9/3 DVD 波巡礼2物語 vol-3

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

スクリーンショット 2021-09-02 7.25.33

DVD 波巡礼2 @ Skelton Bay  Namibia  Africa

 

 

DVD 波巡礼2物語 vol-3 、チャプター4のナミビア編〜
2015年そして2017年にサウスアフリカトリップを敢行したことは先のブログで綴りましたが、
この2回目・2017年の時、ジェフリーズでの撮影を終え、ヒロミチさんご夫婦をポートエリザベス空港まで送り届け、
自分達はそのままバリトまでの1000キロオーバーの道のりをアルカスと2人、1泊2日で走破した。
バリトでは選手とは離れ、試合の取材、フリーセッションの撮影を日々行なっていた。
と同時にナミビア・スケルトンベイへ行くチャンスも虎視眈眈と伺っていた。
この頃ナミビア・スケルトンベイの映像がSNSでブレイクし、
あのイカれたレフトのチューブの波が延々2キロも続く、
ゴープロの映像、ドローンの映像が世界中のサーファーを熱狂させていた。
ジェフリーズベイが世界ナンバー1のポイントブレイクだと言われていた時代から、
同じアフリカ大陸の西海岸・ナミビアにそれ以上のサンドボトムのレフトのポイントブレイクが発掘されたのだ。
日本からではナミビアは遠すぎる、でも今ならすぐ隣国のサウスアフリカにいる、
とにかく行ってみたい、この目で見てみたいという衝動にかられ、
サウスアフリカからの帰国日が迫っていたが、スケルトンベイのサイズアップ予報を確認し、
アルカスをバリトに残し、ダーバン空港から一人で2泊3日のナミビア弾丸ツアーを試みた。
全くのアポ、インフォ、コンタクトもなかったが、まずはスワコップモンドのバックパッカーを予約し、
そこからのインフォでサーフガイドをやっているというクレッグモアランドという人物を紹介してもらい、
兎にも角にも彼に全てを託してダーバン〜ジョハネスバーグ〜ウォリスベイへとフライトした。
朝一にダーバンを発ち、ジョハネスバーグで出国&乗り換えして、ナミビア・ウォリスベイには正午着と以外に近い。
飛行機にはエヴァンガイゼルマン、ブレットベイリー、ヤーディンニコル、ブレットシンプソン等が乗っていた。
眼下には赤土の大地から乾いたナミビアデザートが広がり、やがて砂漠の中にポツンとあるエアポートに到着〜
一応簡単な入国手続きがあり閑散とした空港の待合室に出ると、クレッグモアランドらしき人が無事?迎えにきてくれた。
彼の四駆トラックに乗り込み、今日は波が小さいのでスケルトンベイは無いと聞き、
宿を取ったお隣のスワコップモンドへ直行した。
道中はもちろん枯れ果てた砂漠で、波はそれなりにあったがすでにオンショアが吹いていた。
ウォリスベイから20分ほど走ると砂漠のオアシスのような街・スワコップモンドが見えてきた。
ドイツ風の小洒落た街並みで、海岸にはハンティントンのような長いピアが突き出していた。
町外れにはスワコップモンドパイプと呼ばれるスラブポイントがあり、BBが数人サーフしていたが今日はまだ胸〜肩程度だった。
移動の疲れもあり早めにバックパッカーにチェックイン、クレッグは明日午前5時に迎えに来ると言って別れた。
昔はよくバックパッカーに泊まっていたが最近はすっかり使わなくなり、
いざベッドに連れ行かれると、小さな体育館みたいなだだっ広いところにシングルベッドがズラ〜っと並び、
俺の隣の隣は10代のサウスアフリカンガールで、お隣は20代のブラジリアンボーイだった。
少し仮眠して今度起きるともう夕闇迫る頃だったので慌てて街へ繰り出し食べ物とビールをゲット〜
昼間は暑かったが夜は一気に冷え込んできた。
ガラ〜ンとした体育館にあるベッドに入っても寒く、ダウンジャケットを着たまま眠り込んだ。
朝は砂漠地帯独特の内陸から吹いてくるオフショアが強く更に冷え込んでいた。
クレッグ君は予定の時刻にきっちり迎えに来てくれ、満天の星空の下スケルトンベイを目指した。
スケルトンのイメージは砂漠の果ての果て、キャンプしなければいけないのかな?と思っていたが、
実はウォリスベイのすぐ対岸に位置し、ものの20分くらいの距離で、四駆が必要なセクションも10分くらいだった。
スケルトンベイ(ローカルはドンキーベイという)に着くと丁度海側にはムーンセット、陸側からはサンライズといった
エキゾチックモーメンツを拝むことができた。
やがて海が波が見えだすと頭くらいのビーチブレイクでありレフトのポイントブレイクが確認できた。
オフショア、スーパーサニー、ニョキニョキと続くレフティ、、、
早速ラインアップの写真を撮っていると急に冷え込みが凄まじくなってきた。
と思いきやいきなり海がざわつきだし、沖にあった真っ黒な雲がこちらに向かい、
あっという間にオンショア、更に霧で視界ゼロになってしまった〜
クレッグもこういうことはよくあると言って車に乗り込みヒーターをかけはじめた。
しばらくすると霧が晴れる時もあるし、このまま1日晴れない時もあると言う。
車中で1時間2時間近く待機するも一向に霧は晴れず、むしろ濃くなってきてるようなので一旦退却することにした。
クレッグの提案でウォリスベイの外れにあるデューン(砂丘)を見に行く事にした。
スケルトンベイからウォリスベイの街を過ぎ内陸部へ走ると、さっきまでの霧が嘘のように晴れ渡っていた。
しかし振り返って海の方を望むとそこだけ真っ黒な雲がかかっている。
クレッグも今日は厳しいと言うので途中の波チェックしたりちょっとした観光したりして宿に退却した。
2泊3日の弾丸トリップだったので明日の半日しかなくなり、俺はスケルトンベイのラインアップを拝めるのか不安になってきた。
翌朝は少し出発を遅せてスケルトンベイへ向かった。
昨日のような霧もなく、風・天気共に良好〜果たして波は、、、WOW~~オーバーヘッド〜3ft近くあった〜〜
炸裂とまではいかなかったが、スケルトンベイらしい長い長いチューブのレフティがブレイクしていった。
荷物を最小限にするためBBやウエットスーツは持参しなかったので今回は撮影のみ。
スチールとムービーを一人で忙しく撮影し、瞬く間にフライトの時間が来たのでクレッグに空港まで送ってもらい、
慌ただしくウォリスベイ〜ジョハネスバーグ〜ダーバンへの帰途につき、
バリトで一泊、今度は翌朝ダーバン〜ジョハネスバーグ〜香港〜大阪へと帰国の途に就いた。
これが初めてのナミビア・スケルトンベイのロケハンとなり、翌年のナミビア取材に繋がっていくのだった。

