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@ Itanki Beach Muroran Hokkaido
北海道はデッカイドウ~
俺にとっての北海道は小学5年生の時にはまっていた
蒸気機関車を撮りに初めて訪れた時にさかのぼる。
近所のSLマニアの兄ちゃんに連れられて、
夜行列車を乗り継ぎ宿泊代を浮かしながらのジリ貧旅行だった。
初めての時は夏休みだったが、冬の雪景色の北海道はもっと綺麗やで~と言われ、
その年の冬休みも北海道に連れて行ってもらった。
そして心底感動した。
大阪で生まれ育った俺にとっては未知の世界、まさに白銀の世界だった。
もちろん凍える程寒い。
でも真っ白な雪景色の中を真っ黒な蒸気機関車がもくもくと煙を吐きながら熱く走って行く姿、
それをどのロケーション、どういうアングルで撮影しようか?
何時間もかけて山を登ったり、保線小屋で一夜を明かしたり、
トンネルの中で予想外の列車が来てひかれそうになったりしながら旅を続けた。
これが俺の原点、旅への基本が形成された時期なんだ。
やがてSLが無くなり、高校一年の時にサーフィンに初めて出会った。
そして、今度は、波/海への旅が始まった~~~
前置きが長くなってしまったが、北海道には並々ならぬ情熱を注ぎ込んで来たということ。
俺のトリップの基本はここで作られた、鍛えられたということをわかってもらいたかったんです~~
さて日本国中の波をハントしまくり、いよいよ次は、北の大地・北海道への初取材を決め、
当時ハワイの俺の家のロフトを間借りしていた、
札幌のプロスキーヤー・北海度のパイオニアサーファーのタガワノボルさんの案内で、
まずはロケハンで単身北海道に飛んだ。
ノボルさんの案内で、色んな海・色んな観光地・
色んな食べ物を体験することができた楽しい旅行だった。
最後のSL撮影旅行が高一の時だったので、20年近くの歳月がたっていたことになる。
そしてその年の台風シーズンが来てから、
マッチ(ナカヤマノリヒコ)、トッコ(セキヤトシノリ)、
タロー(タニウチタロー)等とで取材に出掛けた。
狙いのポイントは肩くらいまでしか上がらず、
波を求め日本最東端・納沙布岬にまで足を伸ばしたが、
霧に覆われ海も見えないくらいでこのツアーはあえなく解散、、
してから、もう後がないリベンジトリップで、
ズッチョ(コウノマサカズ)、マミー(ワタナベマサト)を連れ、
同じ年の9月に再度北海道入りを果たした。
しかし期待した台風が砕けまったくの不発、、、
襟裳岬から噴火湾~函館までロングドライブしたが、
何も収穫を得ず一旦仕切り直しで札幌に戻った。
そして気分新たに次の低気圧で再び動き出したが、やはり大した事無い、、、
室蘭から襟裳岬、更に十勝の広尾までのロングウエイをやけのやんぱち状態で流れていった。
広尾にある小さな河口で腰~腹。
河口にはこれでもか~ていうくらい無数の鮭が川を登って行ってる~
天気はポカポカ、、、
カモメの群れに石を投げて遊んでたら、ほんとに当たっちゃった~~
ズッチョもマサトも、早々に海から上がって来た。
ノボルさんは皆をしらけさせないように、
広尾にメッチャ餃子のうまいとこあるから
今日はそこで餃子パーティーしよう~っと励ましてくれた。
でも正直流石の俺も2度目の取材でまた空振りかあ、、とかなりへこんでいた。
その夜は餃子とビールをしこたま飲み食いし安宿で早めに寝た。
夜中からなんか外がうるさかったな~と夜明けに海をチェックすると、、、
昨日の河口がファッキン大クローズアウトしてる~~~~!!
サーフズアップや~~~~!!
皆を叩き起こし、再び黄金道路を走って襟裳方面へ~~~
しかし、な、なんと黄金道路はもろ海沿いの道で、
セットの波は完全道路にまで襲いかかって来ていた。
しかしそこはサーファーナレッジ、うまくトンネルやへこんだセクションを使いながら、
セットの波を喰らわない様にすりぬけ、スリリングな黄金道路を走り抜けた。
そして港にあるライトハンダーに着くと、、、
にゃんと~~~10~15フィート、
ワイメアカインドの波がブレイクしていた~~~!!
恐るべし北海道、、、一夜にしてこの猛威、、、
唖然状態で次にチェックしたレフトハンダーは、、、、
もう絵に書いた様な6フィートのパーフェクトなラインアップが、
ドピーカンの青空の下ピールピールしまくっていた~~!!
