4/18 Story of The Surf Pilgrim vol-16

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Tom Curren @ Curren’s  Miyazaki   1992

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宮崎にあるビッグウェイブスポット/カレンズとの出会いは衝撃的だった。

1992年、宮崎県で初のASPイベント、

宮崎プロサーフィンワールドチャンピオンシップが行われた時だ。

まだ、トムカレンとトムキャロルが火花を散らして戦っていた時代のことだ。

俺は宮崎のテレビ局の依頼で水中ビデオの撮影を任されることになった。

そしてコンテストは木崎浜でスタートされたが、

物凄いタイミングで台風がたて続きに発生し、

宮崎のコーストラインはどこもパンピング状態となった。

当然ビーチは軽くクローズし、宮崎のリーフが真価を発揮しだした。

コンテストはスープだらけの木崎浜から、

青島の子供の国に移動されたりしながら進行していったが、

試合の外で魅せる世界のトップサーファーのフリーセッションは凄まじかった。

内海のライト&レフト、鵜戸下のサッキーブレイク、

ザレフトのパーフェクション、ザライトのレジェンダリーウエイブ、、、

毎日毎夜が大セッションで、波もサーファーも狂った様にヒートアップしつづけていった。

内海のコンパクトなレフトではトムキャロルが波を切り裂き、

ライトの早めの波ではトムカレンがアーティーなラインでチューブをことごとくメイクし、

鵜戸下セッションではワールドクラスのサーファーでさえ、

ヘビーワイプアウトを強いられ板が3ピースにへし折れるなど、

全ての歴史がひっくり返る勢いで日々が過ぎて行った。

まさに宮崎日本一!日本のタイフーンスエルここにあり~~てなモードだった。

そしていよいよ明日は台風大接近、

さすがにどこもクローズアウトだろうと予想された日、

俺はかねてから狙っていたシークレットのライトハンダーへ、

当時若手バリバリのハワイアン・カイポハキアスを誘って、

3時間のロングドライブに出た。

果たしてそこには6プラスのスーパーパーフェクションがローリングしていた~~

ロングドライブの疲れも吹っ飛び、長~い水中セッションをし、

カイポもこれほどの波が日本に存在することにソーストーク~~~

宮崎のホテルに連れて帰ると、

その日丸一日クローズの木崎で出番を待ち続け、結局自分の一つ手前で終わり、

ただただフラストレーションだけが溜まったルームメイトのサニーガルシアが待っていた。

カイポが今日の波のことを嬉しそうに話しだすと、

ますますサニーは不機嫌になりカイポに突っかかりだしたが、

当のカイポは何をされてもご機嫌でただ笑ってばかりいたことを思い出す。

その帰りに今日、内海の右奥のリーフでトムカレンが先に一人入り、

それを見つけたトムキャロルとまだ小僧だったケリースレーターが、

驚愕のビッグウエイブセッションをやったことを聞いた。

当時サーフィンライフのスタッフフォトグであった、

ターことツチヤタカヒロ君も水中に入っていたとも聞かされた。

全く思いもかけぬ出来事で、

どんな波?どれくらいのサイズ?どんなタイプの波???

想像がつかなかった。

ただそれを目撃した人達は、凄かった、でかかった、

あんなの見たことが無いと、皆口をそろえて言う。

その夜、ロングドライブ・ロングセッションでかなりバテていたが、

なんか異常にテンションが上がったのを覚えている。

翌朝もスティルビッ~~~グ、どこもクローズ〜

昨日言っていた内海の奥のリーフを道路沿い正面からチェックしてみた。

鬼の洗濯岩の向こうに速めのどでかいライトが見えた。

ショルダーが張り最後はクローズ、つまりノーチャンネルだ。

どうやって出るんだろう?セットはどれくらいくるんだろう?

トムカレンはまたやるんだろうか?

