6/12 Story of Tsunami Calling vol-2

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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ツナミコーリング(ハワイ編)から一年後、

ツナミコーリングⅡ(ワールドトリップ編)の編集作業に入った。

サブタイトルはトラベリングシャワー。

コスタリカ〜フィジー〜ニアス〜奄美大島〜サウスアフリカがロケ地で、

SWの取材で各国へ行った時に、

スティールと合わせてビデオでも撮影したフッテージが素材となった。

 

 

コスタリカへは、当時若手トップだったフクチタカユキ、ヌマジリカズノリ、

そしてBIG4の一人・カスヤシュウジ等と旅した。

ハワイからロスへ飛び、ニューポートに居た友人とこにストップバイ、

BBQやってもらい、しこたま飲んで空港へ〜

コスタリカの首都・サンホセ行きの飛行機に乗るも泥酔状態、、、

飛行機が飛び立つやエチケット袋にゲロゲロゲロ〜

にゃんとそのまま寝てしまい、横にいたシュウジは、

いつ嘔吐袋を落とすかとヒヤヒヤもんだったらしい、、、

酷い二日酔いのままコスタリカ・サンホセ空港に到着〜

予約しておいた車がトラックだったので却下し、

別のマイナーなレンタカー屋で大きめのジープをゲット。

3人の板を屋根に載せ、カメラ機材、荷物を所狭しと車内に詰め込み、いざ出発〜

今のようにインターネットがあるわけがなく、グーグルマップなんてない時代。

空港でもらった地図を頼りに、まずは太平洋側の北西部に位置するタマリンドを目指した。

ハワイの友人からタマリンドのプラヤグランデを目指せと聞いていたからだ。

スペイン語圏なのでほとんど英語が通じなく、道中西部劇に出てくるような街並みと、

馬に跨ったカウボーイが印象的だった。

ペルーを旅した時に覚えたたどたどしいスペイン語と、枯れた標識のおかげで、

ほぼ半日近くかけてようやくタマリンドのプラヤグランデに到着した。

行き当たりばったりながらも、ビーチの目の前にあった宿にチェックインでき、

夕方目の前のビーチ(プラヤグランデ)で軽くゲットウエット〜

初日は小さかったが、バンクが良さそうなので、サイズアップすれば良くなりそうなのがわかった。

翌日からこのプラヤグランデをベースに、あちこちのサーフブレイクをサーチしまくっていった。

当時のサーフスポットガイドは、サーファーマガジンから発行されていたサーフレポートだ。

紙切れ2〜3枚に、ぎっしりとコスタリカのポイントの紹介がされていた。

とにかくこのサーフレポートを頼りに、

道無き道を四駆の利点を活かしながらポイントを探していった。

ある日プラヤグランデでボーイズとセッションしてたら、

昔、横田基地に居た知り合いのブルース君とデビット君に偶然会った。

久し振りの再開でタマリンドの街に出て皆でディナー、

翌朝別のポイントに連れて行ってくれると言うので、

翌朝は早くから行動開始〜折しもビッグスエルが入り、プラヤグランデはクローズ気味だった。

彼らの先導でガタゴトのジャングルロードを突っ切り、

ようやくプラヤネグラと言うライトのリーフブレイクに辿り着いたが、

ここもちとアウトオブコントロール、、、

これ以上チェックチェックしているとオンショアが吹いてきてしまうので、

俺たちはプラヤネグラに着く前に見たレフトハンダーでやることにした。

ここもちとマックスオーバー気味だったが、ジャストゴー!

