4/2 Story of The Surf Pilgrim vol-6

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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東北の玄関口とも言われている宮城県仙台には、

日本屈指のビーチブレイク・仙台新港が存在する。

新港の特筆すべき点は、ビッグウエイブをホールドできるビーチ。

普通のビーチブレイクなら頭オーバーになるとクローズアウト、

アウトオブコントロール、大味になってしまうが、

新港の凄いところは、バンクのつき方にもよるが、

6ftでも8ftでも10ftでも恐るべしAフレームとなってクローズせず、

美しくもかつ驚異的な破壊力を持つビーチブレイクに変化する。

地形がいい時は、スモール〜ミディアムコンディションでもバレルアフターバレル、

スピッツが吹きまくりのチューブシティとなるから、

仙台いや東北、日本全国のサーファーから愛されているフェイマスサーフスポットだ。

昨冬のウエイブオブザウインター、およびサーファーポールのベストバレルアワーズに輝いた、

あのマツオカケイトを生み、育んできた仙台新港。

今は湘南・茅ヶ崎をベースにプロ活動を行なっているケイトだが、

タイフーンスエルなどで新港が覚醒する時は、

必ずと言っていい程ラインアップにはケイトの姿があり、

今も新港で伝説のセッションを作り上げている。

そんなケイトに続けと、今はオオタタクトがティーンエイジャーとして新港で頭角を現している。

そのタクトの父・オオタマサトシ、通称マンタロウとの出会いが、

俺を東北の魅力へと誘ってくれたのだ。

初めて新港を訪れたのは40年近く前、サーフィンカメラマン駆け出しの21歳の頃だった。

当時若手ダブライダーだった吉浜のヤナギサワジュンイチことジュンボーと、

大磯にスズキヒロシことチロ達とでダブの営業ツアーに乗っかり仙台に向かった。

仙台のパイオニアサーファー・エチゴさんの店がまだ仙台市内にあった頃の話だ。

まだ沖に堤防やテトラもなかった時代で広々としたビーチが印象的だった。

その後エチゴさんは新港の喧噪から逃れるように、

福島県との県境にある亘理に引っ越したが、

2011年3月11日の東日本大震災によって、家、店ともに津波で無くし、

その後疎開し、今はまた仙台市内に戻り元気にベアフットサーフショップを営んでおられる。

それから今度はセキノサトシの営業ツアーに便乗し旅した時にマンタロウと出会った。

マンタロウは新港の隣・閖上をホームグランドとした地味?なプロサーファーで、

この東北営業ツアーに同行してくれた。

仙台から山形〜秋田〜東北〜岩手、そして宮城へぐるりと東北をラウンドしたってわけ。

波には当たらなかったが、見知らぬ海を見、

土地土地でのローカルサーファーとの出会いが後の取材で役に立った。

それからマンタロウとは一気に親交を深め、

彼もまたハワイ・ノースショアに通い始め、

今のタクト以上のチャージを魅せるサーファーとなっていった。

当時まだ西湘の小田原をベースにしていた俺は台風取材で、

茅ヶ崎のサトウカズヤを誘ってアップノース・仙台へ向かった。

果たしてロングドライブの末行き着いた新港は、、、トップの写真の様に大パンピング!!

まだ駐車場もなく、今の様にテトラが入れられてなく、

左端のビーチの奥底からはすぐにゲッティングアウトできた時代。

俺はカメラアングルをそこに決め、逆光にならない様に撮影した。

結果その後JPSAが初めて仙台で試合を行った時に、

この時撮ったラインアップショットが使われることになった。

またこの時ほとんどのサーファーがレフトへ行くのに対して、

マンタロウはライトへのハードなプルインを繰り返し、

当時のSWの表紙を飾ることになった。

その後は足繁く仙台に通い、閖上の農家であるマンタロウの家に寝泊まりしながら、

新港をはじめ福島や岩手、青森の波をハンティングしていく様になった。

この新港を出発点とする陸奥ロードが毎年恒例の行事となり、

当時仙台のアップカマーであったエチゴショウヘイや、

レディースビッグウエーバーのモッちゃんことクマガイモトコさんらと、

秋深まる陸奥の旅に出かけ、素晴らしい波でのセッションを記録していった。

そんな陸奥ロードのスタートとゴールにはいつも新港の存在があり、

仙台という都会のビーチブレイクから、

東北の秘境のリーフブレイクへの誘惑がたまらなく魅力的だった。

閖上をホームとして育ったマンタロウにとっては新港の喧騒よりも、

ストイックでマニアックなアップノースが性に合っていたのだろう。

だから俺の取材はいつも新港がスタート地点となり、

南うねりで新港の波をスコアし、

東うねりの岩手を味わい、

北うねりからの青森で終焉。

そして新港に戻り牛タン食って解散という図式図となって行った。

その後東日本大震災によっての壊滅、

そこからの奇跡の復興を遂げ、

新港はまた誰からにも愛されるビーチブレイクへとリボーンして行った。

最近は圏央道の発達によって湘南からは首都圏を通らずに東北道へスルーできることもあり、

ケイトや同郷の後輩・オジマカイも足繁く故郷・仙台新港に通っている様だ。

日本屈指、いやナンバーワンとも言っていい仙台新港は、

四季折々の顔を見せ、懐深く、

いつでも、いつまでもサーファーを包み込んでくれることだろう。

 

 

 

 

 

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