と、考えていたら颯爽とトムカレンは登場し、

内海のライトとレフトの間のタイトなチャンネルから、

あっという間にパドルアウトしてしまった。

もうこうなれば何も考えることは無く、カレンの後を追う様に、

怒濤のカレントの海へカメラ片手に出て行った。

セット間のタイミング良く沖にはすぐ出れたが、

堤防に吸い寄せられる流れで、

なかなか奥のポイントに辿り着くことが出来なかった。

それでもいち早くラインアップに着きたい一心で猛パドル、

すぐ後ろにはフォトグのター、

それにトムキャロルとケリースレーターもいた。

ようやくこのへんかな?というフォトポジションに着き、

ターに昨日の事を聞いてみると、昨日はもっと荒れていて、

この位置では撮影できないくらいだった、

今日の方がクリーンで綺麗だと言う。

やはり昨日はストーミーコンディションの中でのセッションで、

今日は台風一過の秋晴れ、オフショア、

そしてセットは10フットオーバーのザデイとなったのだ。

トムカレンは長い板の持ち合わせがなかったため、

ウイリーバードサーフショップに行ってコウツサのお古のガンを持ち出し、

トムキャロルは確か6’5”くらいの板でやってきた。

この年トムキャロルの下でツアーの勉強をしていたケリースレーターが、

一番長い板を持っていたのだが、早々にリーシュが切れ、

鬼の洗濯岩に打ち上がる羽目となった。

トムキャロルは板が短いので、セットの波には手を出さず、

手前の波をたしなむ様に乗っていたのに反し、

トムカレンは数は乗らないものの確実にセットの波だけに集中していた。

タイフーンスエルの撹乱によって内海は茶色く濁っていたが、

眩しい程の太陽が降り注ぎ、カレンがセットの波に漕ぎだすと、

シルエットとなり、カールの中は茶黒いが、カールから離れると、

カレンならではの美しいフォームが波と一体化し、

ビッグウエイブのナーリーさより、

まるでファンタジーな世界にいるような気分にさせられた。

そしてカレンの乗った最後の一本は、

日本サーフィン史における新たなビッグウエイブストーリーの始まりとなった。

こうして2日間の内海アウトサイドセッションが終わり、

やがてこのポイントはカレンズと呼ばれる様になった。

コンテスト中カレンは内海の全貌が見える高台の家に住み、

この時カレンのケアを全面的にしていたカリフォルニアのキトーさんにも、

ここに住みたい、ここに家を持ちたいと話していたくらい、

内海のベイが気にいったのだろう。

そして高台から望む内海の地形が頭にインプットされ、

スエルの向き、大きさによってカレンは、

内海のどこでサーフすべきかを理解していたとしか思えない。

クローズアウトの木崎浜で行われたヒートでは、

カレンは一本も波に乗らず無言の抗議をしているようだった、、、

いやそれよりもいち早く内海に戻ってサーフしたかっただけかも、、、?

このように数々の伝説を残した1992年の宮崎プロ、宮崎の海、、、、

今ではカレンズは宮崎のビッグウェーバー達の聖地となり、

毎台風ごとにセッションが重ねられている。

そしてあの宮崎のワイルドな海岸線には、

第2、第3のカレンズ級のポイントが存在していることも事実なのだ。

(昔の原稿より)

 

 

 
2019年秋・10月10日、

台風19号・ハギビスからのタイフーンスエルを狙って四国・高知へ〜

大阪から淡路島を通って徳島へ、

そのまま高松自動車道又は徳島自動車道〜高知自動車道を使えば、

3時間で高知の河口に到着する。

夜明け前の河口は山から吹き降ろす川風のオフショアでヒンヤリ寒かった。

やがて海・波が見えだすと、、、頭くらいで早めのブレイクだった。

駐車場に戻りカメラを持ってビーチに戻ると、、あれ?さっきと様子が違う、、

3〜4〜いや4〜5〜のセットが来るようになっていて、

たまにクローズアウトセットも来襲、、、

これは本格的なタイフーンスエルが入ってきたので、

あっという間にクローズアウトするのでは??

まだインターバルがあるので、ミディアムセットはファイアー、

ビッグセットはクローズてな感じだった。

高知ローカルに加えて、ツジユウジロウ、ナカムラタクミ、

サトウガイ、カカイダン、やや遅れてハヤシケンタ等がラインアップし、

逆光の朝陽に照らされたモスグリーンバレルに皆次々とプルインしていった。

海は刻一刻とワイルドになり始め、セットはほぼクローズアウト、

間の波を捉えるしかなかった。

一人また一人ずつ上がってき、

最後はウォッシュアウトセットで全員打ち上げられてしまった〜

もうこうなるとどこの河口もアウトオブコントロールなので、

今回の台風で元々の狙いだった足摺岬へと車を走らせた。

午前中はまだ小さかった足摺も徐々にサイズアップしてきたとの情報。

俺的には明日こそがザデイだと思っていたのでさほど焦らず足摺に向かった。

河口から約2時間半で足摺に到着〜

数人ラインアップしていたのですぐにランドから撮影に入ったが、

あまりセットも来ないので皆パドルで上がり始めた。

しかし俺が到着する少し前に凄いセットが一本入り、

そのモンスターを佐賀ボーイのニシムラショウマが捉え、

凄まじいドロップをメイクしたと後で聞かされた。

翌朝、期待とは裏腹にサイズダウン、、、何故???

