3/30 Story of The Surf Pilgrim vol-3

Naoya Kimoto

Naoya Kimoto
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、重厚なショットが魅力のKINこと木本直哉。 16才でサーフィンを覚え、20才からサーフィンフォトグラフィーの道を歩みだす。1981年から冬のハワイノースショアに通いだし、現在も最前線で活躍中。

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まるで自然が、海が、波が、狂った様に吠えているこの写真は、

千葉県・外房・勝浦湾のど真ん中にあるショットガンで撮影された。

2006年9月に襲ったヒュージタイフーン・イオキからの歴史的なスエルだ。

イオキはハワイの南東海上で生まれ、発達しながら西へと進み、

珍しく日付変更線を超え、絶大な勢力を保ちながら日本へと接近してきた。

レッドブルがビッグウエイブプロジェクトで南紀に向かい出した頃、

俺はスーパーイーストスエルになると予想して狙いをショットガンに絞った。

ショットガンとの出会いはこの2006年よりもずっと前になる。

台風が来ると覚醒する千葉・勝浦湾にはマリブ、

そして松部といった日本を代表するリーフブレイクがある。

とりわけ松部には特別な想いがあり、数え切れないくらいのセッションを撮影してきた場所だ。

実はサーフィンフォトグラファーとして駆け出しの1980年の冬の数ヶ月を、

この松部の付け根にあるカクイ旅館で住み込みのアルバイトをしていたことがある。

サクライヨッちゃん、テルオカミッちゃん、ナルオさん達が借りていた

カクイの離れに寝泊まりさせてもらい、

旅館の食事時や忙しい時だけ手伝うと言う条件で、

原付に乗って外房のコーストラインを走り回り、

写真を撮ったりサーフィンしたりして一冬を過ごした。

この頃は志田というより夷隅・ドカリに注目していて、

痺れる様な冷たい海でニコノス片手に泳いでいた。

夷隅より暖かい松部にももちろん日課の様にスイムアウトし、

目標とする水中フォトグラファーを目指していた。

そんなこともあり松部・カクイには様々な思い出と愛着があるわけだ。

やがて水中ハウジングを手に入れると、長玉レンズ・135ミリを装着し、

松部のビッグデイを意識する様になり、幾度となくパドルアウトしていった。

そんなある日のビッグデイ、いつも松部よりももっと沖のセカンドリーフで撮影していた時、

千葉いや日本を代表するビッグウエーバーのタコさんが、

ずっと沖で凄いのが割れてるから見にいってくると、、、

俺も誘われたが目の前で凄いセッションが展開されているので、

その時は行かず、タコさんはタニウチタロウと遥か沖へパドルアウトしていった。

しばらくして二人はアウトサイド松部に戻ってきて、

タコさんは俺に興奮気味に、凄いど〜ガタン〜ドッキューン〜あれだな、

ショットガンだな〜と語ってくれた。

あのタコさんにしてそこまで言わしめた未知のブレイクに、俺も新たな目標ができた瞬間だった。

それからはタコさんと密に連絡を取りショットガンを狙い続けた。

ショットガンが覚醒するのはラッキーで年に1〜2度あるかないか、

数年待たなければならないこともあった。

タコさんの発見から一年待っただろうか、、、、ついにやる時が来た。

今の様にジェットスキーアシストがあるわけでもなく、

原始の力で自身のリスクをもってパドルアウトしていった。

ロングパドルの末、ようやくショットガンの棚の近くまで来て、

そのブレイクを初めて目の当たりにしてアングリ、、、

こんなのどこから乗るの?と思わせるくらいの

ダブルいやトリプルアップした魔物の様なビッグウエーブだった。

深い勝浦湾の中央に位置し、中根と呼ばれるそこだけの浅い棚があり、

太くでかいウネリがヒットすると、その棚の所だけブレイクするのがショットガン。

つまりそこ以外は広く大きなチャンネルなので波は割れないが、

セットが来ると吸い込まれていきそうな恐怖感があった。

サーファーはまさにそのインパクトゾーンにいなければ波に乗れないから奥に入る。

そこにセットが来るともうゲボガボの渦中に引きこまれてしまう。

で、棚の外・安全地帯にいると全く波に乗れない。

そんなことの繰り返しで全く手が出なかったのがファーストセッションだった。

セカンドセッションは確か沖縄に居て、台風を追いかける様に羽田に飛び、

沖縄から一緒だったヌマジリの車で千葉に向かった。

朝一の霧が晴れ、午後からタコさんやイシマル君達と

唸りを上げているショットガンにパドルアウト。

もちろんこの時も原始のパドル、皆で助け合おうね〜は暗黙の了解だった。

沖に着くとやはり手強いダブルアップ・トリプルアップが大炸裂〜〜〜

ヌマちゃんは沖縄帰りで板も短く戦意喪失。

一方タコさん、イシマル君は前回のノーライドセッションの悔しさから

なんとか乗ろうとしているが、

ドセットは手が出ない、ミディアムセットにテイクオフするもゲボガボにやられパーリング、、、

とにかく手強い、手が出ない、でも波は凄い。

