7/5 Review of Mexico Dayz

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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メキシコトリップから帰国して3日経った。

ケイト&ナオミもPCRテストで無事陰性だったようで明日の朝帰国する。

今も太平洋の反対側はご覧のようにロングピリオドのスエルがバンバン入っているが、

日本は相変わらずジメジメとした梅雨真っ盛りで台風も出来ず、

帰国後の自主隔離中で、毎日入国管理局から位置情報・健康状態確認の連絡が来やがる。

オリンピックが近いのか、4月にハワイから帰って来た時よりも更に厳しくなっているかな?

メキシコに行ってた間の日本は小振りの台風5号が出来たくらいで大した波は立たなかったようだ。

それに引き換えプエルトエスコンディードはブログでもおわかりのように連日大パンピング!!

ある意味ノースに匹敵する強烈な波、クレージーなビーチブレイク、

グリングリンのバレルアフターバレルの日々だった。

25年ぶりに訪れたプエルトは色んな意味で大きく変わり進化していたが、

あの厳しすぎる波は全く変わっていなかった。

25年前は水中フォトグラファーとして現役バリバリの頃で、

フィッシュアイのインナーバレルショットに固執していたが、

時を経て自分も老いランドからスチール&ビデオを撮影していると、

また何か見えなかったものが見え、気づき、発見することができた。

右のバンクに集約してくるアーティーなライトハンダー、

そのまた右奥に出現するシリンダー状のライト&レフト、

左のバンクには更にサイズのあるピーキーなレフト&ライト、

そしてビッグデイに覚醒する更に奥のファーバンクのレフト。

その日その時によって目まぐるしく変化していくシカテラの波・顔

サーファーはそれに合わせて広いビーチを模索し、

カメラマンはそれによって刻々とポジション・アングルを変えていく毎日だった。

今回の突然とも言えるメキシコトリップの事の発端はこうだ。

いつもなら冬のシーズンにはノースに来る伊勢のニシゼコファミリーが、

コロナの影響なのかハワイに来ず1月からメキシコに行っていた。

更に3月、ニシゼコと奥さんは帰国したのだが息子のアツヤはプエルトに留まっていた。

そしてオイラは4月にハワイから帰国し、恒例春の日本の波を狙っていたが、

各県に緊急事態宣言が発令され、昨年同様取材すると言うモードではなかった。

悶々とした5月を送り、いつもなら海外の何処かへトリップするのだが、

今は世界中コロナ禍によって自由に簡単に行き来することができないのが現状。

ふとニシゼコがメキシコへ旅していた事、アツヤがまだプエルトに居ることを思い出し、

ある日ニシゼコに連絡してみると、メキシコ入国は今まで通りで、

PCR検査証明とか必要なく、180日までノービザで滞在できることを知った。

更にANAのメキシコ直行便が成田から毎日飛んでいることも知った。

俺の概念ではメキシコへはアメリカ経由しかなかったので、

アメリカ入国に対してのPCR検査とかトランジットとかがネックだった。

ところがメキシコはPCR検査が要らない、半年もノービザで滞在できる、

更に直行便があると言うことを知り、俄然旅魂に火が付いた〜〜

6月になると本格的な梅雨のシーズンに入り、緊急事態宣言もいつ解除されるかわからない、

なら思い切ってメキシコへ行っちまえ〜と、急に段取りを組みだしたのだ。

まずはメンバーセレクトのためスキルのあるサーファーに声をかけていくと、

やはり急な事で、お金が無い、板が無い、試合が、、、用事が、、、との返事、、、

そんな中、ノースでもずっと一緒だったリアルは即答で行きたい、行きますとの返事だった。

そしてハラダタイゾウから、メンバーにしてくれとは言いませんから、

ショウゴをプエルトまで連れて行って欲しいとの連絡があり、

ならこの流れでリアル&ショウゴの二人を連れて行こうとなった。

いつもなら妻のアルカスビジョンも同行するのだが、

メキシコの猛暑、衛生面、感染面、かつてのオイラの経験から、

現地で何かあっても困るので今回は連れて行かないことにした。

そうと決まれば、フライトと宿の手配、旅の準備〜〜〜

飛行機は成田からメキシコシティへ直行の全日空。

20万円弱は高いと思われるかもしれないが、

ロス経由で行っても結局同じくらいかかるし、

安いからと言ってヨーロッパ周りだと丸2日近くかかってしまうので、

直行便でこの値段はナイスと感じられた。