台風はもうすぐそこまで来ているというのに、、、

足摺のパイオニアサーファーでもあるクシモトさんは、

うねりのアングルやな〜東が強くなりすぎて、

足摺岬がブロックしてるんちゃうかな〜

と説明してくれたが、それにしてもこの静けさはなんなんだ、、、

それでも諦めきれず潮が干きだすのを待ち、PRAY FOR SURF、、、

やがて足摺っぽい波もきだしてきたので皆はパドルアウト。

俺は地元の漁師・ビッグウエーバー・オクモトジュンジさんの

運転するジェットスキーに乗せてもらい、

チャンネルからの撮影にのぞんだ。

しかしいざ沖に出たもののまた全くセットが来なくなった、、、??

1時間半近く待てど暮らせど全くブレイクして来ない〜

ガスの事、ジュンジさんの体力の事も考え一度港へ戻ることにした。

港に戻り上陸してランドからビデオ撮影しているアルカスビジョンの元へ行くと、

突然沖が騒然とし、有り得ないマンモスセットが遥か彼方からブレイクし、

インサイドでラインアップしていたサーファー全員を飲み込んでいった。

そのサイズ、20〜25ftはあっただろうか?

チャンネルに逃げるとかそんな次元ではなく、

まさに津波のように分厚くどでかいスープが雪崩のように押し寄せ、

サーファー全てを下敷きにしていってしまったのだ。

リーシュが切れたサーファーがいるかもしれない、

溺れているサーファーがいるかもしれないと思い、

ジュンジさんはすぐにジェットで沖へ急行〜

今度は港を出たところでドセットが来て、

もう少しでジェットもろとも喰らいそうにもなったが、

ジュンジさんの卓抜な運転でギリギリかわしラインアップに戻った。

幸いリーシュが切れた者も溺れたサーファーもいなかったが、

かなりの時間アンダーウォーターに引きずり回され皆グロッキー気味だった。

逆に若いヒロナリ(ヤマモト)やショウマ(ニシムラ)は、

よ~しこれからだ〜とパドルバックしてきたが、

海を読む達人でもあるジュンジさんは何かを察知して、

もう上がれ〜すぐにパドルで上がれ〜と叫んだ。

正直俺も、さぁ〜これからだ〜と思っていたが、

足摺のボス・ジュンジさんには逆らえない。

とにかくジュンジさんの危険信号が発令されたため、

本日のセッションはここまでとなった。

実際この2時間後には

ジェットを出し入れする港までも覆いかぶさるドセットが来たと、

後にクシモトさんから聞いた。

波はきだしたが、やはりスエルディレクションが東過ぎて、

足摺のリーフにうまくヒットせず先割れのブレイクとなってしまい、

やがて風も入り残念ながら退却することになった。

昨年もそうだったがこうなると宮崎のカレンズが気になってくる。

足摺に来ていたヒロナリの情報によると、

昨日からカレンズが立ち始め、今日はかなり良かったらしい。

明日は台風が抜けるので風も北西〜西のオフショアになり、

東〜北東のバックスエルでいいのでは?との事。

ならとにかく行こうとなったが、当然この波の高さ荒れ具合なので、

四国から九州へ渡るフェリーは全て欠航〜

つまり豊後水道ラインはアウトなので瀬戸内海ルートしかない。

昨年も使った防予フェリー・愛媛の松山から山口の柳井を結ぶ2時間半の船。

しかしそこまでが足摺から車で3時間半・200キロ近い距離なんよ〜

とにかく明るいうちに走るだけ走って、一便でも早いフェリーに乗って、

朝一には宮崎に着きたかった。

足摺から四万十川沿いのナローな道を抜け、

松山自動車道を突っ走り、松山の三津浜港へ〜

そこからフェリーに乗り2時間半仮眠を取り、

今度は山口県の柳井港から、

宮崎県の内海まで高速で6時間半、530キロの距離だ。

真夜中の山陽道〜九州道を爆走してなんとか夜明け前にカレンズに到着〜

前置きが長くなってしまったが、

ここから2019年10月2日、カレンズ・ザデイのストーリーが始まる。

台風一過の朝、予報通り北西のオフショア、晴れ、

波は10〜15〜で大パンプ!!

