Making of Movie ” FREE BIRD ” vol-4

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

スクリーンショット 2025-08-18 4.50.01

@ Akamata Okinawa Japan 2023

 

宮崎編から日本海編へと続き、更にショートバージョンの沖縄アウターリーフ・アカマタ編へ〜

2023年夏、台風が迫ってくる中、一般ツーリストが沖縄脱出を試みる中、

俺とハラダタイゾウ、ショウゴ親子は真逆のディープサウス・アウターアイランドへと向かった。

そして同日リアルも宮崎から本島経由で目指す離島に到着。

狙いは日本屈指のレフティ・アカマタオンリー。

台風が近いので2泊3日のショートトリップかなぁと鷹を括っていたら

結果一週間近く離島にスタックされてしまったお話お話〜〜〜

台風は予報通り離島の太平洋側を北上し、南東〜東〜北東のスエルを吐きながら、

沖縄本島の方に進んで行った。

こちらとすれば直撃を避けられ、暴風雨にならず、穏やかなコンディションで

アカマタセッションを撮影することができた。

強いて言えば思ったよりもサイズアップしなかったが、スエルディレクションが良く、

ジェットスキーからの撮影もスムースで、大潮周りの朝夕セッションが可能で、

天気も良く、良い感じ〜〜〜だったが、、、、

台風は沖縄本島をもろ直撃、スピードを緩め停滞状態となり本島は大ダメージ、

もちろん飛行機の発着は無理なので、アカマタセッションが終わっても本島に戻れずスタック。

本来なら本島から北へ離れていくはずの台風だったが、停滞から今度は迷走しだし、

まさかの逆戻り、つまり自分達のいる離島の方に向かってきた。

今度はこちらの空港も離着陸不能となり完全孤立状態。

夜は宿で自炊をしていたが、スーパーの食材が日に日になくなっていった。

まずは野菜、肉、魚なんて漁に出れないからあるわけがなく、

もう缶詰やらあるものでなんとか凌いでいた。

迷走台風は離島近くまで来てこっちも直撃か〜と思いきや再び逆走しだし、

またまた本島に向かい、離島からは本島を飛び越す大阪便や東京便は出だしたものの

沖縄本島へは相変わらず欠航が続き帰るに帰れない、、、

波はあるものの風が合わなかったりパッとしない日々が続いていた。

宿代もバカにならず弱っていたらようやく迷走台風ちゃんも本島から離れだし

本島行きが飛び出した1便目でようやく離島から脱出することができたが、

今度は宮崎に台風が直撃しリアルが帰れない。

そこでリアルは俺と一緒にまず神戸まで帰ることにし、

神戸からは先のボックス編で登場したヒョウゴ君がタイミングよく

大阪に居て宮崎へ向かう所だったので、リアルはヒョウゴに便乗して宮崎へ帰ることとなった訳。

なんだか波の話ではなくて台風スタックの珍道中のお話になってしまいましたが、

これもまた旅のエピソードと言うことで笑

沖縄は台風銀座、くれぐれも気をつけましょう〜〜笑

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2025-08-18 4.53.23Riaru Ito @ Akamata Okinawa 2023

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

k050アカマタ沖縄Takayuki Wakita @ Akamata Okinawa 2002

 

 

一本のコーラルウェイが更に沖縄の素晴らしいアウターリーフへと導いてくれた。

 

沖縄に通い初めて35年が過ぎた。

本島を始め本島の回りに散らばる島々、アウターリーフでセッションを重ね、

サーフサーチを続けて来た。

これまでの経験、知識、行動によって、

その都度の台風でどこが良くなるのかの方程式が出来上がって行った。

多い年では2度3度と沖縄を訪れ、台風最前線の波をスコアしてきた。

そんなある年人生観が変わるド肝を抜く出来事があった。

 

2002年の夏、ワキタと当時まだ17~8歳だったケンタ(ハヤシ)とタイゾウ(ハラダ)等と

台風の来る沖縄に向かった。

東面を通る予想進路が出ていたので狙いは本島東面にあるイースターリーフのレフト。

あのハイクォリティなインサイドボウルをワキタやケンタが滑るとどんなだろう?

と想像するだけで気持ちが高揚してくる。

しかし、自然はそんな甘くない、、、

台風はコースを本島寄りに振り明日からは大雨のストーミーコンディションに入るだろうと、

これまでの予報が覆された。

皆諦めモードで今回は仕方が無いですねとテンションダウン、そそくさと寝に入った。

俺は何度もテレビの天気予報を見て(今みたいにインターネットを駆使してない時代)

ため息をつくばかりだった。

しかしよく見てると本島は大雨マークなのに南の八重山諸島は晴れマークになっている。

同じ沖縄でもやはりあれだけの距離が離れているので天気も全然違うのかな~~?

