Riaru Ito @ The Box Nihonkai 2022
圧巻の宮崎編が終わると、ショートバージョンながら驚愕のボックスセッションに突入する。
底掘れするAフレームにリアルは絶妙なポジション・ビハインドピークからカジュアルなプルイン、
俺の記憶によればほぼ百発百中レフトの波をメイクしていた。
スラブ独特のノーボトムターンからのねじ込みをいとも簡単そうにやってみせ、
そのフィット感、ステイブル感はワールドクラスと言って過言ではなかった。
もちろんライトもビハインドピークからのバックハンドグラブレールを駆使し、
激しくかつルースしたスタイルでガンガンメイクしていった。
この時のメンバーはボックス常連のイイダコウタ、
前日100デイズ@メキシコ修行を終えて帰国したハラダショウゴ、
四国トリップからそのまま日本海入りしてきた西湘のセキモトカイト
と言ったナチュラルフッターばかりだったので、
ほとんどがライトの波にチャージしていた。
つまりグーフィーはリアル一人だったのでレフトの波はまさに彼の独壇場だった。
実はリアルがこの日ここにいる事はあり得なかったんだけど、
不幸が幸を呼んだというか、ちょっとした面白いストーリーがあった。
まず台風が東シナ海側に入り、リアルは友人のヒョウゴ君と九州西面でサーフしていた。
翌日から茨城でJPSA戦があるのでリアルは西面でサーフした後、
福岡空港から羽田空港へ飛ぼうと考えていた。
ところが台風は刻々と九州西面に近づき、サーフィンしていたエリアも暴風雨圏に入ってきた。
リアルとヒョウゴは海から上がり福岡空港へ向かうも当然空の便は次々と欠航となり、
リアルは予定していた飛行機に乗れなくなってしまった、、、
が、連れのヒョウゴ君はそのまま大阪まで帰る道中だったので、
リアルはそのまま車で大阪まで行き、翌朝の初便で伊丹から羽田に行けば良いと考え、
福岡空港をスルーして夜中の山陽道を突っ走っていた。
羽田から電車で茨城に行くが試合初日はすでスタートされてるはずだが、
リアルはシード選手なので初日はないと思っていたが、
JPSAにその旨を連絡すると、初日のコンテストスタート前にエントリー確認があり、
それに間に合わなければ試合には出れないと言うルールがあった。
これには流石のリアルも愕然とし全く意味のない大阪行きとなってしまったのだ。
失意の中無情にもヒョウゴの車は大阪へ向いて突っ走っていた、、、
そんな所にメキシコから帰国したばっかのショウゴからリアルに電話があった。
何も知らないショウゴは、”リアル君、明日キンちゃんとボックス行くの?
自分は明朝キンちゃん宅に集合って言われてるんだけど”
リアルに一筋の希望の光が差し込んだ笑
普段リアルから俺に電話してくるなんてほぼないんだけど、
この日は珍しく夜の11時頃電話してきて、やや寝ぼけながら電話を取ると、
いつもの小声で何を言ってるんだかわからないくらいコニョコニョ喋っている。
要するに台風で試合に間に合わなくなり、諸事情で大阪まで来る羽目になったので、
自分もボックスに連れていって欲しいとのことだった。
と言うわけでリアルは翌朝ヒョウゴにウチまで送り届けてもらい、
ショウゴやカイト等と共に日本海へ行けることになったとさ笑
そしてその翌日がこのボックスセッションとなった。
実はこれまでにもボックス狙いで2〜3度来たことはあったが、
いずれもスカンクトリップでボックスを拝むことができなかったが、
今回は棚からぼたもち?というか、
試合には出れなかったがまさかのボックスを当てることができたと言うわけ。
そしてこのセッションを動画で撮影してくれたのは、
セキモトカイトと一緒にクルーズしていた西湘ボーイのドドアサト君。
おかげでオイラはスチールに専念することがでけた〜〜
ただ帰りは、カイトはちゃっかりチケットを予約していたが、
何も考えず空港に行ったドド君は倍近い普通運賃で羽田まで帰る羽目になってしまったとさ笑
Riaru Ito @ The Box 2022

Kenta Hayashi @ The Box 2009
日本海の美しい海岸線にに佇む瀬・ボックスは2009年秋、
ハヤシケンタによる研ぎ澄まされたスラブアタックにより、
その名を日本中に知らしめることとなり、
今や日本屈指のスラブポイントとして名を馳せている。
シークレットから世に出て早16年の歳月が流れ、
凄まじいセッションが展開されてきた。
人生を変えるようなバレルをメイクする者、
瀕死の重傷を負う者、
自然の絶大なる力、美しさを感じ、尊び、
これからも見守って行きたい。

@ The Box

