How zee Braddah !? … Supported By … PIKAICHI …
Rest In Peace … Mr PIPELINE … Mr Derek Ho …
ハウゼ〜・ブラダ〜〜!?
突然の悲しみがやって来た。
オレが人生の全てを賭けている「パイプライン」。
その「パイプライン」における、オレのヒーロー「デレク・ホー」さんが亡くなられた。
一日経った今現在でも、悲しみに暮れている。
・・・涙が止まらない。

R.I.P … Mr Derek Ho …

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オレはボルコムハウスを利用できるようになって6年経つ、それ以来オレは「親日家」であるデレク・ホーさんと親交を深めて来た。
さらに、同じジャパンメイドのウェットスーツ「 WAVE WARRIORS 」を着るようになってから「弟子」「おつき」のように接して頂いて来た。
パイプ・デイの日は1日ボルコムハウスでハングアウトし、デレクさんとたわいもない話までするようになった。
カムハイウェイに駐車している時に会えば、必ず「波どうだ!?」と聞かれ、チルアウトしている時は「みっちゃん元気か?!」と聞かれ、ほんと仲良くしてくれた。

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ボルコムハウスで親交を深めている内に、「デレクさんが、どれだけ尊敬され、愛されているのか?!」を直接見て、感じて来た。

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デレクさんの凄いところは、自分のペースを崩さないところ。
波があまり良くなくても「エクササイズ」と言ってパドルアウトし、滅多に無いが良いコンディションでもバイブスが合わなければ「クルーズ」と言って見ていた。
そして、パイプラインだけでなく、地形が決まっているビーチブレイクでも頻繁にサーフィンしていて、オレはデレクさんが駐車しているポイントは必ずチェックしていた。
後に、そのことを話すと必ず笑顔で「お前もよく見てるな?!」と言われ、オレは「オレはデレクさんのパパラッチだから!!」と言うと、がっしり握手して微笑んでくれた。

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今シーズン、デレクさんの意外な一面も見れた。
ボルコムハウスで行われたパーティーで、あるアートが飾られていた。
正直「ぶっ飛んでいる」アートだと思ったが、「ぶっ飛んでいる」オレには「何か?!」感じるものがあり、ずっと見ていた。
すると「ヘイ、カミオ!これ誰が書いたかわかるか?!」と言われ、「わからない、これぶっ飛んでるな!最高だよ!」と言うと、「お前は分かってるな、これはデレクの作品だよ」と説明してくれた。
デレクさんに聞くと「インスピレーションが湧いた時に書いている」「オレはアーティストじゃない」と言っていたが、オレは「インスピレーションで描く、まさにアーティストですよ」と言うと、あの笑顔で握手した。
・・・あの笑顔がもう見れない・・・思い出すだけで、涙が止まらないよ。

R.I.P … Mr Derek Ho …

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R.I.P … Mr Derek Ho …
これは今年のダ・フイ・バックドア・シュートアウトのオープニングセレモニーでのスマイル。
この先には、同級生でもある「デビット・スタント」氏がいた。
デビットさんの姿を見るや否や、真っ先に駆け寄り「ハワイアン・スタイル」の握手、抱擁し、二人の絆を感じた。
後に、デビットさんからデレクさんとの関係、絆話を聞いて、感動し鳥肌が立ち震えた。

R.I.P … Mr Derek Ho …
デビット・スタント氏・・・デレク・ホーさん・・・ダレル・スタント氏・・・
スタント・ブラザーズとデレクさんの究極なスリーショット。
誰も近ずけなかった雰囲気の中、オレは切り込んで行き、このショットを収めることができた。
まさかこの写真が「このような」カタチとして残されるとは、思ってもいなかった。
オレにとって「幻」「奇跡」「夢」のようなフレーム。

Mr Stant Brothers … Mr Derek Ho …
オレは、デレクさんとワキタを撮影する為にパイプラインに生きている。
パイプラインで「30年以上勤続」でサーフィンしているのは、この二人しかいない。
昔、ワキタが教えてくれた会話にこんなことがある・・・
ワキタがデレクさんに「どうすればパイプラインで波が乗れるようになるか?!」聞いた時・・・
デレクさんが・・・
「ワキタ、パイプラインで波に乗りたければ、365日ずっとパイプラインをイメージしろ!!忘れるな!!」
と言ったらしい。
オレはワキタからこの言葉を聞いてから、今現在に至るまでに1日たりとも「パイプライン」を見ない、想わない日はない。
家には「パイプライン」の写真を飾り、パソコンや携帯には「パイプライン」の写真を保存し、必ず「パイプライン」を見ている。
「パイプライン」はオレの人生の全て・・・死ぬまで追い求める・・・それがオレの目標、生き甲斐。
・・・デレクさん・・・あなたが亡くなられて一日経ったけど、どんどん悲しみが増して、寂しくて悲しくてたまらない・・・涙が止まりません・・・。
本来なら、すぐにでも駆けつけたい・・・でもこんなご時世でノースショアにも行けない・・・あなたの第二の故郷「日本」「JAPAN」から、心よりご冥福をお祈りさせて頂きます・・・
今まで、有難う御座いました・・・。


R.I.P … Mr Derek Ho …
この写真は、今年デレクさんが「オレの親友みっちゃんに届けてくれ!!」「 I love you 」と言って撮影させてくれた一枚。
みっちゃん・・・照岡道廣氏・・・「ROCKHOPPER」「WAVE WARRIORS」メイド・イン・ジャパン・・・メイド・イン・カツウラ・・・ウェットスーツ創業者。
長きにわたり、マイケル・ホー氏、デレク・ホー氏、サニー・ガルシア氏、など世界トップランカーのハワイアンサーファーをサポートし続けて来た。
二人のハワイアン・ワールドチャンピオン・サーファーをサポートし、日本とハワイの架け橋を担って来た。
みっちゃんが体調を崩した・・・と聞き、深く心配していました。
デレクさんは「カミオ、みっちゃんに写真送ってくれ!」「直ぐにでも駆けつけるから!」と最高な笑顔を見せてくれた。
この笑顔は「みっちゃんのためにしか見せない」なんとも「心優しい」日本人を想いやってくれている表情だと思った。
デレクさんは、1984年、1986年、1988年、1990年にトリプルクラウンのタイトルを獲り、1986年、1993年にパイプラインマスターズのタイトルを獲り、その1993年にワールドタイトル、ハワイアン初のワールドチャンピオンとなった。
ノースショア、パイプラインでは神様的な存在であった。
何よりも人望があり、全てのサーファーから慕われていた。
短い期間ではあったが、オレはそんな英雄、ヒーローと近くで過ごせた事を、心から感謝し同じ「パイプライン」の信者として、デレクさんのバイブスを継承させて頂きたいと思います。
改めて、心底よりご冥福をお祈り致します。
神尾光輝

THE GYM 本日のトレーニングは?!
先週、先々週と資格講習を受け、無事に二つとも資格を取ることが出来た。
慣れない勉強、いかに脳みそが退化しているのか?!痛感した。
サーフィンばっかりやってる若者プロサーファー、脳みそを鍛えろ!!身体ばっかり鍛えてるんじゃねー!!確実に脳みそは退化するぞ!!と言っておきたいね。
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