5/26 Preview of DVD Surf Pilgrimage / To The Ends of The World vol-2

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Jeffrey,s Bay  South Africa

 

 

DVD 波巡礼Ⅱ・プレビュー・サウスアフリカ編です〜

 

日本から見ればまさに地球の果てとも言えるアフリカ大陸・最南の国・南アフリカ共和国。

そしてサウスアフリカと言えば、ジェフリーズベイ!!

世界屈指のポイントブレイク・夢のライトハンダーだ。

サーフィンフォトグラフィーの道を歩んだ頃から、いやサーフィンを始めた頃から、

いつかは絶対にジェフリーズベイに行きたい、行こうと決めていた。

そんな夢・目標が叶ったのが1989年の事だった。

大磯・ドミンゴのヨッちゃん事アベカワヨシオ氏が、

サウスアフリカ・ダーバン在住のシェーパー・スパイダーの板を扱っていたことから、

スパイダーさんのセッティングで、初めてのSAへ旅立つ事が出来たって訳。

アベカワ氏に加え、南紀のホリグチゲンキ君、当時大阪アップカマーのアライヒデオ君、

そしてオイラ、4人のパーティーとなった。

 

 

 

 

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(過去の手記から)
アベカワさんとの最大の思い出と言えば、

やはり1989年に行った初めての南アフリカトリップだろう。

ダーバンに住むシェーパー/スパイダーマーフィーとの繋がりを持っていたアベカワさんを頼りに、

ホリグチケンキ君、アライヒデオ君といった異色のメンバーで、

初サウスアフリカトリップを敢行したのだ。

まずはジョハネスバーグへ飛び、そこから国内戦でダーバンへ、

スパイダーさんがピックアップしてくれ、

ベイオブプレンティの目の前のホテルにチェックイン。

翌日からスパイダーさんやライダーのピエールトスティ等のケアの元、

ノースコースト&サウスコーストへウエイブハンティングに出かけた。

確か初日から素晴らしい朝焼けの中、

ノースコーストのトンガットビーチでジェフリーズの様な波に遭遇し、

一気にテンションが上がったのを覚えている。

こうなれば一日も早くジェフリーズベイに行ってみたくなるってもんだ。

スパイダーさんは忙しいシェイプの時間をさいて、

俺達とジェフリーズトリップに付き合ってくれた。

ダーバンからポートエリザベスへフライトし、

そこから車で一時間、ようやく夢にまで見たジェフリーズに到着~

都会のダーバンとは違った、カントリーフィーリング漂う雰囲気が、

更にジェフリーズを愛おしくさせる程だった。

ここでもスパイダーさんのセッティングで、

ポイント近くのコンドを借り、自炊スタイルに入って行った。

残念ながらJベイには波はなく、

毎日車で30分くらいの所にある、ケープサンフランシスのシールポイントに通った。

ここもポイントブレイクで、インサイドはシールビーチと呼ばれるビーチブレイクがあり、

コンシスタントでいつもサーファブルな波がブレイクしていた。

スパイダーさんはシェーパーとして多忙な身なので、3~4日でダーバンに戻り、

ここからが俺等のアフリカンサーフサファリが始まった~~

まずはアップノースして、イーストロンドンエリアへ走った。

ここもまたサーフタウンで、ウエンディボサと言うレディースワールドチャンプを輩出した場所で、

千葉に住むテレンスローターさんもイーストロンドン出身だと聞いた。

この町をベースに地図とサーフガイドブックを頼りに、片っ端からサーフチェックを入れ、

ついにイーストロンドン、いやサウスアフリカを代表する