更にメキシコシティに夕方着き、夜の最終便で同日プエルト入りできるのもナイス〜

そして宿の方はエアービーなどでも探したが、

25年前にプエルトで知り合った日本人女性・サトウミホコさんと連絡を取り、

30年プエルトに住む彼女の地元の利を活かし、

リーズナブルな値段で2ベッドルーム(4人まで)の宿をリザーブしていただいた。

後はお仕事用のカメラ機材(今回はビデオも)、自炊用の日本食材を揃え、

帰国してからのことを考え、車で大阪から千葉へと向かった。

折もおり千葉・一宮でJPSAの初戦が行われていたので遠目から観戦(基本無観客態勢)、

その時出くわしたプロサーファーの何人かにメキシコに来ないか?と声をかけてみたが、

やはり大半は、いいな〜行きて〜でも金が〜〜てなノリだった。

が、試合には出ていなかったコバヤシナオミだけはキラッと目を輝かせ、

行きたいです、段取りします、と嬉しい返事が返ってきた。

俺たちの出発は翌日だったので、流石にそれは無理なので、

用意出来次第追っかけ行くようにしますとの事だった。

この時点ではまさかマツオカケイトが来るとは思わなかった。

そんなこんなで先発隊として、俺、リアル、ショウゴがメキシコへ向かったという訳。

メキシコでの日々はブログで綴った通りで、

着いた翌日がある意味ベストデイ、最もクリーンなコンディションからスタートし、

サイズはアッピンダウンしつつも、兎にも角にもほぼ3〜4〜からは下がらなかった。

当初は時差ボケで午前2時頃には目が覚め、逆に午後は眠くなり、

一度昼寝しちまうと夜まで寝過ごしてしまい、夜また眠れなくなるという悪循環を繰り返していた。

ぶっちゃけ普通の生活ルーティンになるまで1週間近くかかった〜ワラ

朝明るくなるのはやや遅く、午前6時半頃からようやく海に入れるので、

朝食は午前5時半から6時までに済ませ、宿から歩いてシカテラビーチに出て、

しばし暗い中、海・波の様子を見てからパドルアウトというパターンだった。

サーファーが出てくるのが7時過ぎなので、初めの30分はエンプティなラインアップを独占できた。

プエルトは西海岸なので陸地の方から陽が昇り、

淡いオレンジ色のファーストライトが海を照らすのは7時半頃で、

早ければ9時過ぎあたりから海がヨレだし、10時過ぎにはオンショアが吹き出し、

あっという間にコンディションが乱れてくるのがシカテラの特徴。

つまり朝一の2〜3時間が勝負所なのだ。

リアルとショウゴは毎朝仲良く歩いてビーチへ〜

俺は機材があるのでバイクをレンタルし、暗い中シカテラビーチへ一番乗りしていた。

二人の最長の板は、リアルが6’5 、ショウゴが6’6 だったが、

この後これがとんでもなく短い板だとわからされる事になるのだ。

午前10時〜11時にはセッションが終了し、うだる様な暑さの中宿に戻り、

とにかく冷水シャワーを浴び、ランチ、デスクワーク、買い出し、お昼寝、

と言ったパターンで、夕方風が止みサーフィンするというのは希だった。

昔と違い、プエルトの山手のダウンタウンにはメガスパーができ、

ほぼアメリカのスーパーと同じものを手に入れる事が出来た。

サンセットタイムが午後8時過ぎと遅いため、晩飯が9時過ぎになる事もあった。

通常のトリップの様に車であちこちのポイントへ動く訳でもないので、

いたってシンプルな行動だが、なんだか1日が長く、2回あるような妙な感じだった。

部屋の冷房はガンガン効き、むしろ寝ているときは消したくらいだった。

キッチンはガススタイルで、冷蔵庫も問題なく、水はヒュージボトルが備えられ、

皿を洗うのは水道水、料理に使うのは綺麗な水といった具合だ。

シャワーはちと弱く冷水だが、昼間は太陽によって暖められお湯みたいだった。

宿は民家でゲストルームとファミリールームが隣接していて、

俺らは3階の2ベッドルームで、俺が一部屋使い、ロフトにボーイズ2人が寝た。

キッチン用品で足りない物は、初日にミホコちゃんが揃えてくれ、

自炊態勢としては申し分なかった。

日本米は各自2〜3キロずつ持ち込み、ニシゼコが置いていった炊飯器で

パーフェクトに炊く事が出来たが、ほっておくとボーイズの食う量が半端ないので、

日本米半分、メキシコのアロッツ(パサパサの米)半分を混合して炊いた。

因みにメガスーパーには日本米(錦)が売っていたがバカ高かったので、

ケイトが持ってきた米も合わせて最後まで持たせる事ができた。

食い盛りのボーイズにはちょっと物足りなかったかもしれないが、

欲望のまま食うのもキリがないので、団体行動・軍隊生活・共産主義の如く、

皆で同じ量の米、オカズが分配されるキンちゃんスタイルだった。

