2/27 R.I.P. Kazuya Ukimoto

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

IMG_8985

Kazuya Ukimoto @ Amami Oshima 1988

 

2月23日、ウキモトカズヤが突然の交通事故のため他界してしまった、、、

訃報を聞いたのがハワイ時間の2月23日、いまだに信じられない、、、

 

 

カズヤと俺は同い年(66歳)、同じ大阪出身で20代の頃、

未開拓のインドネシアやウエスタンオーストラリアを始め、

1986年には冬のノースが終わるとハワイからプエルトリコへ飛び、

更にメキシコヘまでも足を伸ばし、帰りを決めない旅・冒険に出かけたこともある、

当時の自分にとっては唯一無二のトラベリングバディでもあった。

大阪貝塚から和歌山でサーフィンを覚え、宮崎恋が浦で長い修行を積み、

20代前半でプロ資格を得たが、試合に力を入れることなく、

俺と共に世界の波に向けて旅立った異色のプロサーファーだった。

カズヤと駆け抜けたワールドトラベルはまさに手探りの旅で、

今のように情報もなく、行き当たりばったり珍道中だったと言える。

やがてカズヤも親の仕事を継ぎプロ活動から引退したが、

彼が大好きだった和歌山岬のレフティは生涯通い詰めていた。

長男のカイキもそんな親と共に幼少の頃から海へ通い、

当たり前のようにサーフバムライフを送っていた。

かつてカズヤがノースに心を燃やしてきたように、

いつしかカイキもハワイに通うようになりパイプでもドミネイトしてきた矢先の事故だった、、、

 

 

 

 

IMG_8984Kazuya Ukimoto @ Margaret River WA  Australia circa  late 80′s

 

 

 

IMG_8998

 

1980年代後期、2度目のウエスタンオーストラリアトリップで

カズヤが捉えたマーガレフトのモンスターセットのレイトドロップ。

上の白黒と下のカレンダーは同じ波のシークエンス。

白黒ショットは俺の初めての写真集”波の園”に使い、

下のカレンダーショットは当時のサーフィンワールドの見開きにも使ったが、

まさかのサーファーマガジンのカレンダーの一枚にも選ばれたミラクルショットだ。

 

 

 

 

11_N370I8AA11_JKazuya Ukimoto @ Red Bluff  WA Australia

 

 

 

 

13_N370I8AA13_J@ Gnarloo WA Australia

 

 

 

 

img030@ G-land Java Indonesia  circa early 80′s

 

 

 

 

 

N370B9AA26_J@ Cape San Juan  Puerto Rica

 

 

 

img046@ Hollow’s  Puerto Rico

 

 

 

 

IMG_8989Kazuya with Fargerson Family @ Luquillo  Puerto Rico 1986

 

 