ナフーンリーフでクラシックウエイブに遭遇する事が出来た。

サイズアップするとサンセットの様になるというナフーンリーフ。

水はややグリーニーでボトムは見えなかったが、

クリーンなラインアップとビューテホーなモーニングライトに照らされ、

初日のトンガット以来の最高のセッションをメイクすることが出来た。

ところが後で知った事だが、ナフーンリーフはシャークアタックで有名な所らしく、

俺等が行く前もアタックがあり、その後もあったというくらいで、

何も知らずに水中なんかやっていたことが恐ろしかった、、

イーストロンドンでの日々を過ごし、再びジェフリーズへ戻るも、

相変わらず波は小さいので、今度はヘッドトゥウエスト~~ケープタウンを目指した。

運転は皆で代わる代わるやってるが、アベカワさんが運転すると超マイペースのゆっくり運転。

大陸のフリーウエイでの走り方とは程遠いので、すぐに却下されてしまっていた。

そういえばスパイダーさんとシールビーチに向かうダートロードでもノロノロ運転で、

スパイダーさんに、ヘイ、ヨシオ、こんなダートロードこそスピード出さなきゃ

バンプを拾ってしまうんだぜ~と言われていた。ワラ

なので道中アベカワさんはもっぱら後ろの座席でゆっくりしてもらっていた~

結局ケープタウントリップでは、風ビュ~ビュ~寒寒でまともにサーフせず、

もっぱらクル~ジン~喜望峰に行ったり、

当時ASPが行われたビッグウエイブスポット/アウターコメキーをチェックに行ったり、

その近くでアワビを捕ったりし、大量のアバロニをホテルに持って帰り、

ゲンキ君クッキングの元、アワビづくしのディナーとなった。

ホテルオーナーの老夫婦にもお裾分けをしたが、

アワビを食べた事も無かった様で、恐る恐る口にしていたのには驚いた。

一方アベカワさんはアワビの刺身に舌を打つ程感動していた~~~

そんなこんなでケープタウンから一気にジェフリーズへ三度戻り、

今度こそ次のスエルに期待し待機った。

ところが残念ながらアベカワさんは時間切れのため、一足早く帰る事になった。

思えば、20代,30代、そして40代といった

異色のジェネレーションサーファーでの初サウスアフリカトリップだったが、

楽しく愉快に時を過ごせたと思う。

それもやはりスパイダーさんとの繋がりを持った

アベカワさんのおかげでもあったことに感謝したい。

その後アベカワさんは一旦ダーバンに寄り、スパイダーさん宅で一泊して帰国の途につき、

残った俺とゲンキ君、ヒデ君は、

サイズアップしてきたジェフリーズベイのファンタスティックな波を堪能することになったのだ。

 

 

 

このファーストSAトリップでは、旅の後半、

デレクハインドが企画した”ドリームシークエンス”という

フリーサーフィンコンテストが行われ、

ラッキーにもゲンキ君やヒデ君もワンヒート出場することができた。

波はドンピシャ大パンプとなり、クラシックなジェフリーズのラインアップが何日も続き、

当時のトッププロ、オッキー、マットホイ、ルークイーガン、マンガバリー、ロスクラ、

ポト、ロニーバーンズ達の大セッションが、ダイナミックなJベイで展開された。

そしてこのドリームシークエンスが、後のQS,そしてCTへと繋がっていくことになったのだ。
このトリップですっかりサウスアフリカが好きになり、その翌年・1990年も、

当時日本のトッププロだった、コウツサヒロユキ、サカモトキヨカツ、ホンジョウムツミ等と、

ダーバンから車でトランスカイを通り、イーストロンドン〜ジェフリーズベイへの旅を敢行した。

 

 

 

 

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(過去の手記から)

 

