6/5 Preview of DVD Surf Pilgrimage / To The Ends of The World vol-6

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

スクリーンショット 2020-06-05 10.05.44

@ Bells Beach  Victoria  Australia

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-05 10.04.21Hiroto Arai

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-05 10.03.01

 

 

 

 

2016年の3月から4月にかけて、オーストラリア東海岸・35日の旅に出た。

主な目的はゴールドコーストとベルズで行われるCTイベントの撮影取材だ。

普段は試合重視の取材をしないが、この年からカノアイガラシがCTにデビューするので、

まずは初戦・最初のヒートをこの目で見たかったのだ。

ハワイからシドニーへ飛び、レンタカーを借りに行ったら、

にゃんとオイラ、国際免許は持ってきたが、日本の免許証を忘れてきてしまい、

予約しておいたレンタカーを借りる事ができずおおわらわ、、、

予約サイトのレンタカードットコムに連絡し、俺名義ではなく妻が借りると言う契約にしてもらい、

なんとか無事車を借りる事ができ、

まずはQSオーストラリアオープンが行われているマンリーまで夜中のドライブ。

こちらも予め予約していたマンリー・バックパッカーにチェックインし、部屋に入ると、

ベッドのシーツは無いわ、前の人の食べ残しの皿は残っているわ、ゴキブリは出るわ、

もちろんクーラーもなく暑苦しいわで最悪のファーストナイトとなった。

ほとんど寝れないまま朝を迎え、

マンリービーチで試合、その後ナラビーンでフリーセッションの撮影をし、

二泊目はクナラに住むアケちゃん事カラサワアケミさん宅へ〜

アケちゃんはかつてレディースプロとしてJPSAで活躍し、

OZのフィンバー・オレアリーさんとの結婚を機に、

オーストラリア・クナラに移住し、二人の男の子を出産、

長男のコナーはこの年からカノアと同期でCT入りを果たしたのだ。

そんなサーフィンファミリーのアケちゃんちで楽しいセカンドナイトを過ごし、

翌日も朝早くからマンリーへ向かい、

日本人でただ一人勝ち上がっていたシュンのヒートをチェック。

しかし、今季からCT入りを果たしたイタリアのレオナルド・フィオラバンテとの

マンオンマンで敗れてしまった。

波はしょぼく、日本人も全滅したので、早々にマンリーを発ち、

800kmアップノースのゴールドコースト・クーランガッタへと車を走らせた。

セントラルコースト〜ニューカッスル〜フォースター〜コフスハーバー〜バイロンベイを超え、

約10時間ほどで目的のゴールドコーストに夕方到着した。

ゴールディーでは、京都出身ながら古くからオーストラリアに住む、

アンダーグランド・ビッグウエーバーのトム事タツノシンジ君宅に身を寄せた。

トムとは昔からの仲で、

丁度10年前・2006年にハヤシケンタ、ヨシオカトモフミ等とゴールディー取材をした時、

タイミング良くサイクロンスエルが入り出し、トムの案で、ヌサヘッズへ行くことになった。

果たして波は、、、、

 

 

(過去の手記より)

 

 

クイーンズランド州、サンシャインコーストにある、ヌーサヘッドは、

オーストラリアを代表する、クラシックなポイントブレイクの一つだ。

美しい森の沸く、ナショナルパークの岬の突端から、

5つの異なったポイントブレイク

(granite bay, ti-tree, national park, johnsons, first point) が存在する。

サイクロンスエルなどの、メジャースエルが来なければ、

そのパーフェクションを滅多に拝むことができない、伝説のスポットでもある。

 