プエルトリコ

1981年に初めてハワイ/ノースショアに行ってから

5~6シーズン近くサンセットビーチのラミネートマン/クレージービッグウエーバーの

チャーリーウォーカーのお家に身を寄せて居た。

サーフボードファクトリーがすぐ隣にあり、色んなサーファーが毎日の様に出入りしていた。

そんなある年、すぐ隣の部屋にトムファーガーソンという

プエルトリコから来たレジェンドサーファーファミリーが住んでいた。

一冬を一緒に過ごし仲良しになったので、

ノースシーズンが終わってからトムを訪ねて初のプエルトリコへ旅した。

その頃の俺は(まあ今もそうだけど)、とにかく旅してればそれで良かった、

世界中行ってみたかった、そんなトラベリングライフを送っていた。

プエルトリコへの旅のバディは、俺と同期、大阪出身のカズヤ(浮本和也)だった。

彼もまたトラベルジャンキーで二人して帰りを決めない旅に出た。

ホノルル~ロス~マイアミを経由してプエルトリコのサンファンに到着~

空港にはトムが迎えに来てくれ、まずは彼の実家・島の東部に位置するルキーヨに連れて行かれた。

ルキーヨの山の中にある豪邸でハワイでの貧困生活が嘘の様な暮らしぶりにびっくりした。

全てはトムに身を委ね海に連れて行ってもらったり、

夜の酒場をうろついたりしながらスエルが入るのを待った。

やがて島の西部にあるリンコンに行こうということになり、

トムのオンボロ軽トラックにサーフボードやカメラ機材を積んでルキーヨを出発した。

ところが途中から大雨になり屋根のないトラックの後ろにいた俺等はずぶ濡れ、

道は洪水状態になりただでさえ調子の悪いトラックは止まりだすわで、

もういつになったらリンコンに着けるのかわからん様になってきた。

トムにしてもこんな目にあったのは初めてだと相当まいっていた~

スムースに行けば4時間くらいで行けるのにこの時はなんと12時間近くかかって、

ようやくリンコンにある彼の別荘に着いたのはもう深夜だった。

別荘といっても掘建て小屋で電気もガスも水道もなかった。

おまけにモスキートアタックが半端じゃなく、初日はここまでの道中でズタボロになり、

夜もまともに寝ることができなかったほどだった。

翌朝目覚めると眼下にリンコンの海が見えようやくリンコンに来たんだなと実感できた。

トラベルサバイバーのカズヤと協力しながらこのリンコン暮らしが始まった。

水は下の家の人から長いホースで送ってもらい、

ライトはランタン自炊は薪木と完全キャンピングスタイル。

寝床にはしっかりと蚊帳を張りなんとか生活基盤を創り上げた。

そしてトムは2日程いてから軽トラックを俺達に預けて友人の車でルキーヨに帰って行った。

それからは見ず知らずの海岸線を地図とサーフレポート(サーファーマガジンが出してた)

を頼りにサーフサーチしまくった。

真冬がシーズンと言われるプエルトリコだが、俺達が滞在してたのは3~4月のスプリングタイム。

スエルもウイークとなりなかなかメジャースエルが来なかった。

それでもリンコンをベースに西面北面を走りまくり色んなポイントを知り、

超刺激的なトリップだった。

しかし調子に乗ってドライブしまくっているとやがてオンボロトラックにガタが来だし、

とうとう潰れてしまった。

トムに連絡すると長年愛用してた車なだけにかなりショックだったようだ。

とりあえず足がなけりゃどうにもならんので早急にローカルから中古の車を買って、

なんとか動きを止めずに旅を続けた。

結局リンコンではそれほどスエルが上がらなかったので、

一旦退却し再びルキーヨのトム宅に戻った。

ルキーヨは島の東部にあるのでトレードウインドが強く、オンショアコンディションが多いので、

いつもサンファン方面に出向いていた。

そしたら今度はトムのご両親がサンファンに使ってないアパートがあるから、

そこからだと動きやすいでしょうと、町のど真ん中のアパートの一室を提供してくれた。

それにしてもファーガーソン家はルキーヨの豪邸といいリンコンの別荘といい、

このサンファンのアパートといい何個家持ってるんやろう?

と、カズヤと話しながらやっぱずうずうしくもサンファンアパートに長居してしまった。

その時に入ったスエルが滞在中一番良くて、

俺達は島の北海岸中央部に位置するホローズと言われる、

棚割れのライトハンダーで丸2日間ドチューブの波をスコアすることが出来た。

ようやくそれで踏ん切りもついた感があったのでプエルトリコを去ることにした。

気がつけばなんと2ヶ月以上の滞在となり、

すっかりプエルトリコの隅々まで把握するまでになっていた。

そして俺達はそのまま今度はメキシコのプエルトエスコンディードへ飛ぶことにした。

その頃カズヤはすっかり軍資金も底がつき完全に俺のヒモ状態。

俺は毎日貸した金をノートにつけハワイに戻ったら絶対返せよの連発だった。

今ではそこまでして旅を続けるというのは有り得ないが、

良い波に出会いたい、見たことのない土地を旅したいという二人の共通の思いがあったので、

喧嘩もせず愉快に旅を続けられたんだなと振り返ることが出来る。笑

 

 

 

 

 

 

img024@ La Punta  Puerto Escondido  Mexico

 

 

 

img031@ Playa Zicatera  Puerto Escondido  Mexico

 

 

 

 

IMG_8990Kazuya on Shoulder @ Playa Zicatera  Puerto Escondido 1986

 

 