ブルースやデビットはちょっとデカすぎなのか、しばらく俺たちの様子を見てから退却して行った。

しばらく水中で撮影していたが、やはり棚持ちせず、喰らいまくってチ〜ン。

皆も上がってきて、さあ宿に戻ろうかとなった時、

朝暗い時に先導してもらったので、はっきりと道を覚えていにゃい〜

もちろん方角とかはわかるが、なんせ入り組んだ道のりだったので何ともはや、、、

こっちだと思ってしばらく走ると突き当たりだったり、

誰かの牧場に入ってしまったりと完全迷路状態。

たまたまあったローカル食堂に入り、とりあえず豆料理を食べ、

親父に道を聞くもコテコテのスパニッシュでようわからん、、

そんなこんなしながらも、ようやく大きな道に出て、

やっと方角もはっきりし、宿に帰りつくことができた〜

したら目の前のプラヤグランデがまとまり始め、夕方にかけて超ゴーインオフしだしてきた。

やはりサイズが出ても、潮、風、カレント、スエルディレクションが合えば、

ここはドチューブになるんだと納得した。

そして翌朝はややサイズダウンしてきたので、昨日のプラヤネグラが良いのでは?と直感し、

昨日で道はマスターしたので、最短コースでプラヤネグラに辿り着くと、

3〜4〜のベルジーランドのようなブレイクでゴーインオフしていた〜

誰もいないので、水中&岸、スティール&ビデオをフル稼動させ、

昼のオンショアが吹き出すまでロングセッションを続けた。

この時に撮影されたタカのエアーショットが、SWコスタリカ特集号のカバーを飾った。

プラヤグランデ、そしてプラヤネグラをスコアしたので、

いよいよコスタリカトリップ最大の目的地・ウィッチロックを狙うことにした。

このスエルが残っている間に行こうとなって、

翌日まだ日が明けないうちに80kmアップノースしたところにある、

サンタロサ国立公園内にあるプラヤナランホ・ウィッチロック(魔女の岩)を目指した。

国立公園で周りには何も無いと聞いていたので、水、食料、果物等を持参し、

これまたガタゴトの道を突っ切って行った。

はじめに停めた駐車場からはウィッチロックが遥か遠くに見え、

もっと近い駐車場はないのかと探していたら、

なんか怪しい道がずっと奥の方まで続いていたので、

ジャングルの中をおっかなびっくり車を進めていくと、なんと道の終点に広場があった。

ここならウィッチロックが丁度正面くらいになるのではとビーチへ行こうとすると、

これまた怪しい川があり、いかにもワニが出て来そうな感じだったので、

俺とシュウジは、とりあえずタカとヌマが最初に渡れと強制指示。

タカとヌマはかなりビビりながらも川を渡りきり、

とりあえずワニはおらんのか?と思いながら俺らも川を渡って、海チェック〜

やはり海にポツンと立つ神々しいウィッチロックが正面に見え、

なんとその岩にスエルが吸い寄せられるように集まり、

岩のインサイド左右のバンクで、

ショルダーの張ったライト&レフトのビーチブレイクがピールピーリングしていた。

風はオフショア、天気良し、ノーバディ、

一気にテンションアップで、ワニなんかの事は忘れちまい、

川をザブザブ渡って戻り、板、カメラ機材、水、食料を皆で手分けして持ちビーチに戻った。

そこからは夕方まで皆は出たり入ったり、

俺はスティールにビデオと、ノンストップで撮影を続けた。

目の前には、何故こんな大きな岩が海から突出しているんだろう?

後ろを振り返ると、サンタロサ国立公園の深く熟成したジャングルが生い茂り、

どんなワイルドアニマルが潜んでいるのだろう?

ロータイドの時はややブレイクが早かった波も、

潮が入り出すと上手くサンドバーにヒットし、ゴージャスなコンディションとなってきた。

炸裂とまではいかなかったが、かなりエピックなコンディションで、

それも誰もいないウィッチロックをスコアすることができ、帰りの道中は皆でノリノリだった。

辺りはもう真っ暗闇となり、もう少しで宿に着こうという時、

暗い夜道を地元のオッチャンが歩いていた。

そしてそのオッチャンの手には、、、なんとアルマジロが!!!