2006年の3月、スナッパーロックの近くに家を借り、

オーストラリアに長期滞在していた、ハヤシケンタを頼って、

トモ(ヨシオカトモフミ)と久し振りにオージートリップを敢行したときのことだ。

クーランガッタエアポート近くの安いレンタカー屋で車を借り、

ケンタハウスに泊まらせてもらい、近場のデュランバーや、スナッパーロック、

たまにはトゥイードリバーを超え、ニューサウスウエールズ方面に行ったり、

バーレーヘッズや、サウスストラッドブロークアイランドに足を延ばしたりしながら、

フォトセッションを重ねて行った。

 

同時期、スナッパーエリアには、マーが住んでいて、テッペイやショータ、ユージロー達も居、

アーミちゃん(キタガワナルミ)も毎年恒例のサーフィン合宿を行っていたので、

まさにノースショアスタイルの様に、毎日どこかで誰かと出くわし、

取材/撮影できる環境が整っていた。

 

オーストラリアならではの素晴らしいサーフブレイクを求めて、

一日中走りまくり、サーフしまくり、夜になれば、

スナッパーを見下ろす抜群のロケーションに住む、アーミハウスに突撃し、

しこたまビールを飲み、夕闇迫るスナッパーを眺め、酔いが回ったら、帰宅し、

ケンタの作ってくれたディナーをいただき、バタンキューの毎日だった。

 

そんな旅の後半、サイクロンが発生し、

オーストラリア東海岸沿いを、北から南へと移動していく予報が出た。

正直、ゴールドコーストには、ハワイの様なビッグウエイブスポットが無い。

6~8フィートのスエルが来たら、どこも怒濤のカレントが生じるのは必至。

こんな時どこに行けばいいんだろう?と悩んでいたら、

当時サーファーズパラダイスで旅行会社を経営していた、

友人のトム君が、ヌーサヘッドに行きませんか?と声を掛けてくれた。

すっかり俺の視野が、ゴールドコーストに狭められていたのが、パーンと弾けて、

そうだよ、こんな時こそヌーサヘッドがゴーインオフするんだぜ~と、

かつての知識、記憶が蘇って来た。

 

クーランガッタからヌーサまでは、約250キロの道のりなので、

車は一台に絞り、まず、俺、ケンタ、トモ、アーミ等とで、

サーファーズパラダイスのトム君宅まで行き、

彼の4駆の車に乗り換え、そこからフリーウエィで一気にヌーサまでぶっ飛ばした。

フリーウエイはかなりインランドを走るので、あまり海の様子はわからなかったが、

ブリスベンを過ぎてから、高台を走るフリーウエイから遠くにサンシャインコーストの海が見えた。

すっかり、サイクロンスエルによって幾重にも連なるラインアップが、眼下に飛び込んで来た~~

普通のビーチブレイクは、軽くクローズアウトしていることは明らかだ。

いよいよ、ヌーサの大パンピングを拝めるのかと思うと、

ロングドライブの疲れも何のその、再びヴォルテージが急激にアップしていった。

 

やがて、フリーウエイを降り、ヌーサのツーリストタウンを抜け、

ヌーサヘッドのナショナルパークの中にあるパーキングに辿り着いた。

濃い~森の海沿いに歩道があり、そこを奥の方に向かって行くと、

波音が激しくなり、やがて一つ目のポイントブレイクが見えて来る。

ここは、いまいちサイズもないし、ブレイクもトロトロなので、更に奥へ進むと、

ヌーサヘッドのメインブレイクとも言われる、Ti-Tree の全貌が見えだす。

サイズこそ3~4だが、岩横から砂を巻き上げながらのファーストセクションは、

バーレーヘッズの全盛期の様な形と色合いだ。

テイクオフのホローセクションを抜けたら、後は超ロングライディングが待っており、

パーフェクトに伸びるショルダーを、ボトムターン、リップ、カットバックを織り交ぜながら、

次のポイント、National Park にまで乗り継いで行っちゃうほどだ。

 

そして、Ti-Tree の更に先には、Granite Bay があり、

ここも岬の突端からレギュラーのポイントブレイクがマシンの様に転がっていた。

結局、色々チェックしてみたが、Ti-Tree が一番ハードコアなので、

そこでサーフすることにし、板、カメラ、荷物全部を海沿いの岩場に運び、

そこをベースにサーフ&シュートセッションに入った。

 