流石に15プラスのセットはアウトオブコントロール。

こんな荒れ狂った海でサーフできるのかと思ったほどだ。

ヒロナリも俺より少し遅れて、

足摺からのロングドライブの末地元宮崎に戻ってきた。

一年前の2018年、

同じルートでカレンズに来た時もこんな感じで朝一大炸裂していたが、

少し待ってからパドルアウトすると、

あっという間にサイズダウンしてしまった苦い経験から、

今回もすぐに下がるかもしれないから、

今のうちに入っておいた方がいいと思い、

ヒロナリは到着するや内海港から即ゴーアウト。

カレンズの常連、ナカサコケンゴ、ヤマダヨシミツ、クボタサトシをはじめ、

ヤングガンのワタナベカン、

初めてカレンズにトライのイトウリアル、フジタヒュウセイ、

ガッツ溢れるローカル・コバヤシマサキ、ハラグチエイイチロウ、

佐賀出身のビッグウエーバー親子・ニシムラエイジ&ショウマ、

オーストラリアからやってきた

サムヨンとトム事タツノシンジ等が次々とパドルアウトしていった。

初めはローソン側、

つまり穴が見える方から撮影しようと思ってしばらくチェックしていたが、

セットが来ると2本目3本目のボトムやチューブが見えなくなる事、

太陽が徐々に南寄りになるともろ逆光になる事から、

撮影アングルを変え、

野島寄りのバイキングレストラン”デモンデマルシェ”(2019年12月で閉店)

の方から波を追いかける角度に設置した。

チューブの中は見えないが、

ビッグドロップからビッグボトムターン〜プルインは

バッチリ隠れる事なく見る事が出来、

サイズも正確に表現でき、バックに内海港も入り、

雰囲気、臨場感溢れる写真&映像を撮影する事ができた。

さて、朝一のクレージーセットから少し落ち着き出すと、

サーファーはグイグイと奥へ入り、

驚異的なビッグドロップからロングフェイスを駆け下り、

長いガンを寝かせながらのボトムターン、

そしてカレンズの真骨頂とも言える、

サイズのある、肩の張ったビッグバレルにプルイン、

そしてインサイドではワンモアチューブセクションが形成されてくる

ワールドクラスの波に猛チャージ!!

凄まじいパーリングをする者、

ボトムでこれでもか〜と言うホワイトウォーターに叩かれる者、

狂気とも言えるビッグティックファーストバレルに

恐れ知らずの突っ込みを見せる者。

ドセットが来ると逃げきれず板を捨て潜る者、真下で喰らう者。

そんな全てを撮り逃さないよう集中し続けたセッションだった。

時間と共にクローズアウトセットは来なくなったが、

それでもまだまだ海は唸りを上げてパンピングしていた。

太陽も上に上がり南寄りになって来たため、このアングルだと順光になりだし、

カレンズのビッグフェイスを綺麗に照らし出していった。

今回の台風19号のスエルは昨年と違い、あっという間にサイズダウンする事なく、

徐々にダウンだったので丸一日カレンズでビッグウエイブセッションが展開された。

午後二のサーファーが一番いなくなった時を見計らって、

撮影アングルをローソン側に移し、その後も休む事なくカレンズにロックオン!!

太陽が徐々に西に傾き出すと更に順光となり、秋の優しい淡いライトとなってくる。

ドセットはまだ6〜8〜はホールドしていたカレンズだったが、

今度は正面の内海レフトがマックスサイズでゴーインオフしだして来た。

ガンズクラブはカレンズの終焉に向け名残惜しそうにビッグドロップを繰り返し、

ヤングボーイズは内海レフトでスーパーアクションセッションを展開。

気がつけば徹夜の運転後、

丸一日カレンズ&内海でカメラのファインダーを覗いていたことになる。

およそ日本で波を当てると言うことは、これくらいのフットワークと体力、

何よりも波に対してのデザイアーが必要不可欠となる。

いや〜それにしてもカレンズの凄まじさを

改めて知る事ができた貴重なセッション・ザデイだったな〜

トムカレンのファーストアタックから27年の歳月が過ぎ、

今、カレンズは宮崎ローカルによって熱く継承され、

素晴らしき進化を遂げている。

 

 

 

 

 

NKK51378 A63I7925@ Curren’s  Miyazaki  2019

 

 

 

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カレンズに歴史的な波を送った2019年の台風19号・ハギビス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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