5/4 Story of The Surf Pilgrim vol-27

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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Tadasuke Nakano @ Nunoshima  Tokushima

http://buenobooks.shop.multilingualcart.com/goods_ja_jpy_230.html

 

 
写真集・波巡礼を製作するにあたって、表紙・カバーショットをどれにするかで、

俺は初めこのトップの写真にしようと思っていた。

写真は四国・徳島県海部郡由岐町の沖に浮かぶ箆野島(ヌノ島)の豪快なレフトハンダーだ。

対岸の田井ノ浜から撮影したもので、超望遠レンズを使用したが、かなりの距離があり、

構図的には引いたアングルとなってしまったが、

島に覆いかぶさってくる大波、神秘的な大岩、そしてチューブを狙うサーファー、

と、自然感溢れるムードある写真だったので、波巡礼のカバーにぴったりと感じていた。

しかし本を作っていくうちに、内容の流れや、

デザイナーの白谷さんや、パブリッシャーの上平さんの意見も合わせて、

結果あの富士川のオーラある写真が表紙となった経緯があった。

 

そのヌノ島の説明をウエブで調べてみると、

 

由岐湾内の正面海上に浮かぶ周囲約4㎞の島。

由岐は天然の良港といわれてきたのは、この島があってのことである。

島の裏、東側の平坦部に田約25アール、畑約40アールがあって、

かつての住人布島家が耕作してきたが、今は全くの原野となっている。

東側海岸筋一体は、古くから『なかむら』と呼ばれてきた。

大昔は、箆野島とかぶと岩・ねむり岩・小島を結んで

由岐の突端まわりがはなの南部と陸続きであって、

なかむら と呼ばれた地域があったと伝えられている。

島の中央部の小高い山道を登り西側に降りると、のりの浜に出る。

湾側海岸一帯に礫岩の背が低く海に突き出ている。

この浜の眼前に、『割れ目』とも『織岩』とも呼ばれている

奇岩が高く海上に突き刺さったようにそびえている。

島の手前、港に向かった北側を”こたに”と呼んでいる。

のりの浜と同様地名のいわれはない。」

島の周囲の磯は、わかめ、ひじき、てんぐさなどの海草類や

さざえ、あわびの貝類の宝庫でもある。

「箆」(へい、へら、の)という字は、矢で使う竹、矢竹のこと。

昔、この島にたくさん自生し、利用されていた。

このことから「箆野島」と書いて「ののしま」と呼ばれていた。

(国土地理院発行の地形図では「箆野島」ではなく「箟野島」と表記されている。)

また、一般的には「しまの」の呼び名で親しまれているが、理由はわからない。

これがいつの頃からか「箆野島」を「ぬのしま」と呼ぶようになってしまった。

これは昔の人が島の奇岩である「布かけ岩」がある島ということから

「ぬのしま」と呼んだともいわれる。

いま一つは、明治の頃この島の守りをしていた人が苗字を許されたとき、

この岩にちなんで「布島」とつけたことにより、

「箆野島」を「布島」の苗字にあわせて「ぬのしま」と呼ばれるようになったともいわれている。

いずれにしても、昔からいろいろな呼び名で伝えられているということは、

それだけ由岐の人々との深い関わりを示すもので、

由岐のシンボル的な存在であることに変わりはない

(http://www.tcn.ne.jp/~work/General.htm より)

 

このヌノ島を最初にサーフしたのは、

タカハシリョウスケさんとツクリミチタカシさんの二人で、

1977年、由岐湾のずっと沖に見える

ヌノ島のレフト目指してパドルしていったことが始まりと言われている。

東由岐からパドルすること30分近くかけて島の東面(ナカムラ)に上陸し、

歩いて森をかけ分け、山を越えてアザーサイド(ノリの浜)に到着すると、

オーバーヘッドのクリーンなロングレフトが目の前に広がり、

おまけに誰も居ず、至福の時・波を味わい、無我夢中のままサーフドアウトし、

再びロ〜〜ングパドルを経て東由岐まで戻ってきたと言う。

帰りの道中でリョウスケさんがツクチャンに、ウハウハ(最高)気分やな〜

と言ったことから、当時ヌノ島の事をサーファーは”ウハウハ”と呼んでいた。

 