プエルトエスコンディード〜メキシコ

1986年、ノースショア6シーズン目を終え春先からいつもの様に旅に出た。

この年は、大阪のバディ、カズヤ(浮本和也)と、

プエルトリコへ帰りの決めない、本当のトリッピーに出たんだ。

プエルトリコでは、ノースで仲良くなった、

プエルトリコのパイオニアサーファー的存在のトムファーガーソンを訪ねて、

2ヶ月以上の滞在となった。

本来はそこからハワイに戻る予定だったが、

当時のプエルトリコを代表するプロサーファー/エドウィンサントスから、

ここまで来てるんだから、メキシコのプエルトエスコンディードに行かない手は無いと勧められ、

お金は無いが、時間はたっぷりある俺達は、キラっと目を光らせ、予定を270度変え、

プエルトリコの後メキシコへ向かったのだ。

エドウィンに教わった通り、メキシコシティからプエルトエスコンディードに飛び、

真っ昼間の空港に降り立つと、バタっと倒れそうになるくらいの強烈な熱さが待っていた。

この時点では、世界ナンバーワンの熱さだと感じたくらいだ。

そして呼び込みタクシーに引き込まれ、目指すシカテラビーチに向かった。

観光地でもあるプエルトエスコンディードは、ややバリのクタっぽくて、

商店街にずら~とお店屋が連なっていたが、クタと違うのは、昼間は完全に店を閉めちゃい、

ゴーストタウン状態になってしまうということ。

あまりの熱さから、昼間は家でグデ~~っとする習慣があるようだ。

始めは何やねん~と思っていたが、気がつけば俺等も昼間はバンガロウの中で、

扇風機をブンブン回しながら、グデ~っとなっていたのら~~

宿泊したバンガロウは、確か2人で一泊、$10くらいの安さだった。

簡単なキッチンもあり、シカテラビーチまでも歩いて3分くらいの近さだった。

生活は至ってシンプル、プエルトリコの時の様に車に乗っての移動も無く、

朝一起きると、上段ラインアップフォトの位置から波をチェック。

プエルトは朝の風の無いときが全てなんで、すぐに入水。

早ければ9時、10時にはシーブリーズが来だし、あっという間にフルオンショアとなってしまう。

風の入ったプエルトは、もうどうにもならず、板を折るのが関の山なんで、

部屋に戻って、食事、読書、睡眠となる。

先にも書いたが、午後になると店屋が一斉に閉まるので、買い物は午前中に、

午後は灼熱の熱さなんで、夕方まで休んでおくしか無い。

夕方、ラッキーなら風が凪、出来る様にもなるが、

朝一のグラッシーコンディションには及びもつかないので、

とにもかくにも朝の1ラウンドに集中するということだ。

シカテラビーチブレイクのパワーは絶大で、

サイズアップするとまさにメキシカンパイプラインと呼ばれる所以が理解できる。

3~4フィートで水中撮影していても、インパクトで叩き付けられると、

ボトムの固い砂に押し付けられ、ギリンギリンに巻かれ、

溺れそうになってしまう程のパワーブレイクなんだ。

この頃はハウジングも持っていたが、泳ぎやすさを優先してニコノスを肩にかけ、

両手を開けて水中撮影に望んだ程だった。

波がでかくなると、水中なんかたちうちできなくなるほどの、

驚異的破壊力のあるインパクトゾーンに、怒濤のカレントが生じ、

ビーチで見ているだけでも肩がこって来る程の迫力だ。

こんな時は、長いシカテラビーチの左端の岬から割れる、

ラプンタ(ザポイント)のレフトのポイントブレイクが良くなりだす。

ビーチブレイクとは打って変わりメロウなロングレフティも、

プエルトエスコンディードの別物の魅力でもあるんだぜ~

ビーチとポイントブレイクの日々を送っていたある日、強烈な下痢に見舞われた。

ピーンと凍り付く様な、針が脳天から尻の穴に抜けて行くような感触に見舞われ、

体内の水分が全て失われて行くくらい、排便、排尿、嘔吐の連続だった。

俺程ではないにしても、カズヤも半日送れで下痢症状が来、

二人してバンガロウで倒れ込んでいたのを、隣のサーファーカップルが気遣ってくれ、

薬や水、食べ物を与えてくれた。

おかげで2日くらいで体調も戻り、原因となったミンチ肉はもう二度と食べたくないと、

体に、心に誓った。

そんなこんなしながら、旅の終盤のある朝、ドガ~~っと物凄い音で目が覚めた。

外はバケツ、いや天地がひっくり返った様なスコールだった。

この貧相なバンガロウの屋根が潰れるんじゃないかと思わせるくらいの強烈猛烈な雨だった。

思えばメキシコに来てから初めての雨だった。

あれほど灼熱の熱さだったのが一気にクールダウンし、バンガロウな中は冷や~~とまでしてきた。

バンガロウの天井にはどこかから逃げてきたイグアナがきょろきょろ辺りを見回している。

まったくの計画外だったメキシコトリップだったが、

カズヤというバディがいたからこそ勢いだけでここまで駆け抜けて来れた。

しかし無一文だったカズヤの旅費立て替え分はなんと$2000近くになっていた~~~

まさにケツの毛まで、とはこのことじゃ~シャ~~笑

 

 

 

 

 

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カズヤと駆け抜けた旅の思い出は俺達の心の中にある宝物。

ありがとう、そして安らかに、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

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