@ Cape Cedar Iwate
シリーズ・Story of The Surf Pilgrim・波巡礼物語も早6話書き、
宮城・仙台新港編から舞台は東北・陸奥ロードへと入っていく。
仙台から松島、石巻、南三陸町の志津川を抜けて三陸リアス式海岸を北上〜
宮城県の気仙沼市を超えると、岩手県の陸前高田市に入る。
更にアップノースして大船渡市からディープ岩手・釜石方面へ車を走らせる。
この釜石は日本最北のメンズプロサーファー・スギモトヒロシ君ことヘロシ生誕の地。
ウーメンズでの最北は北海道出身のハシモトサユリちゃんが居たが、
メンズでは岩手の北からはプロサーファーが輩出されていない。
ヘロシは13歳の時この極寒東北・岩手・釜石の浪板でサーフィンを始めた。
当時釜石にあったサウザンドサーフショップに集まるスケボー小僧の一人だったが、
当然の様にスケボーからサーフィンにのめりこんでいったのだ。
そして高校を卒業するや、福島・南相馬にあったウエットスーツ会社・ジグザグデザインで
9ヶ月働きながらサーフィンを育み、今度は半年カリフォルニアへ旅立った。
カリフォルニアでは主にハンティントンやニューポートでサーフィンに励んでいたと言う。
カリフォルニアから帰国したら今度は湘南へ〜
辻堂にあったウエア会社のホットツナで働きながら湘南でのサーフィンライフを送っていた。
そのホットツナの社員旅行で1989年にハワイ・ノースショアに初めて訪れ、
そこで生涯の師匠とも言うべきドミンゴのアベカワさんと出会うことになった。
ハワイから戻り本格的なコンペ活動で結果を残していったヘロシは、
やがてドミンゴチームライダーの一員となり、ベースも辻堂から大磯へと移っていった。
そして23歳に時、地元釜石にあったサウザンドサーフショップが存続できなくなることを知り、
自分の将来のことも考え、湘南での生活にピリオドを打ち、
岩手に戻り釜石で自身のサーフショップをスタートさせることになった。
しかし北の僻地・岩手にいながらも23〜28歳まではJPSA全戦に参戦し、
その後も35歳までスポット参戦していたバリバリのコンペティターでもあった。
そんなヘロシがコンペシーンから身を引き出した2000年頃から、
俺とマンタロウの本格的な陸奥ロードが始まった。
マンタロウの案内の元、陸奥に隠されたサーフスポットをハントしていった。
その時岩手・釜石エリアでの信頼できるキーパーソンとなったのがヘロシだった。
ある年、東北の海岸沿いを真っ直ぐ北へ抜けていった台風があった。
仙台新港で台風が来る前のスエルを撮影し、台風が仙台の真上を抜けていくのを待ち、
ビュービューゴーゴーと唸っていた台風の風が緩まると同時に仙台をキックオフ。
ヘロシと待ち合わせの、岩手にあるシークレットスポットへ急行した。
道中は台風通過直後で葉っぱは飛び散り、木の枝が折れ、たまに大木も倒れていたりしていた。
携帯こそあれど今の様なデジタル文化ではなかったので、グーグルマップもなく、
地図を片手に道無き道を突き進み、ディープ陸奥に吸い込まれていった〜
岩手の三陸海岸はリアス式海岸という地形上、コーストラインに道が無く、
基本山を走り、海岸が窪んだところで海が見え、また山道に戻っていく。
遠くに海が見え、波が見えてもそこに行く道などはないのだ。
一体どんなところにポイントがあるのだろうと、ナローでタイトな山道を下っていくと、
ようやく海が見え、ヘロシ達とも合流することができた。
それからも更に走り、杉の木が林立する山の中腹に車を停め、
高く深い杉の木林を歩いて抜けると湾が広がり、
そのずっと左先の岬でブレイクするレフティが見えた。
かなり遠いのでサイズははっきりしないが、
バックに見える緑深い杉岬の先っぽから、
朝陽に照らされたファーストブレイクが頭をもたげていた。
望遠レンズで覗くとどこか異国に来た様なクラシックなラインアップだった。
ただかなり遠いのでどうやって行くの?とヘロシに聞くと、
この湾をずっと左端まで歩いて、そこから岬の先端までパドルするという。
つまりポイントに辿り着くまで小一時間はかかりそうだ。
おまけに今日はかなり水が冷たいそうで、
薄手のフルスーツしか持ってきてないオイラはドン引、、、
しかし波は良さそうだし、滅多にブレイクすることのない幻のスポットだと聞いて、
よし!やろうとなった〜
また杉の樹林を抜け車に戻ると、丁度ヘロシの知り合いの漁師が通りかかり、
ヒロシさん、あそこでサーフィンやられるんですか〜?
もし良かったら船で連れて行きますよ〜と神がかった言葉を吐いてくれた。
これには全員テンションマックスまで上がり、
この山道の終点に佇む港に浮かんだ彼の小舟に皆で乗り込むこととなった。
スペアボードを持って行くこともできるし、オイラはカメラ全機材を船に乗せることができた。
この波、このタイミングでラッキーにもセッションにのぞむことが出来たのは、
ヘロシ、ヘロシの地元のサーフバディ・ヤスユキ、
仙台から来たマンタロウ、ショウヘイ、モッチャン、
湘南から来たボーチャン(ホンジョウムツミ)とオイラ。
湾の右端に位置する港から船を使えば、あっという間に左端の杉岬につくことが出来た。
パーフェクトなポイントブレイクだったので、
まるでインドネシアの様にラインアップのすぐ横ショルダーにいることができ、
撮影する側としたらこれ以上ないシチュエーションとなった。
おまけに冷たい海に入る必要もなくなり、水中と同じアングルで撮影することができた。
皆は次々と船から飛び込みこの初めてのレフティにストーク。
このポイントの開拓者でもあるヘロシは、
本当に凄い時はトラック一台入るくらいのバレルが形成されると語ってくれた。
入り組んだ三陸海岸の奥底に位置するため、スエルを拾うアングルが狭く、
数年に一度くらいしか微笑むことがないらしい。
今日のサイズはまだまだミディアムで、
ファーストブレイクのビッグバレルがまだ覚醒していないとのことだった。
それでもアーティーかつエキゾチックな和風の色合いを見せてくるファーストブレイク。
そこからダブルアップしてくるミドルセクションのバレルを抜けインサイドへ〜
こうして台風一過の晴れ割った岬の突先でのプライベートセッションは
一生忘れることのできないものとなり、
オイラのフェイバリットラインナップショットの一枚が生まれた。
その後の陸奥取材でもいつもこの杉岬のレフトを狙ってきたが、
後にも先に微笑んでくれたのはこの一回こっきり。
しかしながら毎回の陸奥ロードでは新たなポイント、新たな発見があったのも事実。
だからこそディープに、ディープな陸奥の魅力にはまっていってしまったのだ〜
(続く)
Hiroshi Sugimoto @ Another Left Iwate