【WSLニュース】オランダサーファーの悲劇

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5月21日WSLニュースより

BEN MONDY

5月11日月曜日の午後、オランダのスヘフェニンゲンで5名のサーファーが命を落とした。
彼らは22歳~38歳の上級者で、そのうちの3名はライフガードとサーフィンインストラクターとして働いていた。

未だに調査が続いており、地元サーファーたちは、その原因は「波の花」と呼ばれる泡によるものだと考えている。

スヘフェニンゲンは、100万人の人口と政府機関が置かれた大都市デン・ハーグから最も近いビーチである。オランダにおけるサーフィン発祥の地というだけでなく、良質なブレイクがあるポイントでもある。
国には5000名のサーフィン人口があると言われており、その半分はスヘフェニンゲンをホームとしている。

現在QS32位でヨーロッパ勢のなかでも最も活躍している選手の一人であるエブリン・フーフトは語り始めた。
「そこのポイントは私の家から自転車で15分の所にあります。」

オランダで起こった悲劇/ WSL / SEM VAN DER WAL

オランダで起こった悲劇/
WSL / SEM VAN DER WAL

「コンディションによって、港の北側や南側でサーフします。全てのサーフスクールやレストランは北側の港の大通りにあり、そこが今回の事故が起こった所です。」

港の岸壁によって風をかわし、周期の短い北海のスウェルをシェイプさせる。
その日の午後5時ごろ、ローカルサーファーでミュージシャンでもあるパット・スミスは、港の北側の波をチェックしていた。スミスはこのエリアで育ち、最近では「夜の市長」に任命されていた。
これは、街のナイトライフや文化を担うもので、日本で言えば観光大使のようなものである。

「波は少しグチャついていて、潮も悪かったですね。私は車に携帯を忘れたままジムへ行っていました。車へ戻ると70~80件もの着信がありました。ビーチへと急ぐと、そこには行方不明のサーファーの捜索と救助活動が行われていたのです。」スミスはWSLに話した。

行方不明となったのは、ピム、ジュースト、サンダーで、彼らはローカルサーフインストラクターである。そして、マックスとメティジスはデルフト工科大学の生徒だった。インストラクターの3名は、ライフガードとしての資格を持ち、10年以上のサーフィンの経験があった。

エブリン・フーフト/ WSL / Damien Poullenot

エブリン・フーフト/
WSL / Damien Poullenot

彼らは一日のほとんどをビーチで過ごし、毎日のようにサーフレッスンのためのバンクやカレントをボディーサーフィンでチェックしていた。
オランダにおけるCovid-19の規制は、サーフィンや水泳については個人的に行うことだけは許可されていた。そして、その月曜日はその規制が緩み、ソーシャルディスタンスを確保すれば、グループでのエクササイズが可能になった日でもあった。彼らはフィンをつけ、他の数名とボディーサーフィンをしていた。

彼らが海に入って間もなく、事故が発生したのだった。波は大きくなかったが、一日強いオンショアが吹き続け、そこには大きな波の花が発生していたとスミスは説明した。
これは、季節的に起こる通常の現象で、春に水の温度が上がり藻が生え、それがたんぱく源を放出して水面に浮かぶものに付着する。さらに波のブレイクによって泡が形成される。

波の花は毎年起こる現象

波の花は毎年起こることだとスミスは話す。「しかし、あの日は今までに見たことがないほど分厚い泡だった。」
その泡は、北北西のオンショアに流されて岸まで来ていた。夜になると風が北北東になってその泡は海へと戻った。
KNRMというオランダの救助組織に連絡が行くと、消防と警察だけでなく、彼らの家族やサーファーたちがビーチへ集まった。

午後7時、レスキュー隊は3名のサーファーを救出した。1名は生存しており、2名は息が無かったが、翌日に回復。そして5名の遺体が海で発見されたのであった。
「海から得られるものはたくさんあるが、こんなに若い命を失うとはなんて残酷なことなのか。彼らはスポーツ万能で海を知り尽くした若者だった。」デン・ハーグ市長ヨハン・リムケスはニュースの会見で話した。

未だに続く調査

調査は未だに続いており、犠牲者の名前は公表されたものの、5名の上級者における死因が何だったのか憶測が広がっている。地元の多くの人々は、その原因は波の花だと推測している。

「専門家による分析が必要だが、彼らは泡に包まれて呼吸が困難になったのだと思う。海面に頭を出して泳いている時、そこに2mの厚い泡があったらどうなるだろう。何も見えなくなるし、息もできなくなる。」とスミスは話す。

確かな死因は分からないが、5人の若い命を失ったことは、結束の強いサーフコミュニティにおいて大きな悲劇となっている。

18日月曜日、ジューストとサンダー、その翌日にはマックスとピムの葬式が執り行われた。

翌週には、古い港町で世紀を通して行われてきた伝統の儀式があり、教会の鐘は毎晩7時に海に向けて鳴り響く。
漁師の妻の銅像をモチーフとした銅像があり、彼女の目は、愛する夫の帰りを待つように北海を見つめている。

「私たちは、ショックで悲しいです。この悲しみは、彼らの家族や友達、そしてレスキュー隊とともにあります。彼らは永遠に忘れられることがないでしょう。」(エブリン・フーフト)

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