なんかアルマジロは、鋼鉄のような鎧をつけたデカイネズミって感じだった。

アルマジロを撮影したかったので、オッチャンを車に乗せ、途中まで送って行ったら、

なんとオッチャン、車内でアルマジロを手から離してしまったから大騒ぎ〜〜

アルマジロがここぞとばかりに逃げ出そうと車内所狭しと大暴れ〜

皆はアルマジロの爪で掻き傷だらけとなった〜

ようやくオッチャンが取り捉え、アルマジロはおとなしくなったが、

オッチャンが降りる時になって、アルマジロを置いて帰ってしまった。

アルマジロを持たされたタカやヌマは弱ってしまい、もう逃がしてあげましょうよ〜となり、

宿に着く前に車から降ろすと、猛ダッシュで草むらの中へ消えて行きよった〜

その後スエルは上がらず、プラヤグランデから、

コスタリカ西海岸中央部に位置する、ハコやプラヤエルモサ、

東海岸のプエルトビエホまで足を延ばしたが、この旅の前半に当たったスエルでのフッテージが、

ツナミコーリングⅡのオープニングを飾る、コスタリカ編でふんだんに使用された。

 

 

 

 

2編目に来るのが、フィジーで、俺にとっても初めてのディスティネーション、

夢のフィジートリップだった。

メンバーは日本からクガタカオ、イマムラアツシ、

そしてハワイから日系ロングボーダーのエディニシザキだった。

飛行機がフィジー本島に近ずくと、沖縄のようなアウターアイランドの環礁の島が眼下に見えだし、

南国気分一杯になった。

ナディ空港から港へ連れて行かれ、

今度はボートに乗って、本島ウエストコーストの沖合に浮かぶプランテーションアイランドへ〜

旅の前半はこのプランテーションアイランドからナモツアイランドへ通う毎日となった。

プランテーションは普通のリゾートアイランドで、島の周りには波が無く、

タバルアやナモツのようなサーフリゾートではない。

丁度このプランテーションに居た前半一週間は波が小さく、

ナモツのレフトで腹〜胸〜肩程度だった。

それでもウォーターカラーはゴージャス、天気も最高、何よりもアクセスがボートで楽チンだった。

水中メガネをつけて海に潜ると、ピッカピカのコールリーフが海底一面に敷き詰められ、

今までにない海の美しさに心底感動した。

スモールナモツながらも、一日2回セッションをこなし、

雑誌用のスティール、そしてツナミコーリング用のビデオを撮影していった。

プランテーションに戻ると素敵な食事と楽しいビアタイム、特にエディの芸が面白かった〜

瞬く間にプランテーションデイズが終わり、エディはこれにてハワイへ帰国、

残った俺とタカオ、アッチの3人で、

今度は本島サウスコーストにある、ハイダウェイリゾートへと移動した。

リゾートの目の前にあるパスでは、ハイダウェイと呼ばれるライトハンダーがあり、

車で西へ30分の所にシンガトカのレフトハンダーがあったが、

メインの狙いは、ハイダウェイから東へ車で1時間のパシフィックハーバー、

その港からボートで1時間近く沖合にあるフリゲートパスのレフトハンダーだった。

まだ見ぬアウターワイルドリーフブレイクにスエルが入るのを待ち望んでいた。

いよいよハイダウェイがクローズしてきたので、フリゲートパスへゴーする時が来た。

陸路1時間、海路1時間、つまりフリゲートパスまで2時間以上かかるので、

パシフィックハーバーには夜明け前に着き、船に荷物を乗せて、夜明けと共に出航した。

本島を出ると大海原で、東寄りの貿易風が強まった。

この風で大丈夫なんかな?と不安要素はかなりあった。

なぜならハイダウェイに引っ越してきてから、

なんだかんだずっとクロス〜オンショアだったからだ。

ナモツやタバルアは本島の西側にあるので、

通常のトレードウインドがオフショアになってくれるのだが、

