4/29 Story of The Surf Pilgrim vol-24

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Shinpei Horiguchi @ Buma  Okinawa

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2009年8月、台風8号・モーラコットによる、

チービシ・レッドポールセッションに続き、

今度は沖縄本島北部で遭遇した伝説の波のお話です。

タイフーンフィーバーの夏の沖縄。

スエルは台風の動きと共に南東〜南〜南西〜西へと振り、

アウターリーフのレッドポールから始まり、センターステージの砂辺、

そして恩納村、ヤンバルエリアへ〜

当時沖縄フリークだったシンペイ(ホリグチ)君は

砂辺の富士屋クラブハウスに他のライダー達と寝泊まりし、

刻一刻と変わる正面・メインブレイクを観察していた。

ある朝、前日よりややサイズダウンしたかのように思えたシンペイは、

6’5″をチョイスして砂辺から本島北部に向かった。

途中恩納村エリアのポイントをチェックしながら先へ先へと走っていたら、

名護に住むヨウちゃん事ウライヨウイチさんから連絡が入り、

ブマがでーじだよ、との事、、、

実はブマは2〜3度行った事があるだけで、

イマイチ波の事、場所も定かでなかったが、

名護から本部半島の南面を西へ西へと進むと、

次第に途中から波が高くなってきた。

目指すブマに到着すると、、、

堤防のずっと先にあるライト&レフトの棚に10オーバーの波が大炸裂!!