と、ふと一年前に遊びでトリップした八重山のナオゾウ(カラ)のことを思い出した。

軽い気持ちで電話してみると、

”今日はドピーカンのオフショアで、6~8フィートくらいありました~~~

パイプラインみたいで、僕はできませんでしたけど~~~明日も、同じくらいありそうです~~~

来られるんですか~?来て、見てみてくださいよ~~”

俺はナオゾウの言葉がやや信じられず、

サトル(ナカチ)に電話しカクカクシカジカ、、、と説明した。

サトル君も行った事の無いエリアなので何ともいえないが、

こっちにいても明日からはストーミーだから行くだけ行ってみますか!ということになった。

台風が近づいているので飛行機が飛ぶかどうかチケットが取れるかどうかも心配だったが、

明日の朝一の便ならまだ飛ぶ、席も充分にあると言われ、速攻予約を入れ、

ナオゾウに明日行くからよろしくと突如行動が慌ただしくなった。

翌朝本島はどしゃ降りの雨となり、未練なくアウターアイランドへ旅立てると、

サトル君の迎えを待つもいっこうに来る気配がニャイ!(出ました、オキナワンタイム、、)

もうこれ以上待てないとこまで来たのでローカルボーイにお願いして空港まで送ってもらった。

途中サトピーから電話があり、

”すいません~寝坊しちゃって~~直接空港に向かいますから、

先に行っといてください~~”だって、、、(流石っす~)

とにかく空港にぎりぎりなだれ込み、サトルもすぐ後から追いつき、

無事チェックインを済ませ、台風直撃一歩手前の本島を脱出した~~~

 

本島を飛び立った頃は鉛色の雲、海だったが、

南へ飛ぶに従って雲が切れ眼下にはコバルトブルーの海が輝いて見えだした。

やがて島が見えその東海岸沿いを低空飛行で着陸態勢に入っていたら、

丁度真下にG-landの様な岬をラップしたレフトのラインアップが目に飛び込んで来た〜〜

その時はそれがアカマタとは知る由もなくサトルと共に大興奮状態となった。

小さな空港の外で異国人みたいに真っ黒なナオゾウは待っていてくれ一年振りの再会となった。

早速荷物を積み、潮の時間の関係上直接海に向かった。

マングローブの生える沼地の端に小さな船が出せる天然のボートランプがあり、

そこにはカラ君のジェットスキーがすでに用意されてあった。

その場所からでは波のサイズがわからず、

とにかく6~8フィートのパイプカインドの波を想定してボードチョイスせよとなった。

確か小潮だったので昼頃が満潮、しかしあまり水がのってこない潮回りだった。

板のセッティングが出来た者の順に2~3人ずつジェットスキーで沖に向かった。

ジェットで送り戻ってくるのが10~15分。

それを二回繰り返しようやく最後にローカル/ユキ坊の運転で、

俺とオオミネ(ぜんざい富士屋の社長で)が乗り沖に向かった。

ポイントに近づくとまさにそこはタヒチのチョポかフィジーのクラウドブレイクの空気が漂っていた

インサイドリーフの切れ目のチャンネルにジェットスキーを回しセットの様子を伺った。

アウトにセットが入りサーファーが動き出した。

それに合わせる様にジェットも沖へ、、、

8フット近いピッカピカのピークからまずサトルが乗り込んで来た~

まるでスローモーションの様にボトムまで降り、やや早目のインサイドボウルをかぶり、

シャローなクローズセクションでジャンピングプルアウト。

パイプとはまた違う、チョポともまた違う、

アカマタならではの光を放ったブレイクに一発で心が奪われた。

こんな波が日本にあったとは、、、

次にワキタが行った~~

しかし刺さってしまい早くもブロークボード。

俺はジェットから降り持っていたボディボードでの水中撮影に切り替え、

ワキタをジェットでボードチェンジにいかせた。

ワンサイズ短めのボードとなってしまったがワキタなら行く、必ずやってくれると信じていた。

そして再び長めの板を駆使したサトルがドセットを捥ぎ取った。

その波は神々しくインサイドの棚でバックリ開き、

サトルは両手を横に伸ばしそのバレルのでかさをアピールしてみせた。

ジェットから一部始終を観ていた俺達は心底感動した。

ザ.ウエイブ、ザ.ライド、ザ.カラー、全てが愛おしかった。

時よ止まれ、君は美しい(市川崑監督のオリンピックドキュメンタリー映画のタイトル)

じゃないが、フィルムチェンジの時俺はカメラを持つ手が震えたほどだった。

サトルはこの素晴らしい2本を決め大満足。

潮が干きはじめたのをいち早く察知しショルダーに退いた。

(クール~~これで寝坊がなけりゃあなあ、、、)

一方ケンタはまだまだ10代のキッズ。

アカマタのスケールのでかさにあんぐり状態で、

終始チャンネル待機の凍りつきセッションだった。

(きっと今なら、バキバキ行っちゃってるね~~)

