5/18 Story of The Surf Pilgrim vol-34

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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@ Early  Okinawa

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沖縄・八重山諸島のアカマタ、ヤンマングから

更にディープ・ディーパー・ディーペストゾーンへ〜
このスナッパーロックの様な、

ウルワツを逆さまにした様なラインアップは”アーリー”と呼ばれる。

1998年、カラナオゾウ君がまだ宮崎にいる頃、八重山に帰省した時、

同じ八重山でも違う島に住む、サトウヨシナオ氏と出会い、

その時”アーリー”の存在を知る事となった。

 

サトウさんは、1959年生まれ・現60歳、北海道・室蘭出身で、

実家はイタンキ浜の目と鼻の先にある。

25歳までは札幌で建築関係の仕事についていたが、

冬の北海道では仕事が暇になり、採農隊として、

冬の3〜4ヶ月を八重山のサトウキビ工場で働くルーティングがあった。

23歳から始めたダイビングで、海が大好きだったサトウさんは、

26歳で北の果て・北海道から、

南の果て・沖縄それも更に南の八重山に移住する事となった。

島での仕事はダイビングのガイドから始まり、

30歳からはフリー作業ダイバーとなり、

八重山諸島のあちこちで海底土木の仕事をこなしてきた。

そして32歳で正社員となり、

49歳で引退するまでずっと厳しい作業ダイバーを続けてきた。

その後はダイビングショップの船長や、

シュノーケリングショップを営んだり、

また昔の様に製糖工場で働いたりし、

35年近くずっと島で暮らしている。

サーフィンとの出会いは遅く32歳の時で、

まだサーフボードではなくボディボードからのスタートだった。

39歳の時ハワイへ言った際に初めてショートボードをゲットし、

40歳からサーフィンを始めたと言う。

島の地元民にはサーフィンなどやる人は居なかったが、

当時の移住者だったマツモトさんに、

サーフィンの事を色々教わったらしい。

今もそうだが、移住者は大体2〜3年周期で島を出るそうで、

サトウさんの様に35年も居続ける移住者は皆無だと言う。

その後は、でかい時はBB、小さい時はSB、

54歳になってからはSUPにはまり、

風が強い時はサーフィン、風が弱い時はSUPと言う風になっていった。

1998年にナオゾウと知り合ってからは、

ナオゾウシェイプの板を買ったりし交流を深めていった。

そのナオゾウがアーリーを初めてをサーフしたのが2002年の事、

サトウさんと知り合って4年後の事だった。

かねてから待ち望んだ台風のコースが来たので、

サトウさんと連絡を取り、当初3日ステイの予定が、

一週間の滞在となるくらい波はパンプし続けたと言う。

岬をラップした波が4〜6ftくらいで、

広大なリーフの上に延々とブレイクしていく、

まさにドリームウエイブだった。

それからは台風がこのコースを通過する度に通うことになり、