テイクオフエリアの突端まで、岩沿いを歩いて行き、

セットの合間に岩からジャンプインすると、もうそこはディープテイクオフゾーン。

誰もが岩にくっつくくらいの勢いで、奥に奥に入って来る。

もち、波の知っているローカル優先は当たり前だが、

途中からジェットスキーでトウインまでやりだしたのには参ったね、、、

 

それでも、ケンタ、トモとも、良い波を捕まえては、

オールウエイインサイドまでロ~~ングライドし、

一旦上がり、遊歩道を使って、俺等の居るベースにまで戻り、

一言二言だべっては、また岩から飛び込み、

また、一本の波で300m近いライディングをし、上がって来る、というのを繰り返していた。

ファーストのチューブセクションはおもしろいけど、後はダラダラで、

いまいちリップもしにくく、決まりにくい、ローカルもきついね~、、、

なんて贅沢をいいながらも、何周も何周も、遊園地にいるようにグライドしまくっていた。

一方、アーミちゃんは、首の調子が悪く、

ほとんど見学、最後の方でちょろっと入った程度で、もっぱら俺の話し相手。

友人のトム君は、根っからのサーフジャンキーで、

仕事の合間を見つけては、メンタワイに行ったりするくらいなんで、

今回のサイクロンスエルをヌーサヘッドで出来たことは、本当にストークだったようだ。

俺は、岸からのアクションショットを収めた後は、

ラインアップショットを撮るべく、ポイントをず~と奥の方まで歩いて行った。

さすがオーストラリアのナショナルパークの中だけに、色彩豊かな鳥が飛び交い、

サンシャインコーストならではの暑い陽射し、目に優しい森の緑、

脈々と打って来るサイクロンスエルに、ゴージャスな気分に浸っていた。

海に気を取られ、あまり下を見ないで歩いていた自分だったが、

何故か、何かを感じたのか、足を踏み出した前を見ると、、、、

なんと、見たことも無い、カラフルな虹色の様な、細身の蛇が、道を横切っており、

まさに自分の踏み出した足の着地点にいた~~~!!!

ピクンというか、ギクンと神経が反応し、踏み出した足をグイ~~と更に前に延ばし、

間一髪、この猛毒を持った蛇を踏まず、飛び越すことが出来た。

蛇は全く、俺に反応することなく、道を横切り、再びブッシュの中に消えて行った。

もし、踏んでいたら、もし噛まれていたら、と想像すると、血の気が引く思いだった。

ベースに戻って、このことをアーミちゃんに言っても、

まともに聞いてくれなく、軽くあしらわれる始末。

この戦慄の恐怖心は、ヌーサで俺だけの思い出となった。

 

そんなこんなで、丸一日ヌーサヘッズで過ごし、また長い長い帰路についた。

年に1~2回ブレイクするかしないかと言われる、

幻のヌーサヘッズのパーフェクションに遭遇できたこと、

毒蛇に襲われなかったことに感謝しつつも、

サーフィンとドライブでへとへとに疲れ切った友人のトム君に、

明日はレノックスヘッズに行くから、朝4時にクーランガッタに迎えに来る様にと、

鬼の様な指示を出していた自分であった。ワラ

 

 

 