そのツクチャンよりも一歳年下だった、

阿南のタケチカズイチさん(1954年生まれ・現65歳)は、

徳島のパイオニアサーファーだったイチラクさん(サーフロッジ・ペリカン後モア)や、

マツバラさん(サーフロッジ・ペリカン後USA)の影響を受け、

19歳でサーフィンを覚え、25歳から地元阿南でLES、

(ローカルエナジーサーフショップ)をスタートした。

タケチさんは生見でサーフィンを覚え、海部よりも内妻や日和佐でサーフィンを育み、

1977年からヌノ島でサーフィンをする様になっていった。

初めてのヌノ島は、田井ノ浜が腰くらいだったので、

知り合いの漁師に頼んでヌノ島に連れていってもらったと言う。

波は胸〜肩程度だったが、無風でエクセレントコンディションだったと振り返ってくれた。

それからは、ビッグロック、橋喰、権現、田井ノ浜を初め、

後に知ることになる蒲生と共にこのヌノ島も、

タケチさんのホームスポットとなっていった。

当初は一人でパドルアウトすることが多く、リーシュが切れて板をロストしたり、

板を折って、一人で泳いで帰ってきたことが何度もあったと言う。

その頃はシマノさんと言う方が、ヌノ島で農業を営み住んでいたらしい。

1980年代に入り、地元の消防士・オモテバラミッちゃんや歯医者の宮本さん、

現在もLESの店長を務めるイシカワマサシ君等が、

ヌノ島のビッグウエイブをアタックして行く様になった。

その当時ラインアップに行くと、必ず居たのがスギちゃん事スギハラトオル君で、

一説には、波が良い時は島でテントを張って泊まり込みでサーフィンしていたと言う。

そんなヌノ島フリーク・サーフジャンキーだったスギちゃんは、

2006年2月、インドネシア旅行中に肝炎のため亡くなってしまった。

当時アイランドパラダイスのファクトリーマンだったスギちゃんの訃報を聞いて、

ウエダ君はバリ島までお骨を引き取りに行き、

スギちゃんの実家・鳥取にいるお母さんの元へ、

遺骨を手渡しに行ったと言う悲しい話がある。

もしかしたらそんなスギちゃんの魂は

今もヌノ島に宿っているのかもしれない、、、合掌。

海部の様に車で乗り付け、目の前からパドルアウト、岸には大勢のギャラリー、

とはまさに正反対のヌノ島は、遠く、ひっそりと、それでいて荒々しい海、

この波が好きなんだ!と言う、

マニアックなサーファーしか行かない場所として確立されていった。

ヌノ島が6オーバー、8〜10ftの牙を剥きだすと、

コウヘイさん、アオジイ、キナシ君、ケロやん、

ミナミ君、カッキン、ヨシジ達の様なハードコアサーファーが、

常に長い板を駆って、

ワイルドなディープポジションからテイクオフしていったと、

タケチさんは回想する。

先の海部の原稿で書いたが、俺は1981年の一夏を海部エリアで過ごした。

正直その夏は海部の地形があまり良くなく、日和佐のリーフによく通った。

そんな流れの中、ヌノ島を知ることとなり、

一度サイズがあまりない時にパドルアウトしていったこともあり、

よし、今度の台風でこのヌノ島のビッグレフティを撮影しようと決めていた。

当時すでにプロ公認を得ていたウエダ君やレオさん、キナヤン達は

JPSAの試合があったため四国から関東への遠征に出、折しも台風が発生し、

俺はミナミ君とアダチさんの3人でタイフーンスエルサーチのドライブに出た。

まずは高知からスタートし、

中村、今の四万十市の手前の伊田と言う所で偶然素晴らしいレフトを発見〜

夕方台風からのウネリでグングンサイズアップしてくる、

今は消滅した伊田の波をスコア〜

当時はスエルの方向や予想進路なんかわからなかったが、

明日はヌノ島だぜ〜と、高知西端から徳島海部まで戻っていった。

翌朝原付バイクで甲浦の白浜をチェックすると、、、

湾の沖から波がブレイク、

まさしくリアルタイフーンスエルがフィルインしてきたのだ〜

早速ミナミ君とアダチさんとで海部をチェックするも、

大クローズアウトなので日和佐エリアへ〜

田井ノ浜の高台からチェックすると、田井ノ浜はでかすぎでダラダラ気味。

沖に見えるヌノ島は、、、ルッキング〜〜、

6?いや8プラスあるか?といったブレイクだった。

まだまだオイラも21歳、全てが試行錯誤の連続だった時代、

水中カメラもニコノスの35ミリと80ミリだけだったので、

このサイズはちとお手上げ状態なので、

何とか岸から望遠レンズで撮影しようと皆で思案、、、

とミナミ君が、車の中から子供用の簡易プールがあるから、

これにカメラ乗せて島の裏側から行こうとなった。

それは1977年、ツクチャンとリョウスケさんが辿ったルートと全く同じだった。

ミノルタカメラにトキナー600ミリレンズ、三脚をビニールに包み、

ミナミ君がプールを小舟の様に漕ぎ、俺とアダチさんはボードでパドルし、

押したり引っ張ったりしながら島へと向かったが、いくら島の裏側とて波は来る。

とにかくプール(ボート?)がひっくり返ることだけは避けたい。

徐々に島に近づき、最後の岩場のショアブレイクをクリアしてようやく上陸〜

気分はどっか異国の国に来て冒険している様な???