今ではレフトのアカマタ、そしてライトのアーリーが

ナオゾウのライフワークとなっていった。

その翌年・2003年に俺はナオゾウに導かれ、初めてこの島を訪れ、

なんと一週間近く波がパンプし、

スモールアーリーからビッグアーリーまで、

さらにアーリーがでかすぎた時は、

タバルと呼ばれるバックドアカインドのホローライトもスコアした。

この記念すべき初めての取材メンバーは、

カービー、ムネトヨ(タナカ)、サトル、そしてナオゾウだった。

ナオゾウはこの島に来ると、いつもサトウさんの家に泊まるので、

俺らはサトウさんの家の近くの安宿を取ってもらった。

そこは昔ながらの古民家を改造した宿で、

壁はコンクリートブロックだった。

台風銀座なのでこういった作りなのかなぁと思っていたが、

1泊目の夜、酔って騒いで眠りに落ちたが、

なんだか家の中が異常に暑い。

皆も寝苦しいのか起き出し、外で寝る者も出だした。

安宿古民家なのでクーラーなんかなく、蚊の攻撃にも参った。

外より中の方が暑いのが不思議だったが、再び眠りについたが、

壁からムワ〜っとくる熱気にまたもや起こされ、

どうやら丸一日太陽に温められたコンクリートブロックから

吐き出される熱気ということがわかった。

だからその日以降は壁から離れ、

まるべく外に近いところで寝る様にしたほどだった。

もちろん、その後の取材ではもう少し高くても、

冷房完備の宿を取ることにした。

またこんな事もあった。

夜道を車で走っていたら、

前方に何かタランチュラの様な蠢くものを発見した。

それはよく見るとどでかいヤシ蟹(ココナッツクラブ)だった。

タヒチとかで見て知っていたので、

あの鮮やかなブルーはまさしく奴だと確信した。

こいつはいいビールのアテになると思い、車を止め、

何か捕まえる道具はないかと探してみると、

俺の三脚があり、よしこれで挟んじゃえ〜とヤシ蟹に近づいていった。

通常のヤシ蟹よりもでかく、特に爪は強骨そうだったので、

絶対に挟まれるわけにはいかなかった。

ジリジリと壁に追い詰め、逃げ場を失ったところで、

まずは三脚の2本で挟み動きを止め、更にもう一脚で封じ込めた。

やはり思った通り、ヤシ蟹は恐るべし反撃で、

あのどデカイ爪で三脚の一本を挟み出した。

まさか三脚を切ってしまわないかとまで思い、

そのままヤシ蟹を三脚で挟んだまま、

ステイ先まで猛ダッシュで戻った。

丁度晩飯を作っていたところだったので、

ナオゾウはまずフライパンを温め、

ここに甲羅側から乗せてくださいと、

もう三脚からずり落ちそうになっていたヤシ蟹を、

熱くなったフライパンに落とすと、

急におとなしくなり、動きが鈍くなった。

その間に大きな鍋に沸騰した湯を作り、

そこにおとなしくなったヤシ蟹ちゃんを放り込み、

湯がくと、ボイルドココナッツクラブの出来上がり〜

特に太い爪の辺りは身もムッチリ詰まって美味か〜〜〜

皆でひとしきり食ったら、残りは鍋に戻し、

味噌と野菜を加え、蟹味噌汁にし、2日間に渡っていただきますた〜

何故あんな街中(村中)にあれだけ大きなヤシ蟹が居たのだろうか?

八重山では家で飼うのは珍しいことではないので、

もしかしたら何処かの家から逃げ出したのか?それとも自然に居たのか?