1989年に初めてサウスアフリカを訪れて、ジェフリーズベイを始め、

この国の大自然に魅了され、3年連続で南アフリカに通った。

初めての時は、ヨッチャン(アベカワヨシオ)、

ゲンキ君(ホリグチゲンキ)、ヒデ(アライヒデオ)の異色トリオで、

ヨッチャンのつてでシェイパーのスパイダーケアの元、

ダーバン、ジェフリーズ、そして自力でケープタウン、イーストロンドンにまで足を延ばした。

そして、2度目の時は、コッツ(コウツサヒロユキ)、ボーチャン(ホンジョウムツミ)、

キヨ(サカモトキヨカツ)の同期トリオで、

ダーバンからジェフリーズまでのドライブスルーを敢行した。

ダーバンをキックオフして、トランスカイを経て、

イーストロンドン郊外のキャラバンパークをベースにし、

ナフーンリーフ、クィーンズベリーベイ、イエローサンズなどをサーフ/シュートしていた。

イーストロンドンはサウスアフリカの中でも波の豊富な所で、初めて世界選手権が行われたり、

歴代のサーファーを生んできたサーフタウンながら、

ダーバンやジェフリーズの影に隠れ、その存在が薄いのも否定できない。

俺は一回目の旅の時にナフーンリーフで良い波に当たっていたので、ここの印象が良く、

二回目のこの時もジェフリーズに入る前、一発ここで当てたいという気持ちでいっぱいだった。

頭オーバーの波は普通にあるが、ここは鮫の宝庫らしく、

年に数度シャークアタックがあるというので要注意。

ある日、クィーンズベリーベイで3人だけでサーフしていたら、

キヨが頭のてっぺんで手を合わせ拝む様な格好でそそくさあがってきた。

目の前にニョキっと鮫のひれが見えたという。

もち全員すたこらさっさと上がって来ると、入れ違いにローカルが入って行くので、

鮫が居るよと教えたが、それはドルフィンだよって言って入って行っちゃった~

またサーフィンとは関係ないが、こんな笑い話もあった。

南アフリカに到着した翌日、ダーバンのケイブロックが良くて、

早速初日からセッション開始~と思いきや、

一本目の波を豪快にプルインしたコッツは、いきなり頭から手から血まみれであがってきた。

ケイブロックのシャープなボトムリーフにヒットしたという。

異国の訳解らんとこにいた俺達を、ローカルサーファーの人が助けてくれ、

コッツを病院に運んでくれた。

もちろんコッツは暫くサーフィンはできず、おとなしくしていたが、

このイーストロンドンで抜糸する時が来た。

病院の場所がわからず、道を歩いていたお婆さんに訪ねると、

いきなり車に乗ってきて、あっちよ、と言う。

わざわざ乗ってまで教えてくれるのか~と思って言われるままに車を走らせると、

ここよ、ありがとう、と言ってお婆さんは自宅に帰って行った。

俺とコッツは顔を見合わせ、何だったんだろうと再び病院を探しまくった。

そんな愉快な旅の中で、ついにビッグスエルが到来。

あちこちチェックし、結局誰もいないイエローサンズでやることにした。

6~8フィートのドピークから、久々海に戻ったコッツはぶち切れた様にドロップを繰り返し、

ボーチャンは得意の深~いボトムターンで雪崩の様なスープをスルーしていった。

岸撮りもほどほどにし、俺は水中に入って行った。

旅の取材の時はハワイと違って、短期間の中でまとめなきゃっていう意識があり、

どうしても抑えの岸撮りが多くなってしまうが、やはりここぞと言う時は水中に入る。

その時にキヨがドセットをもぎ取り、ビハインドピークからビッグバレルにプルイン、

見事メイク、そしてその時のショットが、当時のサーフィンワールドのカバーを飾った。

その後選手生活を引退し、地元茨城でサーフショップをやることになったキヨは、

店の名前を、イエローサンズとした。

色んな想いでこのネーミングにしたと思うが、俺は嬉しかった。

忘れそうで忘れられない、イエローサンズでのモーメンツは、しっかりと息づいているのだ。
この2度目のトリップでは、Jベイに着いてから、当時ASPツアー(今のQS)に参戦していた、

セキノサトシ、ヌマジリカズノリ、ウシコシミネトウ等も加わり、

ジェフリーズの夢の様な波を堪能し、それらの模様は当時製作していた、

ビデオ ”ツナミコーリングⅡ・トラベリングシャワー”のトリを飾ることになった。

その翌年・1991年もウシコシ、ワキタ、シュットウと言ったメンバーで、

サウスアフリカとレユニオン島を旅した。

寒いジェフリーズのライトハンダーと、

暑いサンルーのレフトハンダーを、ボーイズと共に取材を重ね、

その時のフッテージは、”ツナミコーリング・ファイナルエディット”

で使われる事になった。

 

 

 

 

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その1991年のトリップから、実に24年ぶりの2015年に、

久々サウスアフリカトリップを企てた。

まずは、フカガワタツヤとイナバレオがメンバーに決まり、

そこにちょうどバリトでのQS戦があるので、

オオハラヒロト、アライヒロト、そしてカスヤシュウジがジョイントしてきた。

アメリカのフォトグラファー・ピートフリーデンがJベイに所有するビーチフラットを借り、

歩いて2分の所にジェフリーズベイが広がり、連日撮影に没頭することができた。

お家でウエットに着替え、そのまま歩いてビーチへ、

ボーンヤーズのタイトなチャンネルからパドルアウト、

セッションを終えると、インポッシブルのタイトなチャンネルから上がり、そのままお家へ〜

ウェットのままホットシャワーを浴び、冷えた体をリカバリー、そんな毎日だった。

エキゾチックな朝焼け、ミッドデイの優しい光、夕方の淡い順光、

全ての光、色にムードがあるジェフリーズは本当に飽きることがない。

波は今風のスラブではないが、サーファーがサーフボードを駆って、

あの切り立った壁をどういったライン取りをするのか、

どんなパフォーマンスを発揮するのか、

サーファーの力量、サーフボードの良さがはっきりと浮き彫りにされる場所だ。

だからこのパーフェクションにどんなサーファーが滑れば格好いいのだろう?

