4/14 Story of The Surf Pilgrim vol-14

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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92861226_582263069312528_2041886495433818112_nTakumi Yasui @ Hotel-mae  Tanegashima  Kagoshima
1992年夏、その年JPSAグランドチャンピオンに輝いたヌマジリカズノリと、

宮崎での台風セッションを撮影取材していた。

当時、種子島いわさき・ホテルコスモリゾートからサポートされていた

OZのマシューピッツから種子島に来ないかと言うオファーがあった。

種子島には行ったことがなかったので、

宮崎にいるこのタイミングでヌマと行こうとなった。

俺たちは鹿児島から車を積んでフェリーで、

マシューと当時千葉・銚子のアップカマープロのイイダカズシは飛行機で種子島に向かった。

島の南部にあるゴージャスなコスモリゾートホテルにステイ、

朝夕はビュッフェスタイルの食事付き〜

と豪華なセッティングだったが、肝心の台風は北へゴーン、、、

ホテル前のビーチは波がなくなり、

島の北東部にある沈没船まで通うことになった。

しかし沈没船に行くと、

遠く離れた台風からのバックスエルなのか、3日近く波はパンプしていた。

結果この初めての種子島取材では、この沈没船でのセッションで終了した。

それから実に26年の歳月が過ぎ、2018年9月下旬、種子島を訪れる事になった。

JPSA・第6戦・サーフアイランド種子島プロが、9/27~9/30に行われる事、

そして何よりも台風24号(チャーミー)が発生、発達してきた事から、

思い切って種子島取材を敢行する事にした。

大阪から宮崎、宮崎から鹿児島港まで走り、

鹿児島からフェリーで島入りし、

まずは西之表港から島の南部・南種子町のコスモリゾートホテルを目指した。

縦長の種子島なので約50キロ、車で1時間くらいかかった。

果たして26年ぶりに見るホテル前のビーチは、、、

WOW~~~ジャストタイフーンスエルが届き出してきた様で、

ビーチの右端、センター、左端のピークには3〜4〜の綺麗なビーチブレイクが炸裂していた〜

天気も風も良く、ローカルはもちろん、

種子島入りしてきたプロサーファーによる大セッションが展開されていった。

到着早々グッドウエイブ・グッドセッションをスコアし初日からストーク。

種子島ではずっと車中泊のつもりだったが、

この初日の夜から雨になっちまい、なんだか心が折れてしまった。

台風の外の雲がかかり雨がジャージャー、

北東のタイフーンウインドも一気に強まり、寒い2日目、、、

ホテル前は昨日のファンサイズから一転、大大炸裂!!

クローズはしてないがドセットは6ft近くあり、

ビーチとすればマックスサイズだった。

明日から始まる試合は台風接近のため、

島の西面にあるヨキノビーチに移され、

当然ホテル前に来るサーファーも疎らだった。

ヨキノビーチは潮が干いてやっと腰くらいの波が割れる程度らしいので、

俺は動かず雨宿りしながらホテル前にやってくるサーファーを待った。

一旦試合会場に行ったメンズプロも波の小ささに呆れて、

続々とホテル前にやってき、天気こそ悪かったが、

強烈なビーチブレイクにチャージしていった。

午前と午後の2R、冷たい雨の中撮影していたので体が冷え切ったのと、

やっぱ車中じゃデスクワーク(写真の整理、ブログ等)やりにくいので、

ヤスイタクミの紹介で、ホテル前からすぐ近くの柳田旅館に泊まる事にした。

柳田旅館には種子島宇宙センターに長期出張で来る人が多く、

値段は安く、部屋(一人部屋)、食事(オプション)、

風呂、洗濯等、充実していた。

おまけにホテル前まで車で3分、

因みにニック野崎さんのお家も通り道でした〜(ワラ)