これぞ待ち続けていた北海道のクラシックラインアップ。
まだ海には誰も入っていず、ズッチョとマサトはいの一番に入水~
まさに、ついに、コールドパラダイスの至福の時を味わった~~~
美しいレフトのポイントブレイクの岸には質の高い昆布が至る所に打ち上がっている。
その昆布が石で敷き詰められた広場に干してある。(駐車場じゃないよ)
海小屋では漁師がそれを区分けする作業に追われている。
北海道では当たり前の海辺の光景だ。
朝三までサイズのあったこのレフティも昼過ぎにはあっという間にゴーイングダウン。
午後は別の河口のレフトでワンモアセッション~~~
しょぼかった低気圧が北に抜け、
再び発達し爆弾低気圧と化してバックスエルが突然入ったきたのだ~~~
思いもかけなかったザデイの到来によって、
この年三度目の北海道取材は素晴らしいものになった。
旅の道中で線路が道路に並行しそこに列車が通ると、
俺はまるで少年時代にワープした様な気分になることができ、
あの頃の無我夢中だったパッションが蘇って来るようだった。
そしてきっと次回北海道に来れば、
この時の旅の、波の感動が鮮やかに蘇ってくるはずだ。
(昔の原稿より)
それからまた20数年が過ぎた2014年6月、久しぶりの北海道旅行を敢行した。
ライダーは連れて行かず、妻のアルカスビジョンと二人で
ハイエースに寝泊まりしながらのロケハントリップだった。
茨城・大洗からフェリーで北海道_苫小牧までの18時間の船旅にオイラはストーク、
妻はゲロゲロ~(船酔い)
大浴場に浸かり、コンビニで買ったおでんをつまみながらビール、
静かに航行する船のベッドで就寝、
朝早く起き海上でサンライズを拝み、
朝陽に照らしだされた陸地を見ると、丁度東北・岩手県の三陸海岸あたりだった。
かつて秋になると恒例陸奥ロードの取材で、
何度も何度も素晴らしい波に巡り会えた日本中で大好きなエリアの一つだ。
緑深い岩手の山並みから遠ざかると、
やがて青森県の下北半島を横目に見ながら本州から北海道へと突入する。
半日以上のクルーズを終え苫小牧港に到着~
20数年ぶりの北海道じゃ~
今回は北海道のコーストラインをチェック、
まだ見知らぬサーフスポットのロケハンみたいなもの。
まずは室蘭を目指し、
ダブの戸倉さんに紹介してもらったローカルの田所さんと落ち合い、
登別温泉に入って、室蘭名物?のカレーラーメンを食べて、
イタンキ浜近くの高台パーキングで車中泊。
6月とは言えやっぱ朝夕は激冷えの北海道の初夜を過ごし、
予定無しの気ままな北海道旅行が始まった。
室蘭から襟裳岬、広尾から知床岬、羅臼から納沙布岬、
根室から釧路・阿寒湖を通って網走へ、
今度はオホーツク海を北上し枝幸~稚内へ、
そして北の果て宗谷岬から帯広を経て再び太平洋側へ、
広尾から一気に函館、更に日本海側を経由して再び室蘭に戻り、
営業で北海度に来たダブのイノマタ社長と落ち合いジンギスカン〜〜
して北海道初日に挨拶した室蘭ローカルの田所さん宅に泊まらせてもらい、
このイタンキ浜のクラシックなラインアップを撮影した6月18日の朝を迎えた。
久々に畳の上でぐっすり寝ることができたので疲れも取れ、
田所さんのお母さんの作った朝食をよばれ、
ゆっくりと雨の上がった室蘭のイタンキ浜へ向かうと、、、
晴れ渡ったビーチにはエンプティウエイブがパンプパンピンしていた〜
ややクローズアウト気味とは言え、
ここでプロサーファーが居れば間違いなくスーパーセッションが展開されただろう、
と思わせる良質のビーチブレイクが炸裂していた~
パーキングからしばらくラインアップショットを撮ってから、
田所さんにイタンキ浜を見下ろす高台に案内してもらった。
そこから見下ろすイタンキ浜のラインアップは壮大で美しく、
ニュージーランドかオーストラリアのヴィクトリア州に
来たような錯覚に落ちるほどだった。
そしてよくよく見ると、
そこは俺たちが北海道に着いて初めての夜を車で明かした場所だった〜〜
あの時は風ビュービュー・雨シトシトで
およそ今日の眺めとは真逆の暗いイメージだったが、
今日のこの景色・ラインアップを眺めていると、心がスーッと晴れ渡り、
ここまでの北海道トリップのすべてが愛おしく、報われた気持ちになった。
なんだか此れを以て旅の区切りもついた感があるので、
旅の終焉として札幌に出向き、
かつての北海道取材を全面的にサポートしてくれたタガワノボルさんに一目会い、
この旅に終止符を打った。
帰りは妻たっての願いで(船酔いするから)、
一番フェリーに乗る期間が短い、
北海道・函館から青森・大間、90分の津軽海峡フェリーで本州へ~
そして本州最北端の青森からは
気が遠くなるようなロ~~ングドライブで帰阪していったのだ~ワラ
Masakazu Kohno @ Cape Erimo Hokkaido circa mid 90′s