ツナミコーリング・シリーズ・第3作目は、いよいよ日本編。
タイトルも、バックトゥハートランド。
20代から30代にかけてほとんど海外にいた自分にとって、
母国・日本の波への思いが詰まった作品となった。
プロデューサーはツナミ2から引き続き、サイファーのイザワ氏が担当し、
仮編も彼のオフィスで、かなり短時間で仕上げた記憶が残っている。
ロケ地は、新島、湘南、千葉、沖縄、和歌山、宮崎、種子島、四国。
この時撮影取材した時の写真が、写真集・波巡礼(ブエノブックス)で多く使用されている。
オープニングの新島編では、クガタカオ、フルカワイサム、カネカツコウジ、
シンドウアキラ、ツジコウジ等のキャスティングで、
掘れ掘れのハブシ、アワイでのセッションが収録されている。
湘南編では、ナカヤマヨシロウフォトグ、
千葉編では、ミヤガワミキオフォトグが撮影したビデオフッテージも使わせていただいた。
沖縄編では、1989年・初めての沖縄取材で集まった、シンドウアキラ、ホンジョウムツミ、
イマスノブマサ、コウツサヒロユキ等とのコーラルリーフセッション。
和歌山編では、南紀ワイルドピークのライトと和歌山岬のレフトで撮影され、
ソエダヒロミチ、オオツカナオキ、ホリグチゲンキ、
チバコウヘイ、ウエダマサヒロ、ウキモトカズヤ等が出演。
種子島編では、ヌマジリカズノリ、イイダカズシ、マシューピッツ等によるアイランドセッション。
宮崎編では、タニグチタカシ、ヌマジリ、フクチタカユキ、
セキノサトシ、イケダコウイチ等による、日南、内海での台風セッションの模様。
四国編では、仁淀と海部のワールドクラスのドチューブ映像を踏まえ。
ラストは、1992年・宮崎で行われたASPの時に展開された、
外人サーファーによるスーパーパフォーマンスで締めくくられた。
マンガバリー、トムカレンの直線、トムキャロル&トムカレンの内海レフト、デレクホーの永田、
そしてラストのラストはカイポハキアスによる
シークレットライトハンダーの水中でフィナーレとなる。
特にラストのカイポの水中フッテージは圧巻で、日本とは思えない6〜8のパーフェクションを、
まるでハワイのホームブレイクの様に、
リーフブレイクを読みきったスタイルでチューブを笑いながらメイクしてきた〜〜
当時のローカルとの交渉でバックの景色は出さない約束で、
ようやくツナミ3で使用することができたのだ。
しかしその後このポイントは完全ローカルオンリーとなり、
取材はおろか外部からのサーファーもシャットアウトとなってしまった。
ツナミ1&2で培った経験から、仮編も本編もスムーズに進み、
ツナミ1の時の難産とは裏腹に、とても安産な作品となった。
更に日本の凄い波を網羅した出来となったので、ツナミ1&2を凌ぐ高販売となった。
ただ自分的には、本業のスティールに集中したくなっていた、
編集で東京スタックになるのが嫌だった事もあり、
このツナミコーリング3でビデオの方は一旦終わろうと思っていた。
ところがこの辺りから、日本のサーフィン界高度成長期と共に、
空前のビデオブームとなっていき、
日本のメーカーから自社のプロモーションビデオ制作の話が次々と来てしまった。
撮影だけならともかく編集は、、、と思う気持ちがあったが、
ドロップアウト社の”CRUSH”、
ロックダンス社の”SOLID ROCK”、
ウォリアーズ&ロックホッパー社の”KOA NARU”
と言った3本のビデオを手がけることとなった。
そしてそれに向けて新たな撮影に入ると、またビデオフッテージが溜まってきだし、
3年もすると充分な素材がストックされ、3社のプロモーションビデオを制作した後、
せっかくの映像が残っているので、もう一本、ツナミコーリングを制作することになった。
でも本当にこれでビデオ制作は終わりにしようと、
ファイナルエディットと言うタイトルにしたのだった。
