4/19 Story of The Surf Pilgrim vol-17

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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波巡礼物語・宮崎編・パート〜3は日南の波。

カレンズのある内海から国道220号線

ひむか神話街道を南下すると洋香園そしてイルカ岬が見える。

この洋香園とイルカ岬もスエルディレクション、ウインドディレクションが合致すれば、

凄い波が立つと言われている。

そしてイルカ岬から日南市に入り、美しい日南のコーストラインが続いていく。

まずはビーチブレイクの伊比井海岸があり、

ここはロング&ショートのスタイリッシュプロ・イノウエタカの出身地であり、

タカは宮崎ではここでしかサーフィンしないと言うスイートホームグランドなのだ。

ここから岬〜ビーチ〜岬〜ビーチが続き、トンネルを抜けると南向きの湾・鵜戸に出てくる。

この鵜戸にはウド下と呼ばれるライトハンダー、

そして湾の左沖にはウドチョポと呼ばれるレフトハンダーがある。

ウド下は南うねりに反応し、鬼の洗濯岩と呼ばれるリーフに、

ダブルアップ・トリプルアップするファーストブレイクからのティックなバレルが特徴で、

南から来る台風の時に真価を発揮する迫力あるライトハンダーだ。

一方、ウドチョポはクレージーサッキーブレイクのレフティ。

まさに鬼の洗濯岩の目の前で逃げ場無しのプルインオンリースポット。

岸から見れば誰もこんな所でサーフしようなんて思わないロケーションで、

長い間アンタッチャブルな存在だった。

鵜戸から更に南下すると、マシンブレイクのライトハンダー・小吹毛井、

道路沿いにブレイクするワイルドなライトハンダー・直線、

鵜戸の湾の右沖にあるビッグライトハンダー・先端、

更に走るとコンスタントなレフトのポイントブレイク・大浦、

そして昭寿園、梅が浜のハイクォリティなビーチブレイクと、

あらゆるサイズ、スエルディレクション、風に対応できるポイントが点在している。

加えて海の美しさ、景色の素晴らしさ、光の明るさ全てが愛おしくなる地域で、

早30年近く訪れ続けている。

そんな日本一とも言えるサーフゾーン・日南を取り仕切るのが、

日南でフリーダムサーフショップと

サーフボードファクトリーを営むカワバタリュウイチ氏だ。

昔から日南独自の徹底したローカリズムが敷かれ、

寛容なところもあるが厳しいところは非常に厳しかった。

そんなカワバタさんの元から、息子のカワバタショウヘイ、

ワタナベカン、タカハシシュウヘイといったサーファーが

プロとして巣立っていったのだ。

だから日南取材の時は必ず彼らと連絡を取りセッションには参加してもらっている。
話は遡り、2008年10月・JPSA最終戦・オールジャパンプロが、宮崎県木崎浜で行われ、