かつてはサーファーズパラダイスのビルディング街に住んでいたトム君だったが、

今は経営していた旅行会社を売り、

クーランガッタの街から少し内陸に入った、小高い山の上に家を持ち、

1階は波民(ナンミン)キャンプと言う安宿にし、

2階にトムファミリーが住み、

オレらは同じ2階のゲストルームに泊まらせてもらう事になった。

トムの家からスナッパー、デュランバー、キラへは車で10分以内だが、

傾斜が凹凸なので歩いたり自転車は結構きつそうだ。

でも波民キャンプにいるボーイズ&ガールズはカー無しなので、

原始の力で頑張ってアッピンダウンを毎日繰り返していた。

俺らが陸路で到着した翌日、

ナカムラタクミがシドニーから飛行機でゴールディー入りし、

一階の波民キャンプに入る事となった。

タクミが来てからは基本タクミを乗せて朝一から海へ行き、

Dバーやスナッパーでフォトセッションを繰り返していた。

この時期ゴールディーには多くの日本人プロが集結していて、

マー、カン、ソウマ、ダイキ、タイシ、ユウゴ、レオをはじめ、

レディースではナオ、レン、ヒナコや、留学していたコウタ等と

毎日どこかでセッションできた。

またCT戦が近づき、CT選手も続々とゴールディー入りし、

スナッパーエリアは活気立ってきた。

そんな中、CTルーキーであるカノアの姿もあり、

いよいよカノアボーイが世界の舞台で戦うんだな〜と感慨深かった。

正直ゴールディーにはビッグウエイブスポットが無く、

ハワイの様に長い板を必要としない。

Dバーの様なピーキーなビーチブレイク、

スナッパーの様なサンドボトムのポイントブレイクといったタイプの波だ。

ハワイ・ノースの狂骨な波とはほど遠いが、明るく温かく、水もクリアで、

ビーチとは言え、波の質が良いのがゴールディーの特徴だ。

一説にはこのエリアがオゾン層の関係から、

紫外線が異様に強く皮膚ガンになりやすいと言われている。

実際暑い!ハワイなんかより太陽光線がキツイ。

日中日陰の無い所で撮影しているとバテてしまうくらい熱い熱い。

後、試合のため道端の駐車場がすぐに埋まってしまうので、

迂闊に車を移動したりできないのも参った。

それでもカノアのヒートは必ずチェックし、

日本人プロとのフリーセッションもビジーにこなしていった。

1日が終わるとトムハウスに戻り、自炊しながらトムやタクミとドリンクオン〜

トムの家は山の高台にあり、ブッシュに囲まれ、鳥の鳴き声や空気が澄んでいて、

本当に住み心地が良かった。

ビーチでの疲れを山でリフレッシュし、また海への毎日だった。

カノアはルーキーながらもR-5まで勝ち上がり、

初戦を9位と言う素晴らしいリザルトを残し、

マットウイルキンソンがこのクィックシルバープロ・ゴールドコーストを制した。

試合が終わると選手もメディアも一気にベルズへと移動していく。

タクミも帰国し、オイラもトム宅をチェックアウトし、再び陸路でシドニーへ〜

朝一ゴールディーを出発し、11時間近くかけてシドニーのアケちゃん宅に到着〜

道中一度だけピカッと光ったかも?とアケちゃんに漏らすと、

多分スピード違反のカメラが光ったんだよ〜と。

オーストラリアは厳しいから、

3kmでもオーバーしてたら切られるから気をつけな〜とのことだった。

結局この気になっていた光はやはりオーバースピードのカメラのフラッシュだった。

100kmで走っていて、街に入る手前でいきなり20kmになり、

そこを25kmで通過した時に捕らえられ、

帰国したら5kmオーバーの罰金の督促状が何通も家に届いていた〜キビチ〜〜

アケちゃんちにはまた一泊だけさせてもらい、

翌朝暗いうちにクナラを出発し、966km南下、ベルズビーチを目指した。

ベルズへはコーストラインでは無く、

内陸部のM−31を一直線に抜けていくルートを取った。

コーストラインとは異なり同じ様な牧場、枯れた大地が延々と続いていった。

俺はここで初めて車のスピード自動設定を活用し、

アクセルを踏まずに100km設定で走り抜けた。

こんなとこで50kmオーバーのチケットなんか切られたらたまったもんじゃないぜ〜

予定通り暗くなる前の夕方にはベルズに到着〜

トムがブックしておいてくれた

トーキーの隣町・アングレシーのキャラバンパークにチェックイン。

