1/6 Hawaii Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

img014 (1)

@ Waimea Bay  2004/12/15

 

本日のノース、更にサイズダウンして1〜2〜

天気最高の穏やかな海、、、

こんなレイデイこそサーフィンするチャンス!!

ジェイソン塾から3泊うちで預かっているニシゼコアツヤ君と、

家から徒歩5分のタートルベイでチャポンとブギ〜〜

したらご近所さんのフォトグ・コンドウさんもファンボードで現れた〜

久々のゲットウエットで気持ちヨカ〜〜

来るべきビッグデイの前にリフレッシュできましたとさ〜

 

では本日のブログは、もう15年も前のエディデイのお話しお話し〜〜

 

 

 

2004年12月15日、20~25フットのモンスタースエルが来る中、

8回目のエディアイカウがワイメアでオンされた。

これまでのエディででもそうして来た様に、

俺はサンセットに住むマエダ君のジェットアシストで、

朝一ハレイワハーバーからワイメアに向かった。

コンテストの時は道が大パニックとなるので、

朝の暗い内にジェットスキーをハレイワに運んでしまい、

実際ワイメアをチェックすることができない。

なので、ワイメアで観ている知り合いに電話し、

コンテストはやるのか?サイズは?コンディションは?クローズセットは来ないのか?

セットのインターバルは?などを聞いてから港を出発する。

ビッグスエルによってまっ茶色に掻き回されたハレイワチャンネルを、

ジェットでよたよたと沖に出ると、

プエナポイントのビッグフェイスラインアップが真横に見える。

水の色も濃紺に変わり、ワヒアワの方から朝日が差し込み、陸は逆光でまったく見えなくなる。

ずっと沖を迂回し、ワイメアに向かう迄にもいくつかのアウターリーフのポイントがあり、

ある所ではトウイン、ある所ではパドルインをしてるサーファーを見かける。

やがてワイメアバレーが見え、ワイメアチャーチが近づくとワイメアベイに到着する。

ワイメアはビッグウエイブスポットだがベイが極端に狭いため、

25フィートを超えるセットが来ると沖でクローズしてしまい、

サーファーもさることながら、

チャンネルにいるカメラマンやジェットスキーも逃げ場が無くなるのが玉に傷なんだ。

この日もジェットスキーでそろそろっとチャンネルを中に入って行くと、

いつもよりデカイ!ブアツイ!スエルが感じられた。

エディが始まるまでに少しでもビッグウエイブに乗ろうと、

ラインアップはサーファーでごった返していた。

 

 

img175Yonosuke Sakuma with Hiromichi Soeda @ Waimea

 

 

そんな中に、ヨウノスケ(故サクマヨウノスケ)の姿もあった。

パドルバックして来る時に、

”朝入ってすぐに自分の人生で最大級の波に乗っちゃいました~”と興奮気味に語ってくれた。

そのヨウノスケの乗った波に間に合わなかったことは残念だったが、

これから始まるエディというビッグウエイブスペクタキュラーへの興奮と期待で、

アドレナリンが全身沸騰状態だった。

やがて、コンテストが行われることが決まるとウォーターパトロール隊が一斉に出動してき、

ラインアップにいたサーファーを次々とあげていった。

そしてチャンネルにいる俺達のとこにも来て、

コンテスト中はパーミット(許可)を持ってる者しか居れないと言う。

突然のことでびっくりしたが、

自分はジェットスキーに乗って撮影するのではなくボディボードだけでいるだけだ、

ジェットは沖で待機しフィルム交換の為にいるだけだと事情を説明しても、

とにかくパーミットがなければだめだと押し切られ、ベイの外に追い出されてしまった。

これまでにそういったことがなかったので、俺もマエダ君も唖然、、、

やがて、大きな歓声とともに試合が始まった。

他のジェットスキーで来た人達も片っ端からベイからキックアウトされている。

いまからハレイワに戻り、車でワイメアに戻って許可を得るのも,

交通渋滞を考えれば不可能だし、

電話でといっても誰に聞けばいいのかもわからずワイメアの沖でオロオロしていた。

もう一度パドルで行って聞いて来ると言って、

ワイメアのかなり沖でジェットから降りパドルバックするも、

すぐにウオーターパトロールが来て、

とにかくパーミットが無ければだめなんだと念を押されてしまった、、、

さすがにこれはもう無理だ、エディを撮ることを諦めざるおえないと判断し、

他のアウターリーフをチェックして回ろうということになった。

 

 

 

img015@ Outside Log Cabin  2004/12/15

 

 