サンセットというより、タヒチのマラアの様なブレイクで、

掘れ掘れのファーストピークからそのままチューブと言った波質で、

沖はドン深、波の割れる棚からインサイドは激浅、

更に今日は波がどでかいので、

うねりがそのままテトラ・堤防にぶち当たってくる。

つまりゲッティングアウトのタイミングをしくじれば

テトラに叩きつけられそうだし、

何よりもテイクオフをミスれば、

インサイドのガリガリリーフに持っていかれるのは必至。

ただ波は美しいシェープを保って、大スピッツを吹き出している。

俺はこの波を見た瞬間、自分はずっとずっといつもいつも、

こういう波を追い求めていたんだと、確信した。

潮が乗り始め、幸いにも風は無風、通常なら台風からの南東の風が吹くと、

ブマは南向きなのでオンショアになってしまう。

しかし今日は何故か無風ないしは緩い北寄りのオフショアが吹いている。

こんなチャンスは滅多にないので、俺はすぐにウエットに着替え、

水中撮影の準備をしだした。

が、当のサーファーはイマイチ乗り気ではない。

当時のエース・シンペイに行くぞと誘ったが、

一番長いのが6’5″なんですよね〜ちょっと短すぎます〜

板を取りに戻る時間もないし〜と、ドン引き気味、、、

しかしながら、俺はもうアンプ状態、

とにかく入って来いよ、と言い残してパドルアウト〜

いざテトラの先まで行ったが、

やはり波がドッカンドッカン来るわ、左へ川のよう流れているわ、

かなりリスキーなゲットアウトなので、

遠回りになるがグーフィー側から回り込んで行く事にした。

ヨウちゃん等に心配されながら

、俺は一人先に海へ飛び込み、レフトの切れ端までパドルし、

そこから波裏を通り、喰らわないようにしてピークを回り込んで、

約30分近くかけてようやくライトのチャンネルに辿り着いた。

ライトのチャンネルは深くしっかりしていたので、

落ち着いて撮影する事ができた。

サーファーはまだ岸に居て、

俺はチャンネルから、おいでおいでサインを出し続けた。

一方波は凄まじく8〜10プラスで、

テイクオフから掘れてくるスラブタイプの波だった。

ツルンツルンのフェイス、絵に描いたような水色の海、

日本とは思えないアーティーな波に心が躍った。

でも早くしないと、いつ風が入ってきてジャンク化するかわからない。

轟音立てて割れてくるエンプティウエイブばかり撮ってたら、

岸の方で動きが見えた。

一緒に行ったメンバーではなく、

大柄のサーファーがまず最初にテトラから飛び込み、

続いてシンペイ、ヒグケンが後に続いた。

流石にサーファーはレフトの遠回りではなく、

最短のライト周りで沖に出てきた。

最初に来たのはローカル・ヘルマンのマーゴ事マジャマゴノリさんだった。

ヨウちゃんの連絡で名護に居たマーゴさんは、

現場に着くや波を見ると、即行くぞ、とシンペイ等に声をかけ、

シンペイ等も背中を押された形でゴーアウトの踏ん切りがついたという。

マーゴさんはチャンネルにいる俺と目を合わせると、

すぐに凄い形相のまままピークの方にパドルしていった。

ややボウルの中気味だったので、

俺はもう少し大回りした方がいいのでは?と思ってたら、

そこに特大のセットが来てしまった。

マーゴさんはそのまま直進しパドルを続けたが、

波がブレイクし始め、丁度バレルセクションでドルフィンスルーする事になった。

サイズはイージー10ftはあったと思う。

マーゴさんはギリギリの位置で板を沈め、

分厚いバレルのフェイスをスルーしたかに見えた、、、

が、波の裏に出たマーゴさんはそのまま波に引きづられ、

驚異的なリップもろともインサイドに持って行かれてしまった。

一部始終をチャンネルから目撃していたが、

マーゴさんの安否が気になる程の凄まじいサックドオーバーだった。

しばらくすると岸から、マーゴ〜マーゴ〜とヨウちゃんの叫び声が聞こえた。

どうやらリーシュが切れ、マーゴさんは怒涛のカレントの中を泳いでいるようだった。

しばらくすると板は無事ヨウちゃんが拾い上げ、

マーゴさんもテトラをよじ登り無事生還したようだった。

怪我はなかったのか?と心配したが、

マーゴさんはリーシュを付け替え、すぐにまたパドルバックしてきた。

お、恐るべしヘルマン・タフガイ、、、

今度は俺の後ろを回って

ゲッティングアウトしてきたマーゴさんは怪我もなく(奇跡)、

ハッサビュー(何やってんだ〜)ともらして、

また猛獣のような顔つきでピークへ向かっていった。

一方、シンペイとヒグケンはすでにラインアップしていたが、

どこかまだびびっていて波に手を出さない、テイクオフしようとしなかった。

3人が沖にいる間も、物凄いセットが来続け、

美しくかつ危険な波が、バレルがブレイクしまくっていった。

確かシンペイよりも長い板だったヒグケンがミディアムセットを捉えたが、

ややディープ、波のブレイクも早かったためストレートインを強いられた。

インサイドのシャローリーフにヒットしてないか気になったが、無事パドルバック。

そしていよいよシンペイが動き出した。

 

(ここからはシンペイ君の手記)

ブマは凄かったですね〜

沖縄のメインステージの砂辺にある富士屋クラブハウスに泊まらせてもらってて、

朝起きて波チェックしたら前日よりだいぶ下がって

パッと見ため4-5feet位かという感じで、

『これなら6’5”持っていればいけるでしょう』

と思い1番長いのはそれで、後短い板しか持っていきませんでした。

ブマに到着すると何とまあ8feet は軽くありセットは10feet位にみえました。

めちゃくちゃほれたパイプとサンセットを足した様な波が割れていました。

『これはしまった〜長いの持ってくれば良かった〜』とすぐ思いました。

でも車で1時間走って来てしまっているので、

潮の高い時に合わせてサーフィンする沖縄では、もう取りに帰る事も出来ない。

『う〜っっ』と最初の一歩が出ない時に、

沖縄ローカルのヘルマンことマーゴーさんが

『シンペー!行くぞ!!』と声をかけてくれて、背中を押されて入りました。

ピークはデカいしゲキほれ、インサイドはゲキ浅、

そのままテトラにぶち当たり、板は短い、、

でマジでビビってたので、

その一言が無かったら入れて無かったかもしれません。笑。

海に入った僕と樋口ケンとマーゴーさんは、様子を見ながら行こうと言ってたら、

いきなりどセットが入ってきて、マーゴーさんが喰われました。

ヤベーヤベーとなるばかりで、

セットはもう手を出せない位の波が押し寄せてきていました。

何とか一本、二本と乗っている中で、ミドルの形の良さそうなのが来て、

コレしかない!と思ってその波にパドルしました。

テイクオフの時にめちゃくちゃほれてきたのですが、

『絶対に乗る!!』と思っていたので、前に出る事ができました。

エアドロップになり、そのままチューブの体勢に持っていったのですが、

その一瞬『お願い!』と祈った事を、今でも鮮明に覚えています。

テイクオフをメイク出来た後は祈りながら

前から落ちてくるリップをくぐる様にしてチューブに入って行きました。

ボッコリチューブに入って、

前からもう一回リップが落ちてきたのでスッとハイラインを取ると出口でした。

とても危険度の高い環境の中で決めれた一本だったので、

決めた感がすごく強かったのを覚えています。。

ちなみにグーフィーもあって、

それはパイプの距離を2倍にした様なモンスターでした。

ピークの三角地帯はほれ過ぎて近寄れなかった〜

しかし、もう1度やりたい波の1つに完全に入りました。

あの夏をもう1度〜って叫びたくなりますね。最高でした。

沖縄の大自然と海、歴史と人々、そしてそのコミュニティに感謝致します!

(シンペイ君の手記より)

 

シンペイの文中に書かれてあるように、ドセットには手が出ず、

ミディアムセットのこれだという波にピキピキテイクオフしていったシンペイ。

(トップの写真右とSURF1STのカバーショット)

ボトムに行く手前でねじ込み、ギリギリ落ちてくるリップをくぐりプルイン、

ボッコリチューブではなくトップチューブだったのでハイラインをとり、

もう一度リップをくくりぬけ見事にカミンアウト〜

本当はもっともっと凄い波に乗り込んでもらいたかったが、

やはり6’5″では短すぎ、このテイクオフが一杯一杯だったようだ。

砂辺の富士屋クラブハウスにはもっと長い板を置いていただけに、

軽い気持ちで出てきてしまった事を後悔していた。

俺自身も朝の砂辺を見て、

まさかここまでの波に遭遇するとは思わなかった。

一方グーフィーフッターのサトル君は、

丁度ブマの対面に位置する部瀬名岬の、

今までやったこともない、まるでG-ランドの様な、

8〜10プラスのロングレフトを一人でエンジョイしていたと言う。

その後、俺とシンペイは事あるごとにブマを意識するようになったが、

あのサイズ、あのコンディションを上回る波に遭遇する事はなかった。

あの日、あの時、あの波に出会えた事、海に入れた事、

セッションをメイクできた事、皆で無事生還できた事、

素晴らしい写真と思い出が刻まれた事、、、

沖縄の伝説・夏物語はまだまだ終わらない!!

 

 

 

 

 

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