5/28 Preview of DVD Surf Pilgrimage / To The Ends of The World vol-3

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Ujung Bocur  Krui  Sumatra  Indonesia

 

 

1982年・初めてインドネシアに足を踏み入れて以来、あの波熱病にドップリと感染してしまった。

バリ島のウルワツ・パダンから始まり、ヌサレンボガン、

ロンボク、ジャワ、スンバワ、ティモール、

スマトラ島の沖に浮かぶ、ニアス、ヒナコ、テロ諸島、

そして今度は空前のブームを巻き起こした、メンタワイ諸島へのボートトリップと、

ジャングルの彼方、ディープインドネシアへとウエイブハントの旅が続いた、、、

 

 

 

 

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そしてかねてから行ってみたかった、南スマトラ・クルイへのヴァージントリップを敢行。

2019年4月下旬、クラマスで行われた、

JPSA初戦・ガルーダ・インドネシア/旅工房ムラサキプロ が終わると、

今度は4月29日から、WSL/QS3000・クルイプロが行われるので、

多くの日本人プロが参戦するため、バリからスマトラへ移動していった。

俺はここ最近、クラマスの試合だけ撮影し、帰国というパターンだったが、

今回はGWを跨ぎ、バリ・クラマス&スマトラ・クルイの取材を行った。

まずはデンパサール空港からジャカルタ空港まで飛び、1時間トランジットで、

今度はジャカルタから南スマトラのバンダールランプンまでのショートフライト。

バンダールランプン空港には宿からのお迎えの車が来てて、

そこから何と6時間近くのロングドライブを強いられた。

ひとえにこのアクセスの遠さ、悪さが、いまいちクルイが流行らない原因なんだろう。

俺はむしろ昔のインドネシアトリップに戻ったような気分で、

道中ずっと初めて見る景色を楽しむことができた。

インドネシア独特のガチャガチャした街をいくつか通り過ぎると、

田園地帯のカントリーロードから険しい山道に入っていった。

ガードレールもないデコボコの道、細いくせにダンプやバスとやたらすれ違う、、、

距離的には6時間もかからないはずだが、

なんせ思うように走れないのがインドネシアなので諦めるしかにゃい。

険しい山を二つ越すと、ようやく海が見え、波もブレイクしていた。

スマトラのサウスウエストコーストラインを走り続け、

ようやくコンテストサイトのウジュンボチュールに到着〜

この初めてのクルイトリップは、プロサーファーとは一緒ではなく、

サーフィン好きの友人との二人旅で、友人はもちろんエンジョイサーフィン、

俺は試合でクルイに来ているプロサーファーの撮影というスタンスだった。

ステイ先は、Airbnbで見つけた安宿ホルジャロズメン(一泊・一人・1200円)

で、レンタルバイクは、一日・600円だった。

ホルジャのオーナー・アニーさんは、この辺りの女ボス的な存在で、

クルイプロのジャッジスタンドが建っている、オンバインダリゾートのオーナーでもあった。

その関係から、寝るのはホルジャだが、三食・ビールはオンバインダでとることとなった。

オンバインダから真正面に見える、ウジュンボチュールの長い長いレフトは、

あのGランドを彷彿とさせた。

サイズも初日の今日はイージー8〜10ftで誰も入っていなかった。

兎にも角にも何とかバリからのロ〜〜〜ングウエイで、クルイに到着〜〜

真夜中、得体の知れない吐き気と下痢の先例を喰らったが、

出すもん出して、水をたっぷり飲んだら、また眠りに落ち、

翌朝はいつものように夜明け前から行動開始〜(リカバリー早っ)