サウスコーストの、更に沖合のアウターリーフでもオフショアになるのかな?という事だった。

本島が遠く豆粒の様に見え、他に島影も無く、ビュービュートレードウインドが吹き荒れ、

チョップってる海を更に南へ沖へと進むと、島は無いが浅瀬のリーフが見えだし、

そのカーブの所で波が規則正しく割れているのが確認できた。

フィジアンのキャプテンにあれがフリゲートパスか?と聞くと、

ブラ〜〜そうだぜ〜〜リーフがエンドでベンドしているから、

ここだけオフショアになるんだ〜ブラ〜

ボートを更にブレイクに近づけてみると、

まさに海外雑誌に出てくる様なドリームウエイブだった。

タカオもアッチもここまでの不完全燃焼モードを一気に爆裂、

陸地も見えない、誰も居ない海へと飛び込んでいった。

ここまで陸地の見えないアウターリーフでのサーフは初めてだったので、

カレントは?鮫は?ラグーンに持って行かれたら?いろんな事を考えてしまったが、

もう3人で助け合いながらやるしかないと思い、オイラもブギボードで水中へ〜

午前のセッションはまだ4〜5位で、潮も上げていたのでそれほど巻いてこなかったが、

ランチブレイクを終え、午後の干きに入ると海の様子が変わり、波がソリッドになってきた。

インサイドにアンカーを打ち、チャポンチャポンとマッタリした船上のお休みタイムから、

いきなり戦闘モードに入り、二人も気合い入れてパドルアウトしていった。

セットは6プラス、最後の方に来たドセットは8ft近くあり、

タカオはそのセットを乗り込み、バックサイドながらスタンディングバレルを決めてきた。

もちろんフロントサイダーのアッチもことごとくバレルをメイクし笑顔が絶えなかった。

俺もスティールで1ロール撮れば船に戻り、また1モアロール、

そしてビデオと、全エナジーを使い切るまで撮影し続けた。

やがて陽が西に傾き、帰りの時間も考え、退却することにした。

皆で船に戻っていく時、船上からキャプテンが嬉しそうにガッツポーズを出してくれた。

船に乗り込み、アンカーをあげ、エンジンをかけて走り出すと、

後方に見えたフリゲートパスにまたセットが入り、エンドでスピッツを噴き出した。

終わり良ければすべて良し、前半のスモールサーフも楽しかったし、

まさか旅の最後で、フリゲートパスのゴーインオフを拝めるなんてね〜

こうしてツナミコーリングⅡでは、まだ世界的にもエキスポードされていなかった、

フィジーの秘境・フリゲートパスの映像で彩られることになった。

 

 

 

そして舞台はインドネシア、あのニアス島のマジカルパーフェクション・ラグンディベイを、

セキノサトシ、トダトモヤス、ウシコシミネトウ等と共に、バビューンと攻め込んだお話〜

1980年代中盤、まだまだ手探りの旅の時代、

全てが行き当たりばったりのアナログ丸出しトリップだった。

まずは成田からインドネシア・スマトラ島のメダンに飛び、

次はメダンから二アス島のグヌンシトリへ飛ぶんだけど、

メダンで一泊し翌日のチケットを取ったつもりが、何でか翌々日のだったみたいで、

飛行機に乗れず、はい、空港からまたメダンの宿に後戻り〜

めげずにまた翌日空港に行き、ようやくグヌンシトリ行きに乗り込みテイクオフ〜

やっとニアスに行けるぜ〜と思いきや、片方のプロペラがちゃんと動いてにゃいので、

飛行機はメダン空港へ引き返し、もう二アスへ行けないのかまで被害妄想になっていたが、

しばらく空港で待機していると、再び飛行機は飛び立ち、

ホンマ大丈夫なん?と思いながらも、なんとかグヌンシトリに到着〜

あらかじめメダンで大き目のタクシーを予約していたのだが、

どこでどうなったのか小さなジープが空港の前で待っていた。

これにドライバーと俺ら4人、それに荷物どうやって載せるのよ?