 

翌2018年6月、3度目のサウスアフリカロケを敢行。
メンバーはタナカヒデヨシ、ナカムラタクミ、サトウガイ、そして波伝説の社長・カトウミチオ氏。
このトリップはDVD波巡礼2の後半・チャプター18に使われているので、後のブログで綴りたいと思います。
いつもにようにジェイベイ取材を終え、旅の後半はバリトプロの取材となり、俺とアルカスはポートエリザベスからダーバンへ移動。
ポートエリザベスでロウレイトのQS戦があったのでタクミとガイは遅れてバリト入り、
ヒデヨシとカトウ氏はジェイベイからそのまま帰国となった。
バリトでは試合が進む中想いは昨年同様ナミビアに飛んでいた。
ジェイベイにいる間、一度大きなチャンスがあったが当然ジェイベイも良くなるので動くことができなかった。
だからバリト滞在中がラストチャンスとなり、いよいよスケルトンベイがファイアーしそうな予報が出てきた〜
ほとんどの日本人はまだ勝ち上がっていたので、試合に出ていなかったガイちゃんだけを率いて出発する事になった。
今回はダーバン〜ケープタウン〜ウォリスベイと昨年とは違うフライトルートとなった。
朝一ダーバン空港へ行くと、ベンジーやコアスミスなどQS戦で敗れたサーファーが大勢いた。
彼らもこのチャンスを逃すまいと急遽ナミビアトリップを決めたのだろう。
こういった切り替え・試合は試合、波は波というムーブは外人独特だ。
特にベンジーはハワイ在住ながら元はケープタウン出身のサウスアフリカンで、
スケルトンベイのパイオニアの一人でもあり、彼の延々とチューブに入り続けるゴープロ映像には驚かされた。
ベンジーが行くくらいだから今回は大パンプするかも〜となんだかテンションが上がってきた。
またケープタウンからウォリスベイまではずっとアフリカ大陸西海岸沿いを飛んでいたので、
眼下にウエストコーストの地形を見続けられたのも心が躍った。
昨年同様昼前にはウォリスベイに到着、今回はガイドのクレッグが本業でもあるアニマルツアーガイドが忙しく、
彼の紹介でデレクムールマンという人がサーフガイドしてくれる事になった。
空港に着くとデレクはハマーの四駆で迎えに来てくれ、そのままスケルトンベイへ向かってくれた。
そもそもガイちゃんをサウスアフリカトリップに誘ったのはジェイベイのバックサイドもさながら、
このスケルトンベイのイカれたレフティを滑ってもらいたかったからで、
ガイもそのプランにすぐ乗ってくれ、今回のサウスアフリカ&ナミビアトリップが構築されたって訳。
ウォリスベイの町外れの塩田地帯を抜けると四駆に切り替え、
フカフカのビーチサンドを突っ切っていくとスケルトンベイに到着する。
今日はオンショアの頭くらいなので、夕方までビーチをクルーズしながら待機して、
夕方遅遅にガイちゃんは軽くゲットウエットし、明日のサイズアップに臨んだ。
今回はガイドであるデレクの家が宿となり、スワコップモンドの外れにあるでっかい彼の家に2泊した。
翌朝早くにデレクの家を発ち、40分くらいでスケルトンベイに到着すると、
ビーチ沿いにズラ〜〜っと四駆のレンタカーが並び、その向こうには3〜4〜5〜のレフティが炸裂していた〜
もうすでにラインアップにはサーファーがいたが、昨年同様またまた霧が濃くなり始め、やっぱり視界ゼロになってしまった。
またこのまま一日霧まみれなのかと不安がよぎったが、太陽が昇るにつれ気温が上がってくると徐々に霧が晴れだしてきた。
海も波も隣の車もしっかり見えだすと待機していたサーファーは次々とパドルアウトしだし、