俺と妻・アルカスビジョン二人にはぴったりのキャビンで、

キッチン、シャワー、トイレが付いていて、自然に囲まれてナイス〜

ベルズへ行くにも、丁度トーキーからと同じくらいの距離だったので、そこもナイスだった。

ゴールディーに居る時、

CT2戦目・リップカールプロ・ベルズビーチのトライアルにアライヒロトが出場できると知り、

なんとか本戦前のトライアルに間に合おうと、

ゴールドコースト〜シドニー〜ベルズへの道のりを急いだってわけ。

翌日からはヒロトと連絡取り合い、

ベルズやウインキーポップ、ジャンジャック、13thビーチなどでセッションしていった。

カノアはお父さんのトムが連絡係りになってくれ、

カノアのベルズやウインキーの映像を残すことができた。

オーストラリア最大のイースターホリデイに突入するので、

アングレシーキャラバンパークはフルブックとなり、

探し回った結果、

少しお高いがトーキーのキャラバンパークのキャビンを最後まで借りられることになった。

なんとそのキャラバンパークは、

1980年・俺が初めての海外旅行、初めてのオーストラリアトリップした時に、

テントを張ってステイしていたキャラバンパークだった。

当時はこんなキャビンなどなく、

だだっ広いキャンプ地にテントやキャラバンがポツンポツンと建っていた程度だった。

街並みもヴィクトリアの田舎、

リップカールとクィックシルバーがあるだけの閑散とした村だった。

36年の時を経て、トーキーはまるでハンティントンの様なサーフタウンと化していた。

トーキーに引っ越してからも変わらず、寒い寒い朝一にはベルズまで20分車を走らせ、

試合やお隣・ウインキーでのフリーセッションの撮影に励んでいた。

オンショアや雨が降ると、更に寒さが増し、

ヒーターなどないキャビンの中でも外にいる様な寒さだった。

ヒロトはトライアルに敗れゴールドコーストに戻ってしまい、

試合がない時は、グレートオーシャンロードを西へ西へと走り、

グレートオトウエイナショナルパークに息づく自然のコアラを見にいったり

ウエインリンチが住んでいたローン〜アポロベイ〜ジョアンナをチェックしにいったり、

海に聳え立つ奇岩・12アポストルズを見にいったりして、

ゴールディーとは全く違うヴィクトリア州を楽しんだ。

試合ではカノアはR-1をトップ通過したものの、

R-3でこの試合で優勝したウイルコに敗れてしまった。

試合に負けても、その日のラストヒートが終わると、

カノアはいの一番にパドルアウトしていった姿が忘れられない。

その後カノアは、最終戦のパイプマスターズで準優勝となり、

2016年最終ランキングを20位で終えた。

この時カノアはまだ18歳、ツアーの中で最年少だった。

そして、2017年は17位、2018年は10位、

更に昨年2019年にはバリ戦でCT初優勝を成し遂げ、

総合ランキング6位と、押しも押されぬ世界トップランカーへと進化し続けていった。

たった4年のキャリアだが、そのスタートこそが、

この2016年のオーストラリアレッグだったのだ。

2020年、いよいよ悲願とも言える、日本人・ツヅキアムロがCT戦に挑むとなった直前、

コロナ感染が世界中を襲い、今季のCT開催は絶望的となってしまった。

俺は、カノアが50番のゼッケンをつけ、

颯爽とスナッパーの岩からパドルアウトしていった時と同じ気持ちで、

アムロちゃんが自身の背番号をつけて、

スナッパーを駆け抜けていく姿を楽しみに待ち続けたい。

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-05 10.01.27Kanoa Igarashi

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-05 10.00.05Hinako Kurokawa

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-06-05 10.02.23Takumi Nakamura

 

 

 

 

 

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