それでもある食材、ある調味料だけで上手く和中洋の食生活を送る事ができた。

リアルは基本料理が出来ないのでもっぱら皿洗いや雑用。

ショウゴは16歳の割にはできるので基本シェフとなり、

俺が献立を決め、要所要所の味付けなどの統括監修?の立場となった。

基本は肉料理、たまに野菜主流の鍋、魚はスーパーには無く港でゲットする。

一度ミホコちゃんがびんちょうマグロのフィレットを買ってきてくれ、

それをショウゴが丁寧にさばいて刺身にし、

残ったフィレはニンニク醤油バター炒めのツナステーキにして味は絶品だった〜

外食は滞在中4度だけで、ほぼタコスディナ〜〜

その夜はチリ、ハラペーニョのおかげで決まってケツから火が吹いたが、

一度テイクアウトのBBQチキンを食べたら、ショウゴとナオミはもろアタリ、

丸一日、下痢・嘔吐・熱にやられてしまった事もあった。

俺たちがメキシコ入りして2週間過ぎた頃、

ケイトからナオミと6月18日に行きます、とのメールが来た。

元々プエルトエスコンディードの波を狙っていたケイトが、

タイミング的にナオミが行くと聞き、急遽一緒に来る事になったのだ。

パイプでウエイブオブザウインターに輝いたケイトが来る事になり、

丁度6月21日から4m級のビッグスエルが来る予報なので一気にテンションアップ〜

ミホコちゃんに頼んで、同じ宿の別の部屋を取ってもらい用意万端となった。

正直ティーンエージャーのリアル君とショウコちゃんのお子ちゃま二人では、

酒は飲まない、会話も弾まないサイレントライフだったので、

ケイトが来てくれる事によって沈黙モードから脱出できるので嬉しかった。

当日順調に成田〜メキシコシティ〜プエルトエスコンディードへとやってきた二人を、

ミホコちゃんと空港まで迎えに行き、翌日からのセッションに備えた。

翌朝いつもの様に午前4時半頃から朝ご飯を作っていたら、

下の階からケイトがやってきて、やべ〜全然眠れなかった〜〜と、

やっぱりしばらくは時差ボケとの闘いですな〜〜

サーファーが2人から4人になり撮影はビジーになってきた。

ケイトはファーバンクの方に行くは、リアルはレフト狙うは、

ショウゴとナオミは端のライトで待つはで、全て抑えるのが難しくなってきた。

これまでのトリップでは500ミリの単焦点レンズとテレコンを多用してきたが、

なんせレンズとケースが重いのであまり旅向きではなく、

昨年もっとコンパクトな400ミリ単焦点を買い、今回はそちらを持参した。

しかし動画撮影もしなければならないので、ズームがあった方が良く、

結局100〜400ミリのズームレンズにX1.4のテレコンを装着して撮影する事がほとんどだった。

これならレンズもカメラもバッグ一つに収まり、後は三脚だけなので移動に便利だった。

今はフィルム時代と違いデジタルワールド、つまりカメラも電化製品みたいなもの。

昔の様にクォリティを望むより軽量化、手軽さが重要となっている、、、ようだ。

なのでオイラも昔の様に大砲みたいなレンズで構える事なく、

コンパクトなズームレンズでビーチをあちらこちら動くスタイルとなっている。

そしてシカテラビーチには多くのカメラマンが集っている。

その多くはサーファーを撮って、サーファーに買ってもらうやり方だ。

実際今回動画は地元のビデオカメラマン・ハシエルサンチャゴからも調達した。

シカテラは冬のノース・パイプラインと同じく、ウエイブオブザサマーの聖地。

サーフラインでサーファーもビデオカメラマンも一攫千金を狙っているのだ。

だから2年前パイプでウエイブオブザウインターを獲得したケイトの事は皆知っており、

当然被写体としてあの一発を狙っていたし、

ケイトもまたあの一撃を虎視眈眈と狙っていた。

しかし、持参した長い方の6’5 と 6’10 をあっという間に真っ二つに折ってしまい、

ビッグデイを最中に背水の陣となってしまった。

到着翌々日に6’5 を折った時、これはヤバイと思い、

アツヤに連絡して、ローカルレジェンド・ロヘに長いガンを貸してくれ、

できれば朝、俺の居るところへ持ってきてくれと頼んでおいた。

6月21日のビゲストデイ、流石のリアルも手が出なかった。

ケイトはフロートジャケットを身につけ、6’10でファーバンクへパドルアウト。

1本目のレフトにプルイン、嫌な予感が的中してボードはブロークン。

後がなくなり落胆したケイトにロヘから借りた7’6 のガンを渡すと、

これも折れた板をつなぎ合わせてますね〜でももうこれでやるっきゃないっすね〜と。

ところが今度は借りたガンのリーシュキャップが吹き飛んでしまい、

もう修理してる間もないし、むしろノーリーシュの方が良いと言って、