フィットするのだろう?、と考える様になった。

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-26 13.09.35Hiromichi Soeda

 

 

 

そして、2年後の2017年、あの日本のレジェンド・ソエダヒロミチさんを連れてJベイに戻った。

この時は更に近く、ビーチまで1分の所に家を借りた。

ヒロミチさんと奥様のタカコさんを連れて行き、

2〜3日してからイナバレオとモリユウジがやってき、

更に途中からキノカイトもチェックインしてきた。

同じ時にオオハラヒロト、アライヒロトもJベイ入り、

皆と連絡を取り合いながらセッションを続けた。

若手もさることながら、60歳になったヒロミチさんの若々しいアプローチには心底感動した。

Jベイの端から端まで完走していく姿は、ローカルの間でも話題となっていた様だ。

ある日、タコ取り名人?のレオがどでかい蛸を捉え、

30分近くの格闘の末、ようやく捕まえ出した。

もちろんその夜は蛸パーティーとなり、ヒロト親子も呼んで、

タコ刺身、タコしゃぶしゃぶ、タコ唐揚げ、タコマリネと蛸三昧だった。

この時のトリップで、俺は今までにない一番でかいスエルに遭遇した。

8〜10級のビッグセットは棚の外でブレイクしてしまい、

クローズではないがダラダラになってしまい、

全くチューブにならないことを知った。

デカすぎの朝は、ブルースブラウンの映画・エンドレスサマーで有名になった、

ケープサンフランシス(ブルースズビューティ)に行くも、こちらはちとウィーク、、、

結局午後のJベイ待ちとなり、やや落ち着きを見せた夕方、

ジェフリーズは素晴らしいラインアップを見せ、

レオやカイト、ジョシュモニーツやベンジーらがゴーインオフした

忘れられないセッションとなった。

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-26 13.13.02Reo Inaba

 

 

 

 

毎日のセッションの動画は日々、波伝説にアップしていたが、

俺の中での構想は一本の作品として考えられていたので、

翌年・2018年に更なるニューメンバーでジェフリーズに臨んだ。

タナカヒデヨシ、ナカムラタクミ、サトウガイといったトップコンテンダー、

それに波伝説代表のカトウミチオ氏も同行した。

この時はJベイが一望できる丘に建つ家を借りてみた。

ビーチまで徒歩で10分ほどかかるが、何よりもサンライズビューがゴージャスで、

皆毎朝夜明け前には起き、ポートエリザベスの方から赤く染まる朝焼けを心待ちにしていた。

辺りが明るくなると眼下にはJベイのラインアップが見え、その日のコンディションがよくわかった。

サーファーは家でウェットに着替え、冷たい空気の中、丘を駆け下りビーチに向かい、

撮影班は機材を車に積んで、その日のサイズによって撮影場所を変えていった。

この年は暖冬なのか、いつものあの寒さがなく、冬のビッグスエルもまだ到来していなかった。

そんな時はシールポイントでサーフしたり、自然動物園に行ったりして過ごした。

そしていよいよザデイの到来となった。

俺は予てから決めていたポシションに、朝の暗いうちからカメラをセットし、

今日は何があっても日が陰るまでここから動かない、日本人の乗った波は逃さない覚悟でいた。

サーファーは一回乗っては上がり、また歩いてピークに戻り、パドルアウト、

また乗っては上がりの繰り返し。

ランチブレイクで家に戻る者もいれば、出たり入ったり、

俺のとこに来て少し休憩したらまた海へ、、、

だからやっぱりカメラから離れるわけには行かず、

結局陽が西に沈み暗くなるまで現場にロックオンだった。

仕事終わりのローカルが見にきて、今日が今年のJベイのオープニングデイだと言った。

ジェフリーズの凄さは、4〜5本のラインアップが一つのフレームに収まり、

まるで生き物の様にその一本一本がニョキニョキとパーフェクトにブレイクしていく様にある。

この日のジェフリーズはまさにそんな1日だった。

 

こうして近年3シーズンに及ぶジェフリーズベイでの撮影が成され、

日本のトップキャストによるスーパーパフォーマンスが記録され、

ようやく、DVD 波巡礼Ⅱ という形にして後世に残すことができるようになった。

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-26 13.18.26 スクリーンショット 2020-05-26 13.04.32Hiroto Ohhara

 

 

 

 

 

 

 

 

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