久々のバイクスタイルなので、大きなレンズや三脚はオンバリゾートに預け、

バイク移動の時は最小限のカメラ機材で動いた。

つまりウジュンボチュールはラインアップが遠いので、600mm+テレコンバーター。

バイクで20分程走った所にあるマンディリビーチへは、

100mm〜400mm+テレコンバーターと一脚スタイルでの撮影となった。

日本人選手も、ウジュンボチュールの近くにステイする者と、

マンディリサイドにステイしている者とに分かれ、

その都度、波情報など連絡を取り合いながら、

いずれかのロケーションでセッションを重ねていった。

試合が始まると、オンバインダリゾートはまさにクルイプロのセンターゾーンとなり、

人が溢れるようになってきた。

マンディリはビーチブレイクで、フェイスが南向きのため、朝三には風が入ってきてしまう。

一方、ウジュンボチュールはレフトのポイントブレイクで、西向きのため、

風に強く、一日中オフショアの時が多かった。

だから日本人のヒートが無い朝はマンディリビーチへ、

日本人ヒートがある時はウジュンボチュールで、というルーティンが出来上がっていった。

友人は俺と同い年・60歳なので、無理はせず、

人の少ない朝一や潮のある時にサーフィンを楽しんでいたが、

俺はバイクに跨り、

ノンストップでマンディリ〜ウジュンボチュールを往復していたのには驚いていた。

波はパンプし続け、試合に、フリーセッションにと大忙しの毎日だったが、

夕方のオンバインダリゾートから望む夕焼けは、この世の物とは思えない美しさだった。

ビールを飲んで、日本から持参したおつまみ食って、時によれば刺身が出てきたり、

毎日変わるディナーを楽しみ、食後はスタッフ達とカラオケを歌ったりと、

クルイで狂った様に弾けまくっていった〜

そんなある日、オーナーのアニー婦人と色々と話をするうちに、

オンバインダリゾートのプロモーションを日本でやってほしい、と言われた。

自分が発表できる媒体は、この波伝説のブログであると見せたら、

是非、日本のクライアントでもあるOMツアーと協力してやってほしいと。

もうこの時にはすっかりクルイの虜になっていたので、

もちろんすぐに次のトリップをやりましょう〜と盛り上がったのは言うまでもない。

そしてこのファーストクルイトリップから帰国するやいなや、

次のクルイトリップの準備にかかった。

 

 

 

 

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実はこの時の帰国時に大ポカをやらかしてしまった。

クルイ〜バンダールランプン〜ジャカルタへと帰途につき、

ジャカルタで成田に帰る友人と別れ、俺は一人で関空便を待っていた。

今日のロングドライブと酔いから、ボーディングゲートの前で爆睡してしまった。

ここで寝てても起こしてくれるだろう、、なんて甘い考えをしてたら、、、

何とボーディングゲートがいつの間にか変わっていて、

アナウンスをされていたにも関わらず、オイラはグースカグースカ寝てたら、

すでに関空便は飛んで行ってしまい、俺は真夜中のジャカルタ空港に取り残されてしまったのだ、、

ガルーダの人も、イミグレの人も、こいつ寝てたらしいよ〜みたいな感じで、情けなかった。

泣きたいトコだがここもポジティブに、チケットを明日の朝一のバリ便に変え、

明日の夜、バリからの関空便に変えてもらい(手数料23000円で済んだ)、

何とか一日遅れで5月9日に帰国し、

何と4週間後の6月6日にはセカンド・クルイトリップに出発することになった。

この時のメンバーが、日本人QSトップランカーのイナバレオ、

オリンピック最有力候補のムラカミシュン、

4月のクラマス戦で優勝したヤスイタクミ、

ヤングサイコチャージャーのアズチジョーの4人となった。

シュンはQSチリ戦に行っていたため、一日遅れの出発となり、俺以外の3人は羽田から、

俺は関空から、バリではなくジャカルタ入りした。

空港ホテルに泊まり、翌朝一便でバンダールランプンへ飛び、

またあの長い道のりを車でカッ飛んで行った〜

今回はオンバインダリゾートのサポートで、

ウジュンボチュールの目の前にあるコテージを用意してくれ、

日々の移動に2台の車をあてがってもらった。

前回はバイクでの移動だったので、車の移動によって機材も一式積むことができ、

何よりも体力的に楽だし安全だった、

翌日から早速行動開始〜

掘れた波が大好物のボーイズは、噂に聞くマンディリビーチへ行くと、、、

初日からゴーインオフ!!