9月27日、種子島・デイー3〜

試合はほとんどブレイクしないヨキノビーチでスタートされたが、

オイラは相変わらずホテル前にロックオン〜

台風はかなり接近して、本来ならクローズアウト、風もオンショアになるはずが、

前線の影響でうねりがブロックされ、まだクローズサイズに至らず、

風も北東のオフショアをキープしていた。

ローカルにして、

いつもならあっという間にクローズしちゃうんですが、今回はもってますね〜

とにかくワールドクラスのビーチブレイクが目の前で炸裂しているので、

ここから動く意味もなく、

ひたすらホテル前にやってくるサーファーを待ち、シュートし続けた。

この日のウエイブオブザデイは宮崎・日南のタカハシシュウヘイ君だった。

ビーチのセンターに来た、サンセットの様なビッグピークを捉え、

深いボトムターンからストール、肉厚のリップに包まれ見事なスピッツアウト〜

ビーチブレイクとは思えない一撃だった。

とにかくホテル前のクォリティの高さには連日驚かされる事となった。

そして、9月28日・種子島・デイー4〜

流石に今日こそはクローズだろうと思いきや、

サイズ・パワー共昨日よりもあったが、まだクローズまではいかなかった。

台風が直撃する恐れも出てきたので、

試合は前倒しで明日には終わらせる事になり、

今日から詰めてヒートを消化していく事となったため、

流石に誰もホテル前には来なくなってしまった。

なので自分も島の西面を南からチェックしながらコンテストサイトに向かった。

やはりヨキノビーチにまでは波が回り込んでいなく、

相変わらず超スモールコンディションで、

潮が干いてくるまでポストフォン状態だった。

これならやっぱホテル前に戻ったほうがいいと思い、

試合に負けたボーイズに声をかけていった。

再び1時間のドライブでホテル前に戻ると、

やはり潮の変化で良くなっていた。

この時に撮影したのが、

上のヤスイタクミのヘビーワイプアウトシークエンスだ。

まさにウエイブオブザデイと言える、

バックドア級の掘れ方、爆音が聞こえてきそうなスピッツ。

連日ホテル前で展開された

狂気のセッションの最後を飾るハプニングだった。

そして、翌9月29日、種子島・デイー5〜

ついにホテル前も大クローズアウト〜

湾の遥か沖から真っ白なスープが押し寄せ、

ビーチをウォッシュアウトしていった〜

台風は今夜から明日未明に種子島に大接近する予報。

試合は一日前倒しで今日がファイナルデイとなり、

メンズはカワタニサスケ、ウーメンズはワキタサラがJPSA初の優勝となった。

試合は無事終了したが、いよいよ今夜までには台風対策をしなければならない。

南種子町の柳田旅館に戻り、皆の車を裏の庭に移動させ、

台風によって横転しない様に車を詰め、停電、断水も覚悟の夜となった。

風雨が強まる中、宿でボーイズとドリンクオンしてたらやっぱり停電〜

懐中電灯の灯りでワイワイ飲んでたら、

宿のお婆ちゃんが台風に備えてたっぷりとカレーを作ってきてくれた。

俺たちは素泊まりオプションだったが、

優しいお婆ちゃんは今日と明日はご飯付けてあげるよ、と言ってくれた。

もちろんボーイズは山盛りにしたカレーライスをがっついていった〜(ワラ)

停電は復旧せず翌9月30日未明(デイ−6)、

恐ろしいほどの風雨で家が飛んでいってしまいそうなギシギシする音で目が覚めた。

台風は種子島直撃ではなかったが、島の西面すれすれを通って北上していった。

台風が来る前の南寄りの爆風も凄かったが、

台風の目に入った無風から抜けた後の返し風はもっと凄かった。

どのタイミングで海に行けば良いんだろうか?

外に出るのも怖かったくらいだ。

やがて雨が上がり風も幾分弱まってきたので、

ホテル前をチェック、まだバカデカイ〜

ローカルの案内でサウスコーストのロックポイントをチェケラ〜

吹き返しのオフショアが強かったが、右手にライトのポイントブレイクが、、

そして左手には巨大なAフレームピークが大炸裂していた〜

すでにケイトとユウジロウがラインアップしていた。

トップの迫力あるラインアップショットはこの時のもの。

居残りだったプロサーファーが続々と登場しセッションが始まったが、

台風一過、それも足早に去っていったので、

さっきまであれほど荒れ狂った海だったが、

みるみるうちにセットが来なくなりサイズダウンしていった。

翌日の10月1日(デイ−7)にはもうビーチで胸〜肩くらいまで下がり、

一週間に及ぶ台風24号・チャーミー・種子島セッションの幕を閉じた。

夜は南種子町でサーフショップ・サウスボーダー種子島を営んでいる

ハラさんの家でローカルサーファー集まってのバーベキュ〜〜

あのホテル前で一人ずっと待機していた時、

同じようにずっとホテル前ロックオンだったローカルが集ってくれ、

飲んで食べて喋っての楽しい楽しいラストナイトとなった。

暦は10月を迎え、またすぐに台風25号が迫ってくるので、

オイラは翌10月2日のフェリーで鹿児島へ渡り、

休む間も無く、明日あたりからタイフーンスエルが届く

宮崎屈指のレフトハンダーへと向かったのら〜〜

 

 

 

 

 

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1920px-Trami_2018_track1280px-Trami_2018-09-25_0050Z

 

2018年の台風24号のコースと衛星写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

img322 img308Kazushi Iida @ Ship Wreck  Tanegashima  Kagoshima  1992

 

1992年、初めての種子島取材では沈没船で撮影〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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