Masatoshi Ohno @ Teahupoo Tahiti French Polynesia
Five Weeks in Tahiti vol-7 は、レジェンド編〜
NSAタヒチ強化合宿の2週目から3週目の2週間に渡って、
コーチ兼プレーヤーとしてチームジャパンを牽引したマー事オオノマサトシは、
まさに野球界で言えばイチローのような存在であり、
サッカー界で言えばナガトモのような存在だった。
マーの背中を見て皆はどれだけ勇気をもらったことだろうか。
40歳を過ぎたマーだが、海の中では熱く、陸の上ではクール、
サーファーとしてコーチとしての任務をまさしく行動で見せてくれた。
夜のミーティングではコアな貴重な意見を発してくれたり、
チョポのラインアップでは波を見極めつつ、的確なアドバイスを各選手に与えたり、
船の上ではポトやラスカルの通訳をしたり、皆を盛り上げたりと、
合宿にとって素晴らしいキャプテンぶりを発揮してくれたと言える。
マーとは彼がまだ10代だった頃、2度タヒチトリップをし、
チョポを初めタヒチ本島の波のみならず、
ボートトリップでツアモツ諸島のヴァージンブレイクをサーチしたりしてきた。
その後マーは脂の乗った選手生活を経て、近年ではコーチとして東京オリンピックも経験し、
まさにレジェンドと言える活躍・功績を残してきた。
そして20年近くの歳月を経て、マーと三度チョポセッションを共有できたことは
自分にとっても本当に嬉しく誇りに思う。
そして、もう一人・レジェンド中のレジェンド・ミッキーさん事カワイミキオ氏が、
長年の夢でもあったチョポに初めて来られた。
もちろん今回の合宿とは別で、自分がノースショア取材を行っている頃、
2月下旬からタヒチに行くので船の手配をしてほしいと連絡があり、
ポトの甥っ子であるテレバダビッドを紹介した。
その後今回の合宿の日程が決まり、同じタイミングでタヒチにいることがわかった。
そして3月3日の昼頃たまたまタラヴァオのスーパーマーケットに出かけたら、
スーパーの入り口でカワイ氏と偶然会い、明日船を頼んだと聞かされたので、
僕達も朝一からチョポにいますので、海で会いましょうと別れた。
翌3月4日、波は2〜3〜4〜と小さめだったが、風が無く天気も良く、
第1週目のメンバーのラストデイともあって、朝からチョポセッションをしてたら
テレヴァの弟・ドレーンの運転する船でカワイ氏がラインアップに現れた。
レオ以外のボーイズ&ガールズはほとんどが10代の新人類なので、
信じられないが日本サーフィン界のレジェンド・カワイさんの事を全く知らなかったようだ。
ただ年齢のいった日本人サーファーがテイクオフポジションに身を置いたので、
正直ボーイズ&ガールズも驚いていたようだった〜笑
この日が75歳の誕生日(日本時間の3月5日)だったカワイさんはゆっくりと波を選び、
3本ほど波に乗られ、その後ウチらのボートに来て、
いや〜もう充分、やっとチョポに来れたよ〜と感慨深いご様子だった。
思えば75歳のお爺さんが日本からニュージーランドを経由しタヒチにまで来て、
更にボートをチャーターしてチョポまで来られ波に乗る、、、
普通の日本人サーファーでは考えられない行動力だと感服した。
本来エアータヒチヌイの直行で来ようと予約を入れていたが、
コロナ以降まだ就航されてなく、勝手にニュージーランド航空に変更されたと言う。
周りの人は行くのをもう少し待てばとアドバイスしたらしいが、
カワイさんは、いやもう今しかない、今を逃すともう乗れないと、
頑なに今回のタヒチ行きを強行したらしい。
そこまでしてもタヒチに行きたい、チョポの波に乗りたいというパッション。
まさに根っからのサーファーという人はこういう事なのかと感動した。
特別デカイ波に乗った訳でもなく、凄いチューブをくぐり抜けた訳でもないが、
カワイさんの心のサーフィンマップにはしっかりとタヒチ・チョポが刻まれたに違いないだろう。








Masatoshi “MAR” Ohno
タヒチにいる間、終始最高のスマイルだったマー。
マーのストイックなサーフィンに対する姿勢・気持ち・行動が、
日本のサーフィン界の宝と言っても過言ではないだろう。



Mikio ” MICKY” Kawai
タヒチ・チョポで最高の記念すべき75歳の誕生部を迎えたカワイ氏。
ハッピーバースデー・ミッキーさん〜〜〜
これからもお元気でキープオンサーフ!!