコアし、

当時のサーファーマガジンの表紙を飾り、一躍有名なスポットとなった。

俺もバルバドスに来た限りは、スープボウルの凄い波を見てみたいと考えていた。

バルバドス東海岸の中間地帯・バスシーバと言うエリアにスープボウルがあった。

この日はまだサイズが足りず、胸〜肩〜頭くらいでチューブは全くなかった。

それでもリッパブルな良い波なので、

ジョー、タクト、それに一緒に連れて行ったタナカダイキの3人は、

初めてのスープボウルでシュレッドしまくっていた。

スープボウルを一目見た瞬間から、このポイントのポテンシャルの高さが理解できたので、

明日からは試合そっちのけでスープボウルに通うぞ!と心に決めた。

そして翌日はジョーだけでスープボウルに来たら、

見た目オンショアの頭くらいかなと思って入らせたら、

ボッコリドセットは3〜4あり、選べばドチューブメイカブルの波もあり、

ジョーは数人のローカルと、昨日とは全く違う顔をしたスープボウルを味わう事ができた。

セッション中盤には、同じカリブ海の島、

グアデルーペのレジェンド・QSサーファーのチャーリーマーティンも登場した。

その日の夕方のヒートがあったので、

チャーリーは2〜3本良い波を乗ってコンテストに戻っていった。

波予報では明日がスープボウル・ザデイになりそうだったので、

今日のところはオンショアが吹き出したので、早めにスープボウルを後にした。

試合に負けた日本人プロには、明日スープボウルが良さそうだよ〜とだけ伝え、

翌朝早くに3日連続でスープボウルへ向かった。

果たしてスープボウルは、、、、4〜5〜でファイア〜〜!!

天気はどんよりだったが、風は丸一日もち、潮加減によってはバックドア級の掘れを見せてくれた。

ただワンピークなので、サーファーでパックすればチャンスがない。

ジョー以外に、オオハラヒロト、ワキタタイチ、オオハシカイト、

モリユウジ、マツダシノらが集まった。

ヒロトとジョーはじっくりピークで波を待ち続け、

多くは乗れなかったが、確実にバレルをものにして行った。

海藻がショルダーに浮かび、バレルになるとその海藻を巻き上げながら、

シーウィードチューブになっていった。

スープボウルの情報を聞いて、どんどんとQSサーファーが押し寄せ、

もちろんこの日を待ちわびたローカルサーファーとでスープボウルはお祭り状態と化していった。

たった一週間という短いバルバドス滞在だったが、

シーズン後半のスープボウル・ザデイに居合わせられたことはまさにミラクルと言うしかなかった。

こうしてマルティニークではピレアタルテ、バルバドスではスープボウルと言う、

スペシャルな波の映像を残す事ができ、

またあの長い長いロングフライトを経て、ラブリーハワイへと帰っていったのでした〜

バルバドスを朝一のフライトで発ち、カリブ海に浮かぶ島々を眼下に望み、

西インド諸島からバハマにかけては、

この世のものとは思えない美しい真っ青な海と、真っ白な輝きを放った環礁が連なり、

このカリビアントリップの最後を飾ってくれた。

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-03 7.32.47Hiroto Ohhara

 

 

 

 

 

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