と、怒っても仕方ないのがインドネシア、、、

まず板をずっしり屋根に乗せ、後ろの小さな荷物スペース、後部座席の3人の足下、膝上、

助手席の足元、膝上にぎっしり荷物を詰め込み、いざ出発すると今度は大雨に見舞われ、

ボードを縛っている紐から、挙句は窓から屋根から雨漏りで、全員びしょ濡れ、、、

それでもドライバーはガラムをブカブカ吸いながら、突っ張ったツラして走り続ける。

なんかヤンキー気質なのか、狭い道で対向車が来ても全く譲らず、

偉そうにエンジンまで切って、またガラムを吸い出しやがる。

その割には何気に運転は下手と来た。

いい加減このドライバーには皆も腹が立っていた。

そこに駄目押しとも言える出来事が起こった。

目的地・二アスの南西端・ラグンディベイ・ソラケビーチまであと1/4まで来た所で、

橋が陥没し、川を渡れなくなっていた。

近所の住民が板切れを持ってきて川の上に張って道を作っていたが、

こんなんで大丈夫?と言う情けないものだった。

それでもまず1台目がゴーしたと思ったら、やっぱり脱輪して車半分川に落ちよった〜

懸命に多勢の人で車を持ち上げ、車をまた板切れに乗せ、

また進むも運転が下手すぎてまた脱輪、、、

そんな繰り返しで1時間、2時間と時が過ぎていく。

ようやく俺らの車の番になり、行こうとするもヤンキードライバーが怖気突き出し、

使いもんにならん。

なので、ここは富士川の砂利道で鍛えたトダちゃんに運転してもらうことにした。

ツッパリ運ちゃんの割にはあっけなくドライバーの席を譲り、

トダちゃんは見事、細い板切れから脱輪することなく、無事向こう岸まで辿りつく事ができた。

その後はヤンキードライバーが運転し、もう突っ張ることもなく、

雨も上がり、何事もなくソラケビーチに到着した。

ソラケではアマドリロズメンにチェックインし、

目の前にはあのジャングルバックのパーフェクトライトハンダーが唸りを上げていた〜〜

翌朝は4〜6〜でファイア〜、朝一誰も入ってない時にサクッとブギーに出かけた。

奥のタイトなチャンネルから、髪の毛を濡らすことなくピークへパドルアウト。

ラインアップにはオイラ一人、そこにドセットがやってきた〜

抜群の位置からテイクオフ〜と思いきや、更に持ち上げられ、更に掘れ上がり、あっかん〜〜

ブギを捨て、そのまま頭から真っ逆さまに落ち、恐るべしほど巻かれに巻かれ、

もう絶対ヒットする、大怪我してしまうとまで思ったが、ボトムに当たることもなく、

インサイドインサイドでポカッと浮上し、九死に一生を得た。

俺がブギーして怪我して撮影できなかったら洒落にもならないと思い、

手前の波にそそくさっと乗って宿に戻った。

この初日からラグンディは延々とゴーインオフし続け、至福の時を味わった。

いつもパドルアウトしていく時、

右奥でブレイクするホローライトハンダー・インジケーターが気になっていた。

一度潮が乗っている時にやってみようとなり、

当時ASPで大活躍していたシェーンヘリングの弟・ブレットヘリングと

狂気のインジケーターセッションを行った。

リップはもろリーフの上に落ち、シャローこの上ないので、横逃げしかなかった。

それも全部チューブなので、チューブをメイクしなければ岩に叩きつけられる。

またチューブの終わりがなく、ずっとチューブで最後は棚の上でグシャ〜となってしまうので、

どこかのタイミングでプルアウトしなければならないギロチンスポット。

ボーイズはおっかなびっくり、傷を負うもの、決死のプルアウトを試みるもの、

メインブレイクとは全く違うスリル、いやリスキー過ぎるセッションとなった。

そんな中、OZボーイのブレットヘリングは、クールにドセットを乗り込み、

ルースしたスタンディングバレルを何本も決めまくっていた〜

なんでもブレット君は二アスの常連で、

それもこのインジケーターでしかサーフしないと言う変わり者サーファーだった。

なるほど、納得、恐れ入りました〜ワラ

二アス滞在中二人の日本人に出会った。

一人は名古屋出身のジョーさんと言う方で、一年の半分以上このラグンディで過ごしていた。