その後はノーリーシュでシカテラのボムセットに挑み、結果素晴らしいチャージを見せ、

リアルの研ぎ澄まされたレールワークとは全く別物の、

シカテラの山の様な大砲の様なゴツい、分厚い、エグい波に、

ケイトらしい全くブレないハードなプルインを見せつけてくれた。

シェーパーとしても歩みだしているケイトにして、

シカテラの波にはペラペラの板では通用しない、ごついガンが必要なんだと。

持参した板はまさにポテトチップの様に砕け、

借りたガンはとうとう最後の最後まで大活躍した様だった。

それに引き換えリアルは6’5 という短さ、そして薄さはまさに常識外れで、

まさに神業とも言える波の捉え方、ソリッドテイクオフ、

クリティカルゾーンでのシャープかつ正確なレイルワーク、

それでいて力まず、どこかルース・フローしているスタイルには驚かされた。

おそらくラインアップにいたサーファー、そしてビーチにいたカメラマン全てが、

この小さな痩せ細った名も無い日本人の事を認めたはずだ。

波を嗅ぎ分ける能力、板を折らないタイミング、何よりもチューブでのスキル、

リアルの天性と言えるサーフィンがシカテラで見事に開花、証明されたのだ。

一方、ショウゴも今冬のノース修行の成果があり、

ハッと思わせる狂気の波へのチャージは眼を見張るものがあった。

そして、1月からすでに半年近くプエルトに滞在しているアツヤも、

15歳ながら流暢なイングリッシュとスパニッシュを使い分け、

ローカルコミュニティに溶け込んでいた。

また静のイメージが強いナオミは、見た目とは裏腹内に秘めた熱いソウルをもって、

清々しいスタイルのチューブライディングを披露していってくれた。

二人のボーイズから始まったトリップだったが、

スタイリッシュサーファーのナオミ、そして今や大御所の存在となったケイトの参加によって、

素晴らしき日本人の誇りとも言えるサムライセッションを展開していってくれた。

ノースでもそうだが、あの日本人誰?凄いね〜〜って言われることが、

俺は一番嬉しいし、それが日本のサーフィンをレベルアップしていく事なんだと信じている。

今回はまさに世界のプエルトエスコンディードを舞台に、

彼らのサーフィンがプルーブされ、それが世界に発信され、認められていく事となった。

俺はいつも旅はBAND ON THE RUN・仲間・運命共同体だと思っている。

一つのことに向かって皆で協力しあって事を成していく。

そんなパッションが漲った旅だったと確信した。

プエルトに集った5人のボーイズ・ケイト、リアル、ナオミ、ショウゴ、アツヤ、

滞在中ヘルプ・サポートしてくれた

ロヘさん、ミホコちゃん、バンさん、本当にありがとうございました。

いつも思うんだけど旅が終わって家に帰ると、あれは夢だったんだろうか?

と、妙にせつなくなる、センチになってしまう、、、

だからまた旅に出ようぜ〜〜〜

SEE U NEXT TRIP〜〜

 

 

 

 

 

IMG_2289With Roger Ramirez

 

 

 

 

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A63I0902A63I1852 A63I9909@ Playa Zicatera

 

 

 

 

 

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スクリーンショット 2021-07-06 3.43.29 A63I7281A63I5292 NKK51978Keito Matsuoka

 

 

 

 

 

 

 

A63I3639 A63I2174 NKK59595 A63I0868@ Playa Zicatera

 

 

 

 

 

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IMG_0258Kin

 

 

 

 

 

IMG_2238With Mihoko Sato

 

 

 

 

 

NKK57640With Roger Ramirez

 

 

 

 

 

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IMG_2322@ Puerto Escondido

 

Adios Mexico

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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