そして、タイゾウはスケッチーなピークに手こずりながらも、

ガッツあるプルインチャージを魅せてくれたのは流石だった。

そしてそして2本目の板で後がない(残りは5’10”)ワキタだが妙に落ち着いた様子だ。

潮が動き出しインサイドのゲボガボが激しくなってきたが、あの一発を虎視眈々と狙い続けていた。

そしてセッション後半ついに狙いの波が来た。

ピキピキのテイクオフをクリアすると潮の影響なのか、

ボトムに降りる迄に波が信じられない程ジャックアップしてきた。

8フットテイクオフがふくれあがってなんと10フィートバレルを形成しだした。

ワキタはなんのためらいもなく、ブレない素晴らしいボードコントロールで、

オフショアにたなびく、その真っ青なビッグバレルに吸い込まれて行った~~

そのでかさ、クォリティたるや本家パイプラインとひけを取らぬオーラを醸し出していた。

ワキタはディープポジションに身を置きながらもしっかりと出口を見据え、

板をトリミングし突っ走っていた。

最後のインサイドリーフの出口でスピッツが吹き、

ワキタのボードが見え、出て来た、、、と思ったら、そこはもう水のないドライリーフで、

ワキタはカムアウトとともに巻き上げられドライリーフに持って行かれてしまった。

幸い怪我はなかったが再び板を折ってしまい、

ワキタはもう一度スペアボードを取りに行ったが、それはあまりにも短すぎ、

この波にはたちうちできず、潮もなくなり、風もサイドに振ってしまったので、

短かった、しかし、内容の深い歴史的セッションを終えたのだった。

 

この時のセッションですっかりこの波、この場所に魅了され、

その後年に1〜2度はアカマタを訪れるようになった

毎回違った顔を見せてくれるアカマタのブレイクは本当に奥が深い。

正直日本人サーファーでは手に負えない物凄さがある。

そんなアカマタデイズの中でもとりわけ凄かったのが2004年6月19日の波だ。

その年は例年より早く内地が梅雨時期に、

もう沖縄地方は真夏の陽射しで台風パッションに明け暮れていた。

確かJPSAのバリ戦がすぐ後に控えていたが、

ヌマ(カズノリ)とタカ(フクチ)を誘ってのアカマタ入りだった。

珍しくスエルだけが先に届きだし風も天気も申し分なかった。

デイー1、デイー2と確実にサイズアップしてき、

この時は大潮回りと重なり、朝夕満潮時の2ラウンドサーフすることができた。

いよいよ明日がザデイになるだろうと思われたが、

ヌマとタカは時間切れ、バリの大会向けて内地に戻らなければならなかった。

本当は居てもらいたかったが当時二人はJPSAのトップランカー。

大事な一戦をスキップする訳にはいかなかった。

それでもここまでのセッションで写真は残したし、

よくぞ来てくれた、頑張ってくれたというしかなかった。

ヌマとタカを空港に送り、夕方の満潮まで時間があるので、

ナオゾウはアカマタを眺望できる山の見晴し台に連れて行ってくれた。

遠くに海が見え、至る所にあるアウターリーフで真っ白なスープが跳ね上がっているのが見えた。

左奥に見える大きな湾に幾十にも連なるラインアップが回り込んで、

その長い長いレフトのエッジで豪快なスピッツが吹き出している。

恐らくこのアカマタのドセットは10~15フィートあるだろうと目測された、、、

今度はナオゾウのアパート、アカマタの正面からチェックすると、

グラジガンの強烈版の様な高速レフティが唸りをあげていた、、、

ヌマもタカも帰っちゃいサトルとタイゾウのみ、

ナオゾウは、”僕は今日、ジェットの運転手しときます~”とドン引き、、、

サトル君は正念入れ一本だけと言って腹をくくった。

同じ沖縄でも日の入りが遅い八重山地方。

パンパン水のある満潮時のみやろうということになり夕方の5時頃から出動。

西に傾いた太陽からの順光が波のフェイスを照らし、

濃紺にオレンジがかった信じられないカラーリングを醸し出していた。

スエルディレクションはこれ以上ないパーフェクションを誇り、

アウトサイドからインサイドまで肩が落ちることなくバレルアフターバレルだった。

しかしとにかく、デカイ、エグイ、青の魔物じゃ、、、

セット以外は手出しできない、いや、手を出しに行ったら間違いなく裏の波にやられる。

しかしセットの波に手が出ない、どうしてもパドルが追いつかない、持ち上げられてしまう、、、

結局前代未聞のアカマタコンディションに遭遇しながらも、

まったくのお手上げセッションとなり悔し涙を飲んだ、

2004年6月19日、アカマタのザベストオブベザべストデイ。

 

アカマタの名前の由来はこの村の祭りに出て来る神の戦士の名前から、

ナオゾウがつけたもので、これ以上のネーミングはないと思われる。

アカマタ攻略は俺達のライフワークミッション。

いつの日かまたあんなザデイに巡り会いたい、そして納得のいく一本を決めたい。

まさにワールドクラスと言える日本屈指のレフトハンダー・アカマタは、

静かな南の果ての島に続く、コーラルウェイにひっそりと存在するのだ、、、

 

 

 

 

 

沖縄_IN39403@ Akamata Okinawa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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