まずは、アウトサイドログキャビンズ。

1998年1月28日に、ビッグウエーバー/ケンブラッドショウがトウインによって、

40フィート(80フィートフェイス)という、

まだ誰も乗ったことのない、ヒュージウエイブをライド、

フォトグ/ハンクがジェットスキーからそのモーメンツを誠実に写し取った

ヒストリックデイによって一躍その名を知らしめたスポットだ。

でかくなればなるほどその威力を発揮するアウトサイドログキャビンズも、

この日はまだまだやっとブレイクする程度で、

暫くセットの様子を観ていたが、そそり立つというまでにはいたらなかったので、

トウインサーファーもカメラマンも別の場所に移動していった。

こうなると判ってはいるもののワイメアに戻りたい、、、エディを観たい心境になる、、、

沖でランチをとりながら、今朝ワイメアで快心の一発を決めたヨウノスケに電話してみた。

したらこれからヨウノスケのステイしている大家のカヘア(ハート)等とで、

ベルジーのアウトサイド(ファントム)でトウインセッションをするというので、

再び気を取り直しログキャビンズからパイプを超え、

アウトサイドププケアのどこで割れるかわからんリーフをスルーし、

サンセット、バックヤーズまでとうとう来てしまった。

バックヤーズのライトでは何組かのサーファーがトウインを楽しんでいたが、

ここはノーチャンネルなんで撮影は不可能。

バックヤーズレフトと次のレボリューションの間のチャンネルがかろうじて生きている。

ようやくアウトサイドベルジーに着くと、

丁度カヘアとドライバーのタヒチアン/故マリック(ジョワイユ)が沖に出て来た。

トウインは根本的にパドルと違ってテイクオフがない。

ジェットに引っ張ってもらいどこからでも乗り込んで来るので、

ややカメラポジショニングが定まりにくい。

ましてやノースとウエストのミックスするスケッチーなピークの、

アウトサイドベルジーなどなおさらだ。

いくらジェットに乗っているとはいえ、

万が一喰らった時はひとたまりも無いことは言うまでもない。

とにかく、セーフティにセーフティに、

それでいてグッドポジションにグッドポジションにと、ドライバーのマエダ君におねだり~~

流石、タヒチ/チョポの名手マリックだけにドライブがうまく、

カヘアをことごとく良いポジションから波に乗せ、

カヘアも30フィートはあろうかというビッグフェイスで、

見事なカービングを描くなど最高のセッションを魅せつけた!!!

ほとんどカヘアのオンパレードで、マリックは最後の方で何本か乗り、

二人は一旦岸に戻って行った。

 

 

 

IMG_1683Yonosuke Sakuma @ Phantom  2004/12/15

 

 

img390Yonosuke Sakuma @ North Shore

 

 

 

やがて今度はマリックのドライブでヨウノスケがやってきたのはもう夕方だった。

本格的なサイズでの日本人のトウインセッションは俺も初めてだったのでやや緊張した。

ワイプアウトしたら大丈夫なのか?

あのビッグフェイスに戸惑わないだろうか?

そんな思いを胸に沖の動きに目を凝らしていた。

すると沖にうごめく大きなウネリにジェットスキーのトラックが見えた。

ジェットに立ち上がって観ると、

かなりのビハインドからマリックはヨウノスケを引っ張って来ている。

波の速さに物怖じせずピークに持って行ってもらったヨウノスケはロープを離し、

パドルでは到底テイクオフ不可能なビッグスロープを駆け下りて行った~~~

降りても降りても、ボトムが出来て来る様な、ビ~~~グビッグウエイブだった。

波の裏側に一旦エスケープしたドライバーのマリックもすぐ後ろから追っかけ、

インサイドまで乗り切ったヨウノスケを引っ掛け再び沖に戻って来た。

恐らく自分がどれだけドデカイ波に乗っていたか認識できてない様子のヨウノスケ。

乗りも乗ったりだが、やはりドライバー/マリックの波を見切る力、

運転技術の凄さには恐れ入った。

その後何本か引っ張って乗らしてもらったが、

やはり一本目のあの波が一番でかくてフォトジェニックだった。

エディを撮れなかった悔しさが、いつのまにかヨウノスケの、日本人の、

前代未聞のビッグウエイブショットを残せたことの嬉しさに変わっていた。

しかし、こんな素晴らしいセッションを展開してくれた二人だったが、

翌冬、2005年12月2日、マリックはパイプラインでのワイプアウトで帰らぬ人となり、

それから一ヶ月後、2006年1月2日、

ヨウノスケは地元葉山の海でフリーダイビング中に亡くなるという、

信じられない悲しい出来事が続いた、、、、

ヨウノスケのライフショットとなったアウトサイドベルジーでのトウインセッションを終え、

ハレイワに戻る途中ワイメアに寄ると、丁度エディが終わった頃で、

ブルースアイアンが優勝したと聞いた。

俺は次回こそはと、リベンジを心に誓い、、、、

2009年12月9日、この大会以来5年振りに行われたエディでは、

予めパーミットを取り、いつものようにマエダ君のジェットアシストでベイに向かい、

試合中は原始(ジェットを使わず人力のみ、という意味)のボディボードに股がり、

ファーストヒートからラストヒートまでのソリッド8時間、

鬼の水中撮影に没頭することができたのだ。

 

 

 

IMG_1685Kelly Slater @ The Eddie  2009/12/9

 

 

 

IMG_1686Sunny Garcia @ The Eddie  2009/12/9

 

その後、2016年2月25日にヒュージワイメアでコンテストが行われ、

ジョンジョンフローレンスが優勝したが、

メインスポンサーだったクィックシルバーが、その大会を最後にプルアウトし、

この2年間エディを行うことができなかった。

しかし今冬からハワイローカル財団のサポートを得て、

再びエディがワイメアに戻ってきた!!

もしかしたらもしかすると、次のヒュージスエルでオンするのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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