ガイちゃんもフルスーツに着替えるや、500m以上先にあるポイント(ビーチの岬)目指して歩いていった。
スケルトンベイはおよそ2km近くある広大なポイントで、流されながら流されながらそのセクションで波をとらえ、
ベイの終点まで何本か乗り継いでビーチに上がり、そこから徒歩で1km以上歩いて俺たちの居るところまで戻り、
休憩・水分・食料補給して、また歩いてポイントまで行きパドルアウト、流れ流れて沖に出て波を捉え、
またまた流れ流され沖に出て自分のところにシフトしてきた波を捉えプルインを繰り返していった。
つまり1時間いや1時間以上に一回ガイちゃんは俺らの前を通過するだけ、見落とすとしばらくはガイちゃんを撮れない、
タイミングが良ければ撮影範囲でチューブライディングが撮影でき、
タイミング悪ければスープの中でドルフィンスルーしてるだけの時もあった。
撮影場所を変えても根本的な解決にならず、かなり歯がゆい思いでの撮影となった。
水中でのコネクトなどほぼほぼ無理無謀、やはりここの凄さを表現できるのはドローンが最適だと確信した。
この日コアスミスが捉えた 1 wave/8 barrel/2 minutes/1.5 km ライドを、
クリスロジャーズがドローンで完璧に抑えた映像はまさに圧巻、もう言葉にならない、イカレチマッテいる!!
サーファー視点のゴープロ映像も凄いが、波の高さ・掘れ方・長さなどのリアリティな表現度はドローンに限る!!
また潮が干いている間はビーチのやや高くなった所・最前線で撮影できたが、
潮が満ちてくると車を止めているところまで波・海水が押し寄せ、トラックの荷台や屋根から撮影しなければならず、
更に満ちてくれば車の待機場所がなくなるまで潮が上がってくる。
波がもっと高い時はもっと手前に止めなければならなくなるとも聞かされた。
この日はオールデイオフショア、朝一の霧の後はずっとドピーカン、波はノンストップで4〜6レンジ、
午前の順光から午後の逆光、干潮から満潮、、、
スケルトンベイの色んな顔・姿を丸丸一日撮影することができた。
多分12時間近くビーチに立っていたと思う。
ナミビアの哀愁のサンセットが大西洋の水平線に沈むと、サーファーも一人また一人と上がってき、
ガイちゃんも自身のサーフ人生でここまでやりきったことはなかったとストーク。
俺らの位置を過ぎてからもガイは何度も何度も凄いバレルをメイクすることができたと言っていたが、
残念ながら映像に残すことができなかったのが、カメラマン的にも一番悔しかった。
それでも久々のベストデイと言われたこの日に、地球の片隅・ナミビアのスケルトンベイに身を置くことが出来た喜びは大きかった。
翌日は疲労困憊の中スケルトンベイに向かうも、朝一からあの忌まわしい霧に覆われ、波もサイズダウン、
ガイちゃんは鼻水ジュルジュル状態なんでノーサーフと言う事で終了〜
昨年の単独ロケハンから一年後のリベンジトリップでスケルトンベイをスコアしたことによって
DVD 波巡礼2の構成にも厚味が増した貴重な旅だったと振り返ることができる。
ガイちゃんはその後バリトに戻ってもサーフすることなく、まるでマブヤー(魂)をスケルトンベイに落としてきたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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