@Iwate
8月8日、台風13号により発生する波を追って、夜中2時に仙台を出発し北上。
奇しくもこの日は私の誕生日で(私事ですみません(^^;)、ちょうど2年前にも台風がもたらした波が東北沿岸部にヒットした日。
天気予報では大雨だが、北に向かうほど雨は止んできた。
天気とは反比例に、期待したポイントを一つ一つチェックするも、どこも反応があまり良くない。

そんな時、今回の目的地に先に着いていたバディからのメール。
「昨日より良いですよ」
逸る気持ちを落ち着かせながら一つ一つポイントをチェック。しかしどこも良くない為、そこからすぐさま目的地に向かった。
6時くらいに着くと、波がヒットしている。優に頭オーバーはある。

そうこうしているうちに、杉本浩プロ(浩さん)が到着。その頃には、当初の天気予報とはかけ離れた夏らしい空と気温。猛暑が戻ってきた。

全員すぐにWetに着替えてパドルアウト。

しかし、ハウジングに異変が…

ここまでは良かったがこの後から、機材と水温の温度差でハウジングのレンズ部内側に結露が出来始めて来た…
痛恨… 何という失態… 自分の未熟さが露呈した…
どうしようか考えた。一度上がってまた戻るか?しかし泳いで往復約1時間かかる。その間に良い波が来たら? 良いライディングをしたら? 撮り逃がしたくない。色々考えた末、近くの小高いところに上陸し、葉っぱで拭くことにした。 奇しくも今日は8月8日、葉っぱの日。偶然にも枯れている葉っぱがたくさんあった。ハウジングが傷付かないように丁寧に結露を拭き取り、再びピークに戻る。
いける? ボヤけた感じが良い味出してる?
やっぱりダメでした…
ああ無情… 泣きたい…

潮が上げてきて割れなくなってきたため、これにて終了。
意気消沈して海を後にし、明日もまた大雨予報だが、とりあえず早めに就寝した。
8月9日。
やはり雨だがそんなに降っていない。そしてまたもや目的地に近づくにつれ、雨が上がってきて、
昨日ほどではないが青空も見え始めてきた。

波をチェックすると、昨日よりも波数が多い。
残念ながら昨日参加した今宮さんは仕事で本日は不参加となったが、
浩さん、ザキヤマ、俺、というこのトリオ…

以前、ザキヤマが見つけた新しいポイントでサーフィンした時も、このトリオだった。
何かが起こる…そんなことを予感しながら今日もパドルアウト。


俺も結露対策がバッチリ。葉っぱ作戦が失敗した教訓を今日に活かせた。
ピークに着くと、昨日よりデカい。

しかし、このサイズでも最大ピークの半分くらいで、もっとアウトの棚から割れてくると浩さんに聞いてからはその波が来ることを期待しながら待ち続けた。
面がガタガタのコンディションだったが、そんな中でも浩さんは決めてくる。

























ザキヤマ水産も突っ込む。


浩さん曰く、このチューブの真下には岩があるから、チューブはなかなか狙えないとのこと。

見ていると、波にデビルの顔が…

ここのポイントは、テイクオフすると真下に岩(写真左上)があるため、度胸も試される。

そして、海に入ると浩さんが色々なことを教えてくれる。波のこと、風のこと、うねりのこと、ボトムターンでの膝の位置、目線の向け方… たくさん学ぶことがある。

昨日に引き続き、潮が上げてきて割れなくなってきた頃に雨も降ってきたため、本日はこれで終わりとなった。
ひろし“ザキヤマ水産”山崎は、以前は葉山に住み湘南でサーフィンしていたが、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた家業である漁業を手伝う為、故郷の山田町に戻ってきた。また、1年の半分はサンマ船に乗り、北海道沖まで漁をしに行っている。その合間にサーフィンを楽しんでいるジャンキー。8月中旬から再びサンマ船にて旅立っていく。
がんばれ!ザキヤマ水産!
そして、ショップに戻るや否や、某テレビ局から東日本大震災関連の取材を受けていた浩さん。

2011年、震災直後に浩さん宅にご飯やおかずなどの物資を届けに行った際、“浪板を離れて違うとこで店をやることも考えている”と聞いた時、俺はこれからどうしたらいいんだろう、と思った。家も家族も全て津波に流され、浩さんまで居なくなったら、浩さんの写真を撮ることも出来なくなるのでもう大槌に帰って来る理由がない…
正直、途方に暮れた。

しかし、浩さんは浪板の再生に向けて、動き出してくれた。












そしてついに、消失した砂浜の再生が決定。
少しずつではあるが、前へ、進み続けている。
思えば、
俺のサーフィン写真の最初の被写体になって頂いたのが浩さんだった。
サーフィン写真を撮り続けるきっかけを作ってくれたのも浩さんだった。
初めてのBari Trip(俺は撮影係)に誘って頂いたのも浩さんだった。
尊敬しずっと憧れていたPhotographerの木本さんに会わせて頂いたのも、浩さんだった。
今の俺のサーフィンライフがあるのも浩さんのお陰と言っても過言ではなく、感謝してもしきれない。
俺はこれからも、
この背中を追い続ける。