マンディリビーチは長く、色んなところにバンクがあるので、

その日その日のサイズやディレクション、タイド、カレントによって場所が変わってくる。

日本のビーチブレイクで育ったボーイズのビーチを見切る目は鋭く、

俺は彼らをビーチの神様と呼んでいた。

少々ダンパー気味でも、あそこ、いいんじゃない? いや、あっちが切れてるよ〜

と、毎朝のマンディリ詣ででは、彼らのディシジョンに任せることにしたくらいだった。

シュンも無事1日遅れで合流し、

基本午前のマンディリ、午後のウジュンボチュールには変わりなかったが、

今回は車もあるので、

他にはスマトラパイプと言われるウェイジャンブーや、河口のナンブールビーチ、

スエルが上がれば、チョポの様なハネーズマックや、クルイボウル、シークレットビーチ等、

色んなタイプの波を知ることができた。

なかでもハネーズマックのレフトが、シュンやレオのお気に入りとなり二度通うこととなった。

一度目はややデカすぎ、マックスオーバーに思えたが、

ボーイズはしっかりハンドルし、バレルを抜けていた。

二度目の時は、やや風がファンキーながらもサイズ的には良くて、

手応えあるセッションとなったんだが、

実はこのクルイトリップでは、オンバインダリゾートで働くジュリ君がビデオ担当だったのだが、

前日の灼熱地獄ビーチセッションで熱中症となり、よりによってこの日はダウンしてお休み〜

仕方ないので、俺が一人で写真半分、ビデオ半分撮影することとなった。

本当は全部両方で抑えたかったんだけどね、、、

でも、ボーイズも、

仕方ないですよね〜キンチャンのペースについていける人なんていませんよ〜だって〜

そんなこんなで旅も終盤、ビデオのジュリも1日休んで復活し、

また残りの日々、俺にこき使われまくっていた〜ワラ。

最終日もやっぱりマンディリビーチでサーフィン納め。

もう皆充分やりきった感があるんで、午後からはテイクアブレイク〜

ヤスタク、ジョーはモヒカンにされ、真昼間から皆でカラオケ大熱唱〜

夜は近くに来た移動遊園地へスタッフ全員で乱入〜

空中シーソーボートに乗って騒いで弾けていたら、

ジョー君、目眩を起こしたのか、失神してしまいよった〜

笑いからいきなりびっくらこんだったが、やっぱり皆で笑い転げてしまった〜

オンバインダに戻ると、カラオケは更に大フィーバー、オーナーのアニーも熱唱しまくり〜

そんな中でも、ジョー君はスヤスヤと眠ってますた〜ワラ。

その後はビールのぶっかけあい、プールに落とされと続いていった様ですが、

オイラの記憶はここまで、、、

翌朝はノーサーフで、早めのチェックアウト〜

オンバインダリゾートの素晴らしいサポートを得て、最高のセッション、最高の旅となりました。

ボーイズも旅といえば試合、

こんなにいい波で、こんな弾けたトリップは初めてだったと振り返ってくれた。

そう、これこそが本当に楽しいサーフィンの原点であり、

宝石の様な時を分かち合えた、ワンダホージャーニーなんだ。

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-27 6.35.13 スクリーンショット 2020-05-27 6.41.26Joh Azuchi

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-27 6.36.45 スクリーンショット 2020-05-27 6.29.39Reo Inaba

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-27 6.33.06 スクリーンショット 2020-05-27 6.28.23Takumi Yasui

 

 

 

 

 

 

スクリーンショット 2020-05-27 6.39.29 スクリーンショット 2020-05-27 6.31.26Shun Murakami

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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