もう一人は熊本出身のユウイチ君と言う方で、

トラベリングサーファーながら、ボーイズ顔負けの凄いチャージを見せてくれていた。

ジョーさんは初めての俺たちによくしてくれ、魚を持ってきて一緒にビールを飲んだり、

ゴムボートで川の上流まで連れて行ってくれたりしてくれた。

しかしそのジョーさん、俺らが帰国してからサーフィン中の事故で帰らぬ人となってしまった。

今もジョーさんの魂は二アスで息づいているのか、、、R.I.P ジョーさん、、、

メダン、グヌンシトリに居る時は、本当にラグンディに辿り着けるのかとまで思っていたが、

いざラグンディに着くと、波は良い、アマドリの居心地も良い、ラインアップの雰囲気も良い、

最高の二アスデイズを過ごし、瞬く間に帰る時がやってきた。

またあのロングウエイをグヌンシトリまで戻らなければ、と思うと憂鬱になる、、、

ところが帰りの車は大きく快適、更に橋も修復し、天気も良く、

なんと来る時の半分くらいの時間でグヌンシトリ空港に着いてしまった。

一体あの行きの面倒臭さはなんやねん〜〜

もちろんメダンまでの飛行機も問題なく飛び、

メダンでのラストナイトを楽しんで、帰国への途を辿った。

この時の二アスのフッテージが、ツナミコーリングⅡ 最大の見せ場となり、

サトシ、トダちゃん、ウッシーの弾けまくったパフォーマンスが、

二アス編3曲の中で大炸裂して行ったのだ〜

 

コスタリカ、フィジー、二アスの他には、奄美大島とサウスアフリカ編もあり、

それについては先のブログで書いてしまったので、そちらを読んでみてください〜

 

奄美大島の記事は

https://www.namidensetsu.com/news/naoya_kimoto/324939

 

 

サウスアフリカの記事は

https://www.namidensetsu.com/news/naoya_kimoto/328325

 

 

 

 

このように1980年代中期から1990年代初期にかけて世界中を旅した記録として、

ツナミコーリングⅡの制作・編集が始まった。

前作の編集から勝手がわかり、無駄なことは切り落とし、仮編でできることだけに絞り、

時間も相当短縮することができ、ストレスも少なくなっていた。

大好きな旅を題材とした作品だったので、自分的にもノリがあったのだろう。

それが本編の時に活かされ、

あの漫画界の巨匠・ちばてつや氏の息子・ちばこうぞう君のイラストを急遽使う事になり、

本編スタジオで、その場その場の雰囲気に合わせた、こうぞうワールドの絵を導入していった。

これによって旅の楽しさ、醍醐味が更に表現できた感じがし、

本編も和気藹々と一気に進ませることができた。

オープニングのメッセージには、

If This is Dreaming , Let me Sleep

これが夢なら、このまま寝かせといてくれ

ビデオが完成しても、オイラはまだまだ夢の中にいたようだった、、、

 

このツナミコーリングⅡから、SW編集長・磯部氏の友人でもあった、

サイファーコミュニケーションのイザワ氏がプロデューサーとなり、

更にサーファーズフィーリングで制作をすることができた事も良かった。

この後、ツナミコーリングⅢ(日本編)、

そしてプロモーションビデオとして、

ドロップアウトの クラッシュ、

ソエダサーフボードジャパンの ソリッドロック、

オーシャンサプライズの コアナル、を経て、

俺の最後の編集となる作品、ツナミコーリング・ファイナルエディットまで、

プロデューサー・イザワ氏とのタグが続いていった。

処女作・ツナミコーリングの反響は凄かったが、

2作目のツナミコーリングⅡ・トラベリングシャワーも、旅への誘いが受け大反響となった。

そしてその翌年、3部作の最終章、

ツナミコーリングⅢ・バックトゥハートランド(日本編)の制作に入ることになる。

 

 

 

 

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