1/19 Hawaii Day

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

IMG_1664

@ Pipeline  12:39 am

 

本日のノース、昨日のフルオンショアのどチョッピーから、

風がイーストリーにスイングし、波のシェイプはマシになったが、

海全体としてはスティルストーミーコンディション。

ウネリもトゥーノースで間隔も狭く、おまけにまだまだでかい、、、

なのでサンセットもパイプもハレイワもアウトオブコントロールで、

ジャパニーズボーイズ&ガールズはお決まりフレディでゲットウエット〜

オイラはレイデイ・2日目〜〜〜

 

 

 

 

IMG_1657 IMG_1658with Mark Foo Older Sister  Shallyne

 

今から27年前、1994年12月23日、当時ビキビキのビッグウエーバーだったマークフーは、

ワイメア〜マーベリックス〜トトドスサントスと言ったビッグウエイブスポットを、

一つのストームでサーフすると言う、

今の先駆けとなったチェイシングスエルを自ら実践していたが、

マーベリックスでサーフィン中に溺死してしまった。

そのマークフーが1981年にビルドアップしたのが、ワイメアにあるバックパッカーズだった、

1981年・当時まだバックパッカーズの前身だったレンタルハウスの時に、

2階がSC・ダブチーム、1階がライトニングボルトジャパンチームがステイしていた。

オイラはこの1981年のノースが初めてで、SC・ダブチームとこの家で過ごしたことがあり、

マークフーともこの時に出会った。

その後マークはタウニからサンセットマスターへ、

そしてワイメアのアップカマーにまで成長していった。

オイラも2年目の1982年から真剣にワイメアを意識するようになり、

出来うる範囲で水中撮影に取り組んでいった。

そんな中、毎回沖でマークフーに会い、オハヨーナミハ?と挨拶を交わすようになった。

オイラがサンセットやパイプ、ワイメアで頑張って撮影している姿を知っていたマークは、

サーファーマガジンの当時フォトエディターだったジェフディバインを紹介してくれたり、

ウエザーラジオで波予報を聞いたりする事など教えてくれた。

マークはこの頃からワイメアでのチューブライディングを意識したライン取りで、

オイラもマークのワイメアで駆け上がっていく姿を撮影していった。

そんなサーファーとして最高の輝きを見せていた矢先の出来事で、

まさかあのマークが大好きなビッグウエイブの中で溺死してしまうなんて信じられなかった。

マーベリックスで亡くなって一週間後の1994年12月30日、ワイメアベイでセレモニーが行われた。

そのセレモニーに使われたワイメアでの水中写真は他でもない自分が撮影したものだった。

沖へパドルアウトした時に、マークの当時のフィアンセから、

マークの一番のお気に入りの写真だったので使わせてもらったの、

と聞かされた時、涙が出た、、、

マークが他界し早27年が過ぎたが、彼が建てたワイメアの家はバックパッカーズとして進化し、

多くのサーファー・トラベラーに利用されている。

 

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今週末・1月23日の波周期予報です。

またまたビッグスエルがハワイ諸島にやってきますね〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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