エンプティウエイブの凄い写真は撮れてるんだが、ライディングの写真が皆無、、、

そんな中BBのブレットヤングが登場し、

ドセットとは言えないがショットガンらしい波をゴーフォーしてくれた。

ようやくBBだがライディングの写真を収めることができたが、サーファーは相変わらず乗れない。

そんな所にこの日一番とも言えるクレージーセットが来襲。

沖のウネリの立ち上がり方を見ればチャンネルにいる俺も喰らうのでは

と思わせるほどのワイドなセットだ。

沖にいる皆に逃げろ〜〜とつい叫んでしまった。

喰らえば確実に死ぬと感じたからだ。

幸いラインアップしていたサーファーは這々の体でエスケープし、

その後流石に身も心も萎えてしまいこのセッションを終えた。

とにかくビハインドで乗って、あのビッグバレルにプルインが大きな大きな課題として残った。

そして2006年、伝説の台風イオキセッションとなる。

この時は前々から感じていたジェットアシストを導入することができた。

井上さん率いるJーPROのライフセービングチームが

2台のジェットスキーを松部港から出してくれた。

イオキのウネリはこれまでのショットガンにはなかった大きく太いものだった。

ジェットに乗って港から出ると海の動きが半端じゃなく、まるでスキーが木の葉の様に感じられた。

タコさん、カービー、ハヤトらは先にジェットで運んでもらいすでにラインアップにいた。

それから何人かマリブや松部の方からパドルアウトしてきていた。

波は、、、、相変わらず凄まじい、、、ダブルトリプル4th5thアップしまくって乗れない。

イメージは出来ていても現場は厳しいのが現実だった。

相変わらずのノーライドが続く、乗ってもマッシーだったりでこれだというライドが生まれない。

台風イオキはすぐそこにまで来てるはずだが、天気は良く、風も絡んで来ず、

ショットガンとすれば有り得ない好コンディションと言えた。

息を殺してジェットスキーからセッションを撮影、見守っていたら、

後半ついにこれ以上ないとも思われるマンモスセットが来襲〜

ラインアップに向かって、アウトアウト〜〜逃げろ逃げろ〜と叫んだが、

自然の脅威は無情にもラインアップにいたサーファーを全員飲み込んでしまった。

インパクトで喰らったサーファーはリーシュが切れ、板は真っ二つ、3ピースに折れた者、

まさに地獄の釜茹で状態となり、2台のジェットスキーでレスキューに入った。

カービーは真下で喰らい当然リーシュは切れて板はゴーンだが、

泳いでも泳いでもピークの渦中から逃れられず助けを求めているし、

タコさんはマンモスセットの下敷きになり、ずっと水面に上がる事が出来ず、

インサイドまで海中を引きずり回され、息が持たなくなり、

苦しいのを通り過ぎ、気持ち良くなるまでになったとセッション後語ってくれた。

ほとんどのサーファーが板を追ったり、リーシュが切れたり、溺れかけたりと散々だったが、

不思議とこの狂気のマンモスセットを最後に、ここまで荒れ狂っていたショットガンから

ぴた〜っと波が止んだ、来なくなった、終わっちまった、、、

その時はわからなかったが、台風イオキは房総半島直撃寸前にコースを

西からいきなり逆の北東に振ったと後で知った。

その後もショットガンは千葉ビッグウエイブの聖地として、

パイオニアのタコさんを始め、

アンダーグランドビッグウエーバーのイシマル君やシバモトナオト君、

ヤングガンのナカムラショウタ等がアタックし続け、

勝浦の漁師でもあるナオトを中心にジェットアシストチームも編成され、

現在のショットガンコミュニティが確立されていった。

昨年の台風でもショットガンが覚醒し、イオキ並みの歴史的なビッグウエイブの姿を現したが、

やはりサーファーの手に負える波ではなく、

ラインアップにいたサーファーは恐怖・戦慄、死を感じたと言う。

そこに山があるから登る、有名な登山家の言葉だ。

そこに波があるからパドルアウトする、

それが難しい波であればあるほど、サーファーのパッションを駆り立てるってもんだ。

ショットガンへのチャレンジはこれからも続き、歴史に刻み込まれていく事だろう。

 

 

 

 

 

 

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左ページはシバモトナオトの強烈なワイプアウトショット。

右ページはマンモスセットに乗り込んだタコミサオだったがトップに置いていかれてしまった。

 

 

 
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左ページはイシマル君の勝浦ハウスから見えたショットガンのラインアップショット。

右ページはゴーフォーしたイシマル君だったが途中で突き刺さってしまった。

 

 

 

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台風イオキのコースと衛星写真。

もう14年も前の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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