そこにタイミングよく台風が発生し、俺は試合そっちのけで連日日南通いとなった。

いつもなら宮崎プロサーファーだけのセッションが、

この時はJPSAトップサーファーも加わった。

俺は前々から気になっていたウドチョポのレフティにフォーカスしていた。

台風スエルの入り始めは南〜南東で、

ウドチョポに対しては海の流れが中へ中へと押し込むので、

危険かつあまりブレイクも良くなかったが、

台風が通り過ぎると、スエルディレクションが東〜北東へと移行しだすと、

カレントが外へと吐き出されるようになり、

アプローチももっと奥から攻められそうだった。

ブレイクのすぐ目の前にはギタギタの鬼の洗濯岩が敷き詰められミスは許されない。

恐る恐る数人のプロとこのヴァージンブレイクにパドルアウトしていった〜

沖に辿り着くとチャンネルはしっかりしていた、つまり水中撮影がしやすかった。

しばらくチェックしていると、奥の棚にAフレームでブレイクしてくる波に

ビハインドからプルイン、それが一番良いと言うのがわかって来た。

そのタイプの波でなければ、

テイクオフ〜ノーバレル〜ボトムターン〜プルアウトとなる。

だからウドチョポのあの棚にヒットするポッカリ掘れた波の向こう側

ビハインドからノーボトムターンでへばりついてプルインしかないのだ。

そこでテイクオフをしくじったり、バレルの中で潰されたら、

インサイドの露出した岩に持っていかれると思っていた。

しかし実際皆ひどいワイプアウトをしても、

何気に外出しカレントによってデスゾーンを回避し、

打ち上がったり、ボトムにヒットする事はなかった。

ただその波にドンピシャの位置、

ドンピシャのタイミングで乗り込まなければならないのが、

頭ではわかっていても実際は難しかった。

ましてやこういったスラブの経験値がない

日本人プロではなかなか攻略できなかった。

そんな中、静岡のヒグケン事ヒグチケンがまさに方程式にぴったりハマった、

バックハンド・ビハインド・グラブレール・プルインを魅せ、

見事なスピッツアウトでこの日のウエイブオブザデイとなった。

初めてのウドチョポセッションで、新たなスラブの発見に超ストークだったが、

ちょうどウドチョポの反対側・小吹毛井でローカルコンテストを行っていた

カワバタさんが怒ってると聞いて、すぐにカワバタさんの元へ行くと、

あの道は鵜戸神宮に行く観光バスが通る細道で、

サーファーが車を停めて困っていると、

苦情の電話が来たと凄い剣幕で叱られた。

実際自分たちは鵜戸下の方に停めていたんだけど、

俺たちが撮影してるのを見て、

後から入って来たサーファーや、

見物していたサーファーが停めていたのは事実で、

それによって確かにでかい観光バスが通りづらかったのも理解できた。

自分たちの車ではないにせよ、その原因を招き、

ローカルの人に迷惑をかけてしまったので平謝りに謝った。

なんかさっきのストーク状態から一気に落ち込んでしまったが、

トラブルはこれで終わらなかった。

俺たちのセッションの噂を聞いて、

翌日多くのサーファーがウドチョポに押し寄せ、

またも無謀駐車で、更にカワバタさんの怒りをかってしまった、、、

日南でのサーフィンに関しての苦情は全てカワバタさんに投げかけられ、

それがひどくなれば日南サーフィン全面禁止という行政の措置もあるので、

そうなる前にカワバタさんはこれまでも徹底したルールを敷いて来たのだ。

その後、雑誌SURF1STでの宮崎特集で

編集部とカワバタさんとの信頼関係が損なわれ、

日南での撮影取材ができなくなるという事態にまでなってしまった。

それから俺は6年間宮崎を訪れる事なく自粛していた。

やがてワタナベカンがプロサーファーとして飛躍し始めた頃、

カンに頼んで、再び日南での撮影取材ができるようになったのだ。

久々の日南に戻って来れた時は本当に嬉しかった。

宮崎サーファーの世代もすっかり変わり、

シイバジュン、ワタナベカン、タカハシシュウヘイ、コダマリョウ、

セキグチマサヒロ、モリゾノカイト、ニシグチケイスケ、イトウタカ、

マスダライキ、イトウリアル、フジタヒュウセイといった

ヤングジェネレーションの時代に入り、

また昔のように日南の海でセッションし撮影取材を重ねていった。

時が過ぎてセッションするサーファーが変わっても、

日南の美しいコーストラインに佇むビーチブレイク、

リーフブレイク、ポイントブレイクはいつの時代になっても不変だ。

そして思いっきり波乗りした後は、

お決まりニコニコショップの天むすとトビ天やね〜〜

これもまた不変。ワラ

 

 

 

 

 

img038Ryuichi Kawabata

 

 

 

 

 

 

img026-2Shohei Kawabata

 

 

 

 

 

A63I4288Kan Watanabe

 

 

 

 

 

 

A63I6524Shuhei Takahashi

 

 

 

 

 

 

img037Kimihiko “mecha” Sakimura

 

 

 

 

 

 

A63I8271Jun Shiiba

 

 

 

 

 

 

_KK43141Riaru Ito

 

 

 

 

 

 

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img183@ Sentan  Nichinan  Miyazaki

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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