いずれにせよ、まさかの御馳走にあやかることができたオレたちだった〜

さて肝心の波はと言うと、、、

アーリーは、沖縄としては珍しい長いポイントブレイクで、

これまた沖縄としては珍しくロータイドでもサーファブルなのだ。

波質はスナッパーの様に横長で、ショルダーがニョキニョキと張り、

決まれば3〜4セクションもあり、300m近いロングライドが可能。

更に2〜3回チューブセクションもあり、

波のスピードと共にグライドしていくといったタイプの波だ。

ボトムはもちろんオキナワンコーラルリーフだが、

潮が干いていても不思議とサーフィンが出来るのも特徴の一つ。

海の色、水の透明度は半端なく、

ボトムのリーフは透けて見え、水中からも透けて岸が見える程だ。

イージーテイクオフからボトムターンし、

1〜2ターンをいれるとまず最初のチューブセクション、

ストールして一発目のチューブを抜けると、

また1〜2カーブをいれ、

インサイドのチューブセクションへかっ飛んでいく。

波が大きく、もっと開けば、更に更にロングライディングができる、

広大なリーフが延々と続いていくのだ。

小さな小さな島なのに、

こんなダイナミックなロケーションがあるなんて、

とびっくりしてしまう。

陸には牛や馬が放牧されており、のどかな雰囲気、、、

一度ハヤト(マキ)が馬と一緒に撮影しようと近寄ったら、

いきなり馬さん反転し、後ろ足でハヤトに蹴りをいれた〜

間一髪ハヤトは直撃は避けたものの、

それなりには当たっていたので、

太腿の辺りに馬の蹄の後がまざまざと残った。

実はこの時、ハヤトのウエア広告写真撮りで、

帽子もかぶり、服も着替え、俺はカメラを構え、

皆はその撮影を見ていた時に起こった出来事で、

二枚目ハヤトが一瞬で三枚目に転落、

写真は見事馬に蹴られるハヤトの姿をシークエンスで捉えていた。

大爆笑と言えばこんな話もある。

ワキタやヌマ、マサキ達と沖縄取材を敢行した時の事だ。

当初本島でタイフーンスエルを狙う予定だったが、

台風が急に南シナ海の方へ逃げて行き、

急遽狙いをアーリーに変え、皆で八重山アウターアイランド入りした。

狙いは的中し、アーリーは3〜4〜5〜のラインアップを見せてくれ、

皆もこの日本最果ての波を堪能していった。

撮影も無事終わり明日本島に戻ろうとなった夜、

ワキタが、当時まだ小さかった長男・タイチのために

八重山のクワガタ虫を摂って帰りたいと言い出した。

俺は酔っ払っていたのでナオゾウに振ると、

優しい島んちゅナオゾウ君は夜の10時にも関わらず

ワキタの要望に応えて二人で真っ暗な山へ出かけていった。

俺は眠ってしまい、その後どうなったかわからなかったが、

朝早くにワキタが、

”キンちゃん、すいませんが少し付き合ってもらえませんか?”と言ってきた。

なんでも昨日あれから山に行ったが、

結局クワガタ虫は見つからず諦め掛けていたが、

ナオゾウ君が最後の手段で牛舎に行ってみようとなり、

わけわからずついていったら、

いきなりナオゾウ君が牛の糞のなかに手を突っ込み出したと言う。

思わずそんな事までしないでくださいと言っていたら、

なんとクソの中から見事クワガタ虫をゲットしてくれたらしい。

で、朝になって自分の携帯電話がないことに気づき、

俺に一緒に探して欲しいと言ってきた。

大体夜中にナオゾウを巻き込んでクワガタ虫を取りに行くか〜

とブツブツ文句言いながら、

昨日二人の足取りの後を探して回った。

最後に牛舎に来て、多分ここで無くしたんだと思います、

キンちゃん、電話鳴らしてくれませんか?

と言うので、ワキタの携帯に電話すると、

どこかから鈍い音ながらプルプルプルという着信音が聞こえてきた。

音の発する所に近寄っていくが、牛の糞以外何も見当たらない、、、

引き続き捜索すると、どうもクソの中から着信音が聞こえてきているようだ。

ワキタは恐る恐るその牛の糞に手を突っ込んでみると、

ついに着信音がハッキリと聞こえ出し、ようやく携帯電話が見つかった、、、

が、携帯は見事にクソまみれで、牛の糞とは言え臭いのなんのって、、、

キンちゃん、これ水で洗ったら壊れちゃいますかね〜と、、、

もう、知るか〜とりあえずティッシュでクソは拭いとけってか〜

宿の戻ると皆はもう起きていて俺らの帰りを待っていた。

ワキタの携帯事件の事を話すと全員大爆笑〜

それでもワキタは昨夜クソの中から見つけたクワガタ虫を虫カゴに入れ、

嬉しそうに、ナオゾウさん、ありがとうございます、

タイチ、きっと喜ぶと思います。

ワキタのパイプにおけるポジティブ思考は、

こういった所でも威力を発揮するのだ。

しかしその後携帯電話はどうなったか知る由もにゃい、、、笑。

 
他の沖縄のブレイクと違ってフィアーなイメージがないアーリーだが、

ここが決まる天気図、台風のコースがなんとも難しいのだ。

サトウさんに解説してもらうと、、、、

台風のコースですが、フイリピンの東でできて、

上に太平洋高気圧がいるため上に上がれず、

西進して南シナ海に向かう場合が良いです。

また高気圧の等圧線と低気圧の等圧線が南東から北西に伸びていると、

台風が小さくても良いうねりが入ります。

台風が南シナ海に入ったときもいい波ですが、

台風の気圧線の円内だと南風が強いですね。

いずれにせよ一筋縄では当てられないポイントと言っておこう。

俺自身何度も通い続けたが、

オンショアのままだったり、サイズが上がりきらなかったり、

台風が直撃するので1日で撤退したりと、

様々なコンディションを経験してきた。

それでもあのラブリーな波を思い起こすと、

いつでも夢の中に帰っていける。

If This Is Dreaming , Let Me Sleep

これが夢なら、寝かせとけ、ってか〜

 

 

 

 

 

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