プールを波の被らないところまで引き上げ、今度はブッシュの中へ道なき道を歩き、

小高い山を越え、島の西面に出ると視界が開け、

目の前にウルワツ(行ったことなかったけど)の様なラインアップが広がった。

当時はアンダーグランドながらビッグウエーバーだったミナミ君とアダチさんは、

コンパクトな玉石のビーチ(ノリの浜)に降り、

セットのタイミングを見計らってパドルアウト。

俺は波のボトムが見える島の高台に登り、

生い茂った木と崖っぷちの間にカメラをセット。

波はコンスタントに6オーバー、ドセットは8〜10ftはあったか?

インサイドのカレントであっという間に見えないところまで流された二人が、

ようやくチャンネルをパドルバックしてくる姿が確認できた。

アダチさんは手前のショルダーで様子見、

一方ミナミ君はグイグイ沖へ奥へと向かっていった。

確か1本目だったか、超特大セットが来襲し、ミナミ君はいきなりその波にゴーフォー、

10ftはあろうかと言うモンスターをメイクしていった。

夢中でシャッターを切っていた自分は、

まるでサーフィン映画を見ているみたいだった。

誰もいない海、次々と押し寄せるビッグウエイブ、

そこに二人のサーファーと一人のカメラマン。

これこそが後の自分の取材態勢の原型が作られた出来事といっても過言ではない。

ニューサーファー、ニュープレース、ニューアングル。

コンテストサーフィンの真逆にある、フリー・ソウルサーフィン。

真夏のクソ暑い、ジト〜とした森の湿気、ネト〜〜っと汗ばむ中で、

自分の求めるサーフィン観と撮影魂が、しっかりはっきりと芽生えた時だった。

1本目の波でストークしたのか、ミナミ君はその後も凄い波を捉えていき、

ミドルセクションの巻いてくるところでは、

パダンパダンの様なバレルにも吸い込まれていった。(写真下)

チューブから抜けることのできなかったミナミ君は、リーシュが切れロストボード〜

アダチさんがフォローに入り、泳ぐミナミ君に付き添い島のエッジから見えなくなった。

恐らく島の裏側まで泳いでくるのだろうと察知し、急いでカメラを片付け、

来たブッシュ道を戻り、プール?の置いてある東面(ナカムラ)のビーチに戻ると、

ちょうどミナミ君は泳いで、アダチさんはパドルで戻ってきた。

帰りは板が一本無くなったので、俺は持っていった足ヒレを履いて、

プールに寄り添いながら泳ぎ、

東由岐の港まで、皆でえっちらおっちら帰っていったのであった〜

その後はボディボードや、漁師の船、サーファーの小舟で、ヌノ島の撮影に臨んだが、

後にも先にもランドからヌノ島を撮影したのは、この時以来一度も無かった。
タケチさんによれば、

ヌノ島のベストは南西ウネリの6〜8ft、無風ないしは緩い北風、

潮は、でかい時はやや満ちている時が良く、小さい時は干き気味の方がいいと言う。

東のスエルは田井ノ浜の方にウネリが逃げ、ダラダラのコンディションとなり、

タイフーンウインドが絡む北東の風は面がガタガタになる。

湾の外に位置するためウネリは拾いやすいが、風の強弱が重要となる。

島の先端に神々しく聳えるスプリットロックにホワイトウォーターがぶち当たり、

シモリ岩の横からテイクオフ、

ビッグボトムターンからビッグフェイスをカービングして、

ミドルチューブセクションをハイラインで突っ走り、

インサイドのボウルセクションで

もう一度チューブを味わうことができるロングレフトハンダー。

テイクオフからインサイドまで波の高さが変わらず

ローリングしていくのもヌノ島の特徴だと言う。

最近のボーイズは長い板を好まず、

こういったポイントブレイクに興味を示さない傾向にあるが、

やはり台風からのビッグスエルでは、

河口やビーチでは太刀打ちできなくなるのが必至。

そんな時こそ真価を発揮するリーフブレイクで、自然の生のパワーを感じ、

試合にはないサーフィンの根底にある素晴らしさ、

楽しさ、厳しさを堪能してもらいたい。

ハワイ・ノースショアにも通じる圧巻のパワーを秘めたヌノ島の波は、

神々しくも人間・サーファーを嘲笑うかのように覆い被さってくることだろう。

 

 

 

 

 

img301@ Nunoshima

 

 

 

 

 

img114Masashi Ishikawa & Kazuichi Takechi

 

 

 

 

 

 

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img115Toru Sugihara

 

 

 

 

 

 

